掲載日 : [2020-04-25] 照会数 : 7469
時のかがみ「ブルーポピーを胸に」キム・英子・ヨンジャ(歌人)
日本と韓国の間で苦しんだ故の歌を
新型コロナウイルスによる非常事態で、うちに籠もる日が続く。少し気分を変えたくて、とっておきのカップでお茶を飲んでみる。これは有田焼の祖である李参平が発見した泉山の磁石で作られた器に私自身が絵付けをして、14代李参平さんの窯で焼き上げてくださったものだ。
陶祖・李参平の碑が建つ佐賀県有田町には、チマ・チョゴリ姿の女性陶工の記念像もある。李参平と同時代に活躍した百婆仙(ペクパソン)である。壬申倭乱(文禄の役)の際、夫の金泰道(深見宗伝)たちと日本に連れてこられた。彼女は夫の死後有田へ移り、一族と陶工たちのリーダーだったと伝わる。
『龍秘御天歌』(村田喜代子著)は彼女をモデルにした小説である。主人公の百婆は窯元である夫を亡くし、朝鮮式の葬儀をおこなおうとする。これに対して日本生まれの息子たちや仕事仲間たちは日本式でなければならないと主張して丁々発止のバトルが始まる。
私の住む筑豊は高取焼発祥の地だ。飯塚市の白旗山にあった高取家の古墓は初代八山は朝鮮式で、2代からは日本式だった。今で言えば在日1世と2世である。
私も2世だ。外出自粛で空いた時間に押し入れを整理したら、中学3年生の時の日記が出てきた。そこにはこう書かれている。
「韓国。その名を聞けば自分の国だとは思うけど、それを口にすることはほとんどない。行ってみたいとは思うけど、祖国と言われても実感が湧かない。それは私の母の国。でも、日本がそうだとも思わない。それは一番身近であって、一番他人の国なのです」
初めて短歌を詠んだのも中学生の頃だ。作ったというよりふいに浮かんできたので、なぜなのかはわからない。ただ、教科書で知った若山牧水の一首が強く印象に残っていた。
白鳥は哀しからずや
空の青海のあをにも
染まずただよふ
このうたにどうしてそれほど心ひかれたのか。今考えれば、日本人でも韓国人でもない自分を知らず知らず白鳥に見たのかもしれない。日記に書いたようなよるべなさや他人の視線に傷ついていたのだと思う。
その後もさまざまな葛藤はあったが、今はあの頃とは別の青をみつけた。その青にブルーポピーの花を重ねてみる。標高5000m級のヒマラヤやチベット高原に自生する高山植物だ。ヒマラヤの青いケシと呼ばれ、なかなか目にすることができないため「幻の花」とされる。冬は氷に閉ざされる地で咲く青を思う。
日本と韓国の間で自らの立ち位置に悩み苦しんだからこそ咲かせられる花もあるだろう。ヒマラヤの奥深く咲くブルーポピーのように、心にその花を咲かせて生きていきたい。そして2世の私だけの表現を一生をかけて求めていくのだ。
ブルーポピー胸深く咲く
ひとであれ空にも海にも
無き色をもて
「時のかがみ」は今回で終わります。
(2020.04.24 民団新聞)