同じものを見ても「同床異夢」…相手の立場に立ち相手を知る
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武井 一
たけい・はじめ 1963年生まれ。成蹊大学大学院法学政治学研究科博士前期課程修了。89年より高等学校で時間講師として社会科を教える。現在、都立日比谷高等学校他5校で社会科、韓国語を担当。また、早稲田大学エクステンションセンター、亀戸文化センターで韓国史、韓国文化の講座を持つ。著書に『「ソウルに刻まれた日本』『慶州で2000年を歩く』『ソウルの王宮めぐり』『朝鮮王宮完全ガイド』『皇室特派留学生』。他に協力本、論文多数。朝鮮学会、高等学校韓国朝鮮語教育ネットワーク会員
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韓日間の葛藤が長引いている。日本の高校で社会科と韓国語を教える武井一さんは「日本人と韓国人は見かけがあまりにもよく似ているから、お互いに同じ発想をすると誤解しがち。実はこの誤解こそが政治だけでなく様々な場面で日韓の衝突につながっている」「相手の発想は自分の発想と同じでないのだから、異なることを前提に付き合っていくことが大切だ」と説く。韓国と日本の未来を担う高校生たちに贈る体験的な韓日友好論だ。
◆初めての外国、韓国との出会い
初めての外国。それが韓国であった。1991年8月のことだった。すでに高校で社会科を教え始めていた。
91年といえばソウルオリンピック直後。まだ、ニュースメディアで伝えられた軍事独裁政権時代の「暗い」イメージが強いときだった。さぞかし「暗い」社会なのだろうと考えていた。
だが、そのイメージは釜山上陸1時間で変わってしまった。釜山からソウルに向かう列車に乗り車窓や車中を眺めているうちに、日本と変わらない「普通の生活がある」ことに気がついたからだ。そのような生活があることを日本のメディアは伝えていなかった。
帰国後、韓国の情報を集めようと思った。まだインターネットが普及してない時代。そこで当時京橋にあった韓国書籍専門店の「三中堂」に行き、ビデオや本を買った。生の情報を集めるために韓国KBSの日本向け日本語放送を聴いた。
地名くらいは読めるようになりたいと思い韓国語も勉強することにした。池袋の本屋に行ったら、韓国語のテキストはわずか1冊だけ。それも中国語の方言コーナーに置かれていた。カナタラを覚えると、すぐに辞書を買ってきて歌謡曲の歌詞を読んでみた。助詞だけ覚えていたので、なんで韓国語はやたら「は」にあたる助詞が多いのだろうという勘違いもした。「は」と同じ形は連体形にもあることも知らなかったのだ。不思議なことに、それでも意味は通じた。
翌年、再び韓国に行った。ソウルを中心に回ったが、このときは違和感を強く抱いた。一見するととてもよく似ている風景、風貌。聞こえてくる流行歌もよく似ている。後に中国に行くことになるが、中国では朝鮮族自治州の延辺を含めて、常に外国であることを意識していた。韓国では外国であることをあまり意識しなかった。それでも何かが違う。その違いは何なのか。そこに興味を持つようになった。
◆韓・日の発想の違い
その後、機会を得て韓国関係の本を出版したり、高校で韓国語を教えたりするなど、韓国に関わる仕事も増えてきた。その中でも気になり続けたのはやはり日韓の「違い」であった。これだけ近いのに、表情、発想など微妙に異なる。その訳を知りたかった。韓国の神話、仏教、風水、儒教、キリスト教に関する本などを読んだ。自分なりの答えが出たのは最近のことである。結論は日韓で基本となる文化が異なるということであった。
日韓では「神」と「人」との関係が根本的に違う。韓国は檀君神話のように神が天から地上に降りてきて人びとを幸せにする。人は幸せをもたらすことを神に期待する。天上にいる唯一の神と地上の民との上下型である。日本は自然そのものが神と考える。神は周囲に無数にいる。自分と周囲の神との左右型である。しかも、自然災害をもたらす。神は災いをもたらし祟る存在であって、それを鎮めるために祀るのである。この違いが様々な所に影響を及ぼすことになるといえる。
韓国では仏教は華厳経の影響が強く、儒教は朱子学一本。そして近年ではキリスト教も強い。どれもが上下型の思想体系であって、韓国の人になじむ思想だと言える。人びとの発想も上意下達型が好まれる。また上の世界にある「正しいこと」を志向する傾向が強い。「正しい」と西洋的な「真理」は異なるのだが、韓国では、間違っていたこと、正しくないことがあれば、それまでの約束事も「正しい方向」に改めれば良いと考える。
一方、左右型の日本では華厳経、朱子学、キリスト教はなかなか広まらない。仏教は法華経の影響が強いし、儒教も朱子学だけではない。人びとの発想も、周囲の合意を得たものを上の者が最終決定するボトムアップ型が好まれる。
そして「正しいこと」よりも「決まり事」を重視する。平安時代以来、貴族は祭事などの前例を記録するために日記を書いたし、武士の世界では手続を破れば殺されてしまう。決まり事は守るべきであって、決めたときに想定しなかったことが起きたときには、決まりは守りつつ、実質的に解決する道を考える。このような日本と韓国の発想の違いをロー・ダニエル氏は「当為主義」(韓国)、「機能主義」(日本)と名付けた。
もちろん、これはその社会全体の傾向だから、そうでない人もいる。だが、全体としてみると、日韓では重視されることが異なり、発想も異なるといえる。法律のように欧米由来のものも、それぞれの観点から異なった解釈がなされることは十分にありえる。同じものを見ても、実は同床異夢なのだ。
日本と韓国の人は見かけがあまりにもよく似ているために、お互いに同じ発想をすると思いがちであるが、それは誤解なのである。この誤解が政治だけでなく様々な場面で日韓の衝突につながっている。
相手に対する評価もそうである。つい、相手も自分と同じだと思ってしまうのである。それゆえ異なるところに違和感をいだき、場合によると嫌韓のようなことになる。
実は、この話は今に始まったものではない。江戸時代に日本に漂着した朝鮮人漁民に対する評価も、明治時代に日本に来た留学生に対する評価も、今とあまり変わらない。構造的なものなのである。
◆知ったつもりは禁物
19年7月と10月、日韓文化交流基金で訪日韓国高校生団に向けて講義する機会を得た。日本側からみた日韓基本条約について話して欲しいということであったが、その前提として互いを知る必要について話をした。
98年小渕首相、金大中大統領による「日韓パートナーシップ宣言」、02年サッカーワールドカップをきっかけに日韓双方の往来は盛んになった。相互の訪問経験者は人口比で、日本が全人口の2割(人口1億2700万人)、韓国が4割(人口5150万人)に達する(第7回日韓共同世論調査2019)。
19年は政治状況の影響により往来人数が減っているが、それでも10月までに韓国から約510万人(日本政府観光局)、日本から約275万人(韓国観光公社)が相手国を訪問している。
だが、互いの国に知り合いがいる人は多くない。日本の人の7割以上、韓国の人の8割以上が相手国に知人がいないという(日韓共同世論調査)。
つまり、観光で楽しむだけなのだ。相手の国に知人がいれば、相手の考え方に直接触れることができる。だが、多くの人にとって、相手の考え方を、相手から直接聞く機会はほとんどないのだ。
「日韓共同世論調査」では相手国や日韓関係についての情報を何から得るかについても質問している。これによれば、両国とも9割以上が自国のニュースメディアからこれらの情報を得るとする。
だが、自国のメディアは自国の人を対象に情報を出すので、外国と衝突が起きると自国の立場で発信することになる。それゆえ、自国が正しく、相手国はおかしいということになりがちになってしまう。
もちろん、相手国のメディアに触れることはできる。韓国の新聞や放送局には日本語版を公開しているところがある。しかし、韓国社会の発想のしかたが分からないから、それを見たとしても、何故そのように考えるかが伝わらない。
それでも日本語版があるだけ良い。韓国語版を持つ日本のメディアは、NHKワールドなどごくわずかしかないからだ。韓国の人が日本の発想を日本のメディアから知る機会は非常に限られていることになる。自国のメディアで相手国の情報を得ても、相手の発想は分からない。自国の視点で相手を「知ったつもり」になっているだけにすぎないといえるだろう。
初めて韓国に行ったときに「軍事独裁政権」で「暗い」生活を送っていると思っていたことも同じことである。「知っているつもり」だったのだ。そのギャップに気がついたのが、釜山上陸1時間後のことだったのだ。
日韓のどちらが正しいかということはとりあえず置いておいて、互いの発想が異なることを前提に、相手の立場に立って、相手のことを「知る」ことが大切なのだと思う。「知ること」で、ようやく互いが同じ土俵に乗ることができるのではなかろうか。
地政学的に隣国同士は仲が良くないとされる。隣の家とはいろいろな問題が起きやすいことと同じである。外交の役割は互いの立場を調整して一致点を見いだすことであるが、対立点が埋まらない場合、条約はどちらの立場からでも読めるように書かれる。日韓では植民地の時代をどう見るかについて立場の違いが埋まらない。日本は当時の国際法にしたがって韓国を保護国、植民地としたのだから、「手続として」合法である。韓国は戦後誕生した新しい国家であるという立場をとる。
一方で、韓国は第2次日韓協約(乙支条約)の締結の仕方がそもそも違法なものであって、それを元にした植民地化も違法である。韓国は大韓民国臨時政府の法統を継承した国であって(大韓民国憲法前文)、「大韓」は大韓帝国に由来する。すなわち大韓帝国‐臨時政府‐大韓民国の流れが「正しい」と考える。
そのため、日韓基本条約では、植民地のことについて「もはや」「 」無効と言う言葉を使う。これはどちらの立場でも読める言葉なのである。そして日本の立場からは「経済援助」をした。合法だったのだから賠償はできないということである。請求権の問題も同様で、「完全に解決している」のだから応じられないということになる。ここでも「手続き」と「正しい」ことが衝突しているといえる。
◆異なることを前提に
続いて、韓国の高校生に対する希望として2つのことを述べる。まず、日本滞在中に友だちをつくってほしい。相手の考え方を聞けるようになって欲しい。できれば、将来日本に長期滞在して、日本の社会の発想を体感して欲しい。
二番目は、自分の文化について、相手に分かるように具体的に説明できるスキルを身につけてほしい。よく似ている文化だからなおさらなのである。例えば韓国のテンジャンは優秀だという話を聞いたことがある。だが、その説明では両者の素材、製法に違いはなく、味噌との違いはまったく分からなかった。実は、両者の工程は異なり、気候の違いから発酵のさせ方も異なるのだが、その説明がなかったために違いが伝わらなかったのだ。
同じことは、韓国の陶器の話を聞いたときにも感じた。工房に高校生を連れて行って、陶器の素晴らしさを説明したうえで陶器作り体験をしたのだが、はたして日本の陶器との違いは伝わったのだろうか。彼らの多くは日本で陶器作り体験をしているのである。
99年、前年の「日韓パートナーシップ宣言」を受けてソウルで行われた「日韓青少年交流フォーラム」に参加した。そこで『縮み思考の日本人』を著した李御寧氏が講演した。講演途中で、突然同時通訳者が退席してしまった。すると、李御寧氏ご自身が韓国語と日本語で語り始めた。まず韓国語で話し、続いて同じことを日本語で語ったのだが、単に日本語に置き換えるのではなく日本人に分かるように訳し直した。韓国人の文脈で話すのではなく、日本人の発想に合うよう置き換えていたのだ。このように韓国人の発想のまま韓国の素晴らしさを語るのではなく、日本人の発想に置き換えて語ることが大事なように思う。
日韓文化基金での話は、日韓の立場を入れ替えて話すことができるものである。相手の発想は自分の発想と同じでないのだから、異なることを前提に付き合っていくことが大切だ。日本、韓国とヨーロッパの発想、文化が異なることは誰にでも分かる。だが、日韓は似すぎているだけに異なることを忘れてしまい、つい自分たちの発想が通じると思ってしまう。兄弟げんかのようなものだが、兄弟は他人である。
日韓も異なる社会であるし、歴史的経験も異なる。それゆえ、単に相手の国の文化、歴史を知るだけでなく、その文化、歴史を相手の国の文脈、発想で知ることが大事なのだろうと思う。実は、そのことが自分の文化を意識することに繋がるのである。かつて教えた人が、最近偶然に韓国と関わるようになったのだが、盛んに日韓の異なる点について語っていた。本人は意識していなかったが、その話は日本のことにも目を向けないとできないものであった。
それでも日本と韓国はよく似ている国である。チェコへ旅行に行き、教会に入るために列に並んだとき、前後を韓国人と中国人の団体に挟まれた。韓国人の団体はとても物静かに整然と入場を待っていて、日本人の雰囲気によく似ていた。帰国便は大韓航空機だったが、男性客室乗務員の笑顔、物腰の柔らかさは「東洋、いや日韓なのだ」と思わせるものだった。似ていると思って帰ってきたのに、ソウルで感じたことは、やはり日韓は異なるということだった。
似ているのに異なる。それだからこそ、異なるところを意識しないと誤解が生じる。それが日本と韓国の関係なのだろうと思う。
(2020.01.01. 民団新聞)