掲載日 : [2023-04-19] 照会数 : 2483
「民団生活相談センター」所長 金昭夫さん、苦闘の半生を自伝に
[ 自伝について語ってる金所長 ]
貧困家庭…事業に成功…余生は社会貢献
在日韓国人2世の金昭夫さん(77、「民団生活相談センター」所長)が、東京・新宿を基盤とする一大企業グループを築いた半生をノンフィクション『恩送りの人生』(四六版182㌻)としてまとめ、新潮社図書編集室から出版した。同書のなかで、これからの人生を日本と韓国での社会貢献活動に捧げると宣言した。金さんは動機について「これまでお世話になった個々の人たちばかりか、社会に少しでも恩返しできたら」と話している。
一家心中図る母を止め
金さんは昨年4月、児童養護施設「あけの星学園」(東京・新宿)で暮らす子どもたちのために「金嶋昭夫基金」を設立、1000万円を寄付した。家庭の事情で両親から離れて一人で暮らす子どもたちが成人を迎えて卒園する際には基金から「新成人お祝い金」として5万円が贈られる。
卒園者は毎年約20人を数えるため、1年で100万円。1000万円あればこれから10年間続けられるという計算だ。金さんは「両親に捨てられたとしても、決して社会は自分を見捨てはしないんだと。そんなふうに考えてほしいと思った」と本書に記している。
今後、基金を1年に1カ所ずつ増やし、最終的には全国13カ所で創設していく。6月には金さんが生まれ育った茨城県でも同基金を創設する。
金さんが寄付対象に児童養護施設を選んだのは、施設の子供たちに自分自身の姿を重ねたからだ。
著書によれば、金さんは茨城県北西部にある下館町生まれ。上に姉と兄、下には妹と弟が2人いた。父親は一日中酒に依存する毎日。給食費も払えず、空腹は水道水で紛らわしていた。道端に落ちていた泥まみれの白いナフタリンを「飴玉」だと勘違いして口に入れてしまったほど。
必死に家計を支えてきた母親は疲れ果て、一家心中を図ろうとする。それを必死に止めたのが金さんだった。「母が思いとどまってくれなかったら自分は死んでいたかもしれない。母だけ死んでいたら、母が育児を放棄してしまったら、自分は養護施設で育ったかもしれない」
金さんの社会貢献活動は毎年10月、在日同胞の1世とその家族10数人を引率して故郷の慶尚南道晋州市を訪問してきたことから始まる。旅費は金さんが会長を務める「晋州郷友会」で一部を負担している。
金さんは25年前の会長就任当時から訪問の都度、市に多額の寄付を続けている。
これはいまでも「大切なライフワークの一つ」だ。「晋州郷友会」として市を訪問している間は寄付を継続していく。これも「恩送り」だからこそ。
金さんはこうした功績が認められ、19年に国立慶南科学技術大学校から名誉経営学博士の学位、22年には晋州市名誉市民の称号を贈られた。
カラオケルームがヒット
金さんは持ち前の負けん気でカラオケルーム、飲食、遊技、不動産などの事業を次々と成功させ、一代で今日の「金嶋観光グループ」の礎を築いた。原動力としたのは幼いころに味わった想像を絶する貧困と学歴コンプレックスだった。
事業は「直感」と「即断即決」を大事にしている。リスクは当然あるものの、「うまくいかなければうまくいくことを考える」と楽感的。いまだに「どんな事業でも成功させる自信がある」と言い切る。
スタートは雨漏りのする神奈川県相模原市内のバラック小屋を借り、夫唱婦随で始めた「焼き肉屋兼焼き鳥屋」だった。金さんは当時21歳。素人でもすぐに始められる商売はほかに考えつかなかったのだという。
商売は順調だったが、機を見るに敏な金さんは酒を提供するバーに業種転換。さらに新宿に進出してキャバレー、さらに安価で楽しめる「パブコンパ」のアイデアを考えるなど商売替えを繰り返してきた。ここでも「直感」と「即断即決」を貫き、事業を成功させてきた。
決定的だったのは東京の池袋で開設した日本初のカラオケルーム「個室居酒屋」の成功だった。防音設備の整ったこじんまりとした部屋で誰にも気兼ねすることなく歌えるというアイデアは、シャイな日本人にぴったりだった。現在も9店舗で運営し、個室居酒屋(隠れ家)などとともに金嶋観光グループの中核事業の一つとなっている。
プロ歌手として施設の慰問も
金さんは事業家としてだけでなく、プロ歌手としても社会貢献活動を行っている。各地の介護施設などで無料ライブを行い、デビュー曲の「新宿しぐれ」のほか、金さんが愛してやまない春日八郎や三橋美智也、村田英雄などの「ど演歌」を歌う。お年寄りは涙を流して喜んでいるという。
3月28日には新宿伊勢丹会館で第2弾「大阪たずね恋」(作詞・石原信一、作曲・岡千秋)の発表会を行った。招待された金嶋観光グループの従業員一同は立ち上がって金さんにエールを送り、感動させていた。
金さんは茨城県の介護施設で歌っていたところをたまたまあるプロダクションからスカウトされ、76歳の昨年、日本コロムビアからレコードデビューしたばかり。
金さんは「これからも歌を通じてお年寄りの方々に勇気と希望、喜びを届けたい」と話している。
(2023.4.19民団新聞)