掲載日 : [2019-05-11] 照会数 : 6861
朝鮮通信使 善隣友好の径路を歩く<24>滋賀(彦根と米原)
[ 俗称・朝鮮街道(上、芹橋) ] [ 名残の一本松(平田町) ] [ 彦根城の南方を流れる芹川 ] [ 蓮華寺の扁額(米原) ]
「朝鮮人街道の面影を残す一本松」
霊仙山(りょうぜんざん)の「多賀清流の里」辺りから、彦根城の南方を流れ、琵琶湖へ注ぐ芹川。
芹橋周辺の足軽組屋敷図には、彦根城の外堀より北側には宗安寺、大信寺などがあり町人の屋敷が並ぶ。そして外堀より南側から芹川の間には足軽組の屋敷が群がっていた。
芹川の両岸には水害を防ぐための、ケヤキ、エノキにサクラなどが植えられ、住民の散歩道として親しまれている。
野洲から近江八幡に行く途中の朝鮮人街道の松並木は、JRの鉄道が街道を横切ることで総ての松が伐採されたことがある。
地域情報紙『みーなびわ湖から』の特集「朝鮮人街道をゆく」のコラムの中で、道路沿いに「朝鮮人街道の面影を残す一本松」と小さなお地蔵さんについて住民の声が載っていた。
以前は道沿いに松並木があったが、総ての松が伐採されることになり、「一本松」の前にある建設会社の人が、せめて一本だけでも残そうと運動された結果として現在も松は残り成長している。市の事業計画としての道路拡張により、松並木は犠牲になったのだ。
私はその一本松を、自分の目で確かめたくて芹橋から逆戻りして南へ、中山道を歩いた。
携帯の地図アプリで調べると、約30分ほど歩くことになる。雑誌は2009年に発刊されているので、今もあるのか?グーグルアースで建設会社周辺の風景を180°回転してみたが、その松は映っていなかった。ところが自動車工場の人に尋ねると、もうしばらく歩けば中山道沿いに松の木とお地蔵さんがあると教えてくれた。
もう一つこの雑誌には、「八葉山(はちようさん)蓮華寺(れんげじ)」の扁額のことが書かれていた。
その寺は米原駅から湖国バスで約10分ぼどで着く。長谷川伸の戯曲「瞼(まぶた)の母」で知られている番場の忠太郎の故郷だった。その扁額は宝物庫の壁面に飾られていた。この扁額も彦根の「江國寺」と同じ、雪峰の手によるものだった。私は地元の朝鮮通信使を研究する人たちの資料を手がかりに、あまり知られていない史跡に出会えて、得がたい喜びを感じた。
藤本巧(写真作家)
(2019.05.10 民団新聞)