青年会中央本部(李将浩会長)は在日韓国人青年の実態や価値観を多角的に把握し、今後の組織運営や多文化共生社会を生きる人々にとっての手がかりとするため、「在日韓国人青年生活史調査」を実施している。
本研究では、現代的な潮流を踏まえて、在日韓国人青年のアイデンティティ形成過程や生きづらさに注目した。そして、これら2点をめぐる語りを踏まえたうえで、現代の在日韓国人青年にとって青年会といった民族団体がいかなる意義を持つのかという点に迫る。
A氏:在日としてのアイデンティティってくくられると疑問があって、やっぱり今でも思うのは単純に母親が韓国人。アイデンティティがあるかないかって言われたら、ない。なにか1つ名前とか、韓国って分かるものがあればまたちょっと違う認識だったかもしれないですけど。
「在日としてのアイデンティティはありますか」という質問に対して、A氏は上記のように答えた。
一方、A氏は地方本部や中央本部で執行部として活躍してきたという背景がある。アイデンティティが希薄であるにもかかわらず、なぜA氏は青年会の活動に強くコミットするのだろうか。
A氏は東北地方で生まれた現在20代後半の女性である。父親が日本人で母親が韓国人のダブルで、彼女の国籍は日本である。兄が2名、妹と弟が1名ずついる。母親は父親と結婚する際に日本にやってきたという。彼女は母親について「ザ・韓国人って感じでスキンシップもすごいし、言葉も、すごくポジティブな言葉ばかり言う人」だと語る。
自身が韓国にルーツがあることを知ったのは小学3年生くらいのころだったという。新規定住者の子どもの場合、授業参観に親が来るのが恥ずかしかった、という語りを聞くことが少なくない。子どもが、片言の日本語を話す親をコンプレックスに感じる場合がしばしばあるからだ。しかし、A氏の場合はそのようなことはなかったようだ。「うちの母親ってやっぱり天然で、私が授業参観で寝ていたりすると、『起きて』ってボールペンで叩かれたり」と語る姿には、母親をコンプレックスに感じている様子は一切示されていない。
高校卒業後、A氏は地元の企業に就職する。A氏が初めて青年会に参加したイベントは4月のお花見であった。彼女はその時のことを「楽しかった」と振り返る。この感想は月並みであるが、当時の彼女の状況を踏まえると見え方が変わる。というのは、彼女が就職した会社の先輩に韓国を嫌う人がおり、「韓国が嫌いって話をずっと聞かされていた」という背景があるからだ。彼女はそれに対して、「やっぱり親には言えない。心配もさせるし」と思う一方で、「周りには日本人の友だちしかいないので話しても『大変だね』って感じで、共感っていう感じではなかった」という。そのなかで青年会は「悩みを聞いてくれるし、共感してくれる場があるんだってなりました」という。加えて、「高校生と社会人の〔周囲の環境の〕変わりっぷりが私にとって大きくて、韓国についてバーッて言われて、けなされるみたいな感覚が初めてで。それを同じ境遇で共感できる場があったっていうのは自分のなかですごくプラス」だったともいう。つまり、彼女にとって青年会は、親には話せないが、在日韓国人でなければ理解できない悩みを共有し、共感し合える場として機能していたのである。
A氏:〔A氏が副会長を務めていた時期に〕母親が病気になって、私が22歳の時に亡くなっているんですね。母親が亡くなる前にやっぱ私が副会長していたので、「多分そのうち会長になるんじゃないかな」って私が話していたら、「会長ってかっこいいよ。ママはやってほしい」って言っていたので。なんだろ、その言葉が後押ししてくれたというか。母親に対する恩返しじゃないですけど、そんなこと言っていたなみたいな。
母親はすごい愛情、愛にあふれた人だったので私もすごく大好きで、家族もみんな、大好きで。多分、母親が韓国人だったとしても、もし嫌な母親だったら全然、感じ方とかは変わっていると思いますし、そういう意味で、母親が韓国人でよかったなというか、母親が母親でよかったな。本当にこの人でよかったな。この人が韓国人でよかったなっていうのはすごく感じます。
A氏の生活史を民族という観点から眺めると、「愛情」ともいえる感情がキーワードとなっている。幼い時からよくしてもらった先輩への愛情、社会人になったばかりのころに悩みを共感してくれた人びとへの愛情、そして母親への愛情。「国家」や「民族」といった抽象的な共同体ではなく、日々の暮らしのなかで育まれた他者への愛情が、現在の彼女の民族に対する肯定的な感覚を支えているのである。