ハルモニたちと楽しく教室
在日2世の金秀蓮さん
韓国で大韓民国韓紙振興協会マイスター師範と、国立民族博物館韓紙工芸部門修了証を取得した在日韓国人2世の韓紙工芸家、金秀蓮さん(61)。2018年1月、韓紙工房「秀蓮工房」(東京・品川区)を構え、指導に当たりながら自身の作品作りに精を出す。韓国で本格的に韓紙工芸を習ったのは、最初に日本で韓紙工芸を学んだが満足できなかったため、「韓国できちんと習った伝統工芸の技法を日本で伝えていきたい」という思いからだ。
工房のドアを開けて目に飛び込んできたのは、「夕焼けをイメージして、扉から光が漏れるようなデザインをした」という「ノウルヨダジコシルチャン」だ。
ノウルは夕焼けのこと、ヨダジは観音開きを指し、コシルチャンは居間に置くたんすという意味になる。上部は「円形棚」になっており、直線と曲線が織りなすフォルムの美しさとアンティーク調の風合いが楽しめる。表面には金さんが得意とする技法の一つ、小刀で切り抜いた伝統文様が施されている。
「秀蓮工房」には、師範クラスと趣味クラスがある。師範クラスは初級から上級まで約2年半をかけて学ぶ。これまで師範クラスを修了したのは4人。うち1人は工房を作って指導しており、もう一人は仕事の合間を縫って、子どもたちやサークルで教えている。
趣味クラスには、在日のハルモニを含む5人が通っている。このクラスを設けたのは、若い頃から働きづめで、70歳を過ぎてようやく自分の時間が持てるようになったハルモニたちが、これまで触れる機会のなかった自国の伝統工芸に興味を持ち始めたからだ。
「今からでもやりたいという要望があった。趣味クラスを始めたら、この年になって、こういうことができてうれしいと喜んでくれている」
「最初は先輩なので気を使っていましたが、自分たち同士でやり方を教えているので面白いですよ」。頃合いを見て基本から教えるそうだが、「とても楽しい」とハルモニたちと過ごすことに充実感を感じているようだ。
東京出身。25年前、韓国に行った時のことだ。夕暮れ時に仁寺洞の土産屋にたくさんの韓紙工芸のライトがともっていた。その幻想的な美しさに心が惹かれたという。
その後、日本ではドラマ「冬のソナタ」をきっかけに韓流ブームが起こり、多くの日本人女性が韓国を訪れた。その中には韓国工芸を習い、日本で教室を開いた人もいたという。
当時、日本で韓紙工芸を習えるという友人の話を聞き、日本での韓紙工芸教室のことを知る。パートタイムの仕事や母親の介護などをやり繰りして始めた韓紙工芸は、楽しくて夢中になった。
最初は手鏡や鉛筆立てといった小物から始めた。難易度が上がり、先生に質問をすると「これでいいんじゃない」という曖昧な返事が何度も続いた。同時に通っていた他の韓紙工芸教室も似たようなものだった。
55歳で挑戦…韓日往復を繰り返し
「これではだめだと思った。ただ紙を貼ればいいと教えていたら、韓紙工芸そのものの歴史も分からないし、伝統文様などの名前も分からない。私がきちんと習ってこようと思った」。55歳の時だ。
2015年から1年間、ソウルにある韓国韓紙振興協会マイスター師範コースで学び、16年から国立民族博物館でも韓紙工芸のユン・ソヒョン名人から指導を受けた。当初、日本で1年間習ったと自負していたが、全く通用しなかったという。
同協会では、師範を取得するまでに通常2年半をかけて作品を作るが、金さんは最短記録の1年で38作品を制作。マイスター師範では、難易度の高い大型家具8作品を1年かけて作り上げた。
この間、家を長く空けられないと、韓国に10日間滞在して日本に戻り、再び10日間、韓国へ行くという生活を繰り返した。
そんな金さんに個人レッスンを買って出たのはユン名人だ。朝から終電までレッスンを受けるのは当たり前。後半になると10日間のうち7日目くらいからは、体がついていかず寝込むこともあった。
1年が過ぎたある日、ユン名人から第17回大韓民国韓紙大典(原州大会)への出展を勧められる。その時の作品は、男性の部屋であるサランバンの壁にかけて書類を入れる「コビ」だ。
根を詰めすぎ救急車で搬送
1組(2作品)で、いずれもサイズは横28センチ、縦101センチ。デザインを手がけたユン名人は、金さんに「自分の気を入れるように」と制作に集中させた。
最も難しいとされる文様カットは、1時間かけても1列が終わらないほど細かい作業だった。このカットだけで200時間以上を費やした。「本当に命を削った」。根を詰めすぎて、救急車で運ばれたこともあった。
この作品で特選を受賞した金さんは「日本に住んでいる自分が賞を取れて嬉しかった」と、これまでの努力が認められた喜びを語り、同時に創作意欲が高まったという。
基本を忠実に
工房では生徒たちに、自らの経験や数々の失敗も含めて細かく教えている。例えば、貼り方でも他の教室では、韓紙の糊しろをカッターナイフで切り、継ぎ目が丸見えのことが多い。だが金さんは、継ぎ目が見えないように工夫している。
「本当はこう貼るけど、こう貼ったほうが断然きれいに見えるよ」と話すと、みんながそのようにやってくれる。
日本では、一般に市販されているキットを買って教えている教室が多いのも事実。「それはあくまでキットの貼り方なので、本当のやり方とは違う。韓国の伝統工芸を適当に教えているのは悲しい」という。
以前、金さんがSNSにアップした作品と同じような作品が、他の韓紙工芸作家のブログにアップされていた。もっとひどいのは、オリジナルで考えた一つひとつの部品まで、他の工芸教室のレッスンで教えていた例もあるという。
金さんは「多くの人は作品を見て、韓国の伝統工芸だと思う。伝統的な技法を後世へ伝えていくために、教える人の責任は重大だと思う」と韓紙工芸家の姿勢について言及した。
「私もまだ100パーセントではないけれども、日本にいる中では誰よりも学べたことに感謝している」
文様カットや脱色技法などを駆使しながら、人々を魅了する作品を手がけている金さんの希望は、今まで通り基本を忠実に教えていき、きちんと伝承していく人が増えていくことだ。
工房には知り合いから譲り受けた朝鮮時代の朱塗の箱(チュチルハム)が、金さんが制作した台座の上に置かれている。150年にも及ぶ長い年月の経過で、当時の鮮やかな色はあせてしまったが、金さんは「いつか、この箱を再現したい」と意欲を見せた。