掲載日 : [2017-07-12] 照会数 : 5423
〞努力すれば夢はかなう〟…陳昌鉉さんの遺品 故郷・金泉市へ寄贈
[ 市職員に遺作「金泉号」の音色を披露する夫人の李南伊さん ] [ バイオリンの昌鼓さん(左)と弓の昌龍さん ]
バイオリン製作の偉業伝える工具など
世界的に著名なバイオリン製作者、故・陳昌鉉さん(享年82)が生前愛用した工具類など遺品数百点がこのほど、故郷の慶尚北道金泉市に寄贈された。遺族で夫人の李南伊さんは昨年12月に訪韓し、同市との間で協約書を交わしていた。市は2019年の竣工をめざして市内に建設する「甘文国歴史文化展示館」内にコーナーを設け、永久保存する。
金泉市からは職員2人が6月25〜28日まで4日間の日程で来日し、東京・調布市のJIN工房(陳バイオリン工房)で遺族立ち会いのもと、遺品の確認と荷造り作業を行った。
陳さんと2人3脚で名器ストラディバリの音を再現するという夢を追い続けてきた夫人の李さんは、「主人の志を無駄にしたくなかった。あきらめずに努力すれば、必ず夢はかなえられるということを韓国の若者たちに伝えたかった」と寄贈に至った理由を述べた。
陳さんが1976年、アメリカ・フィラデルフィアで開催された「国際バイオリン・ビオラ・チェロ製作者コンクール」で6部門中5部門の金メダルを獲得し、アメリカバイオリン製作者協会から世界に5人だけの「無鑑査マスター・メーカー」の称号を贈られたのも「不可能」といわれた夢を最後まで追い続けてきたからこそだった。
陳さんの強い意志「パワー」を感じ取ってもらおうと、李さんは、陳さんが生前、記念に残した鋳でつくられた手型のプレートを観覧者が直接手にとって触れられるようにしてほしいと要請した。
また、展示館を訪れる将来を担う若者たちへ託す言葉として「知識と技術は宝物」としたためたメッセージカードを作った。
展示館がオープンしたおりには、陳さんが最後に製作した遺作のバイオリンを「金泉号」として市に伝達する。すでに58年と60年の初期の作品は協約書を交わしたときに寄贈してある。今回の「金泉号」がそろうことで「ストーリーが完成する」(李さん)。
李さんが陳さんと出会ったのは、日本有数の弦楽器生産地であった長野県の木曽福島(現木曽町)。陳さんがここに丸太小屋を建て、バイオリンづくりを志して独学を始めたときのことだ。道具の仕入れ先で李さんを見初めた。結婚後、陳さんはバイオリンができあがると李さんに微妙な音色の診断を頼んだ。李さんは陳さんと歩んだ半生を振り返り、「暗中模索‐無我夢中‐すべてに感謝が、私と主人が歩んだ人生3楽章」と振り返った。
陳さんは慶尚北道金泉郡(金泉市)出身。14歳で来日、明治大学英文科に入学した。在学中、著名な航空工学者でバイオリン研究者でもあった糸川英夫博士の講演会から「名器ストラデイバリウスの音の解明は永遠になぞであり、人間の力が及ばないもの」と聞き、一念発起してバイオリン製作者の道に進んだ。05年、木曽町名誉町民となった。08年韓国政府から国民勲章無窮花章受章。
兄弟力合わせて遺志継いでいく
陳さん亡き後、2人の子息が後継者としてJIN工房を引き継いでいる。バイオリンは長男の昌鼓さん(55)、弓は次男の昌龍さん(50)。
昌鼓さんは生前、陳さんから薫陶を受けた。材料は100年近く経過した古材を使用している。
弟の昌龍さんは高校卒業後、米国ニューヨークで3年間修行した。その腕前は史上最年少の若さでチャイコフスキー国際コンクールを制したバイオリニスト、諏訪内晶子さんも認めたという。
陳さんが追い求めた夢はふたりの子息がしっかり引き継いでいる。
(2017.7.12 民団新聞)