「歴史に刻む会」 2013年2月の着工めざす
【山口】解放前、海底陥落による海水進入によって同胞137人を含む少なくとも183人の犠牲者を出した宇部市の長生炭鉱で、有志が追悼碑建立への協力を呼びかけている。土地は09年4月、事故現場の東の住宅地に約300平方㍍を確保した。建立費用は2000万円を目標に市民からの募金でまかなう予定だ。
「強制連行」の事実伝える
追悼碑の建立を呼びかけているのは91年結成の「長生炭鉱の〞水非常〟を歴史に刻む会」(山口武信代表)。犠牲者の調査活動と並行しながら翌年からは毎年、事故発生の2月3日前後に現地で追悼式を重ねてきた。93年以降は韓国からも遺族を招いている。
「追悼碑」は遺物としていまも海の中に立つ2本のピーヤ(排気・排水坑)をイメージしている。左を「日本人犠牲者の碑」、右を「朝鮮人犠牲者の碑」とし、ピーヤの下を走る坑道で眠る犠牲者の名前を献花台に刻むことにしている。遅くとも13年2月の追悼式までの着工を目指す。
碑には韓半島から「日本の植民地政策のために土地・財産などを失い、やむなく日本に仕事を求めて渡ってきたり、あるいは労働力として強制的に連行されてきた」事実を記す。同会は「戦争の謝罪と反省をきちんとして真の平和と友好につなげていきたかったから」と話している。
旧長生炭鉱本坑口近くには「長生炭鉱受難者之碑」が建っている。碑には犠牲者183人の氏名はなく、韓半島からやむをえない事情でやってきた同胞がここで不慮の犠牲となった事実を知るすべはない。「刻む会」の山口代表は、「この慰霊碑の存在自体を否定するものではない。尊重はするが、不十分だ」と話している。
「刻む会」の呼びかけに応え、加藤登紀子さんがチャリティーコンサートを開く。9月25日午後3時30分から宇部市渡辺翁記念会館で。駐広島総領事館と民団山口本部でも側面から協力を約束している。
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碑建立へ募金
「刻む会」は追悼碑建立の賛同者を募っている。基金の振込先はゆうちょ銀行 口座番号01370‐9‐98603「長生炭鉱水没事故犠牲者追悼碑建立募金」。事務局は〒755‐0031 山口県宇部市常盤町宇部緑橋教会内(℡0836・21・8003)。
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海中で1日20時間労働も
宇部は臨海炭鉱地という地理的条件からかつてはたくさんの炭鉱があった。日本が太平洋戦争に突入するとにわかに石炭の需要が高まり、長生炭鉱は、戦時労働力の不足をいち早く韓半島からの「募集」や徴用でまかなった。このため一部で「朝鮮炭鉱」とも呼ばれた。
「刻む会」によれば、韓半島から導入した労働者の数は、1939年から42年までに1258人にのぼった。炭鉱では石炭産業の中でいちばんきつい現場に動員・配置された。普段は脱走を防ぐため、周囲3・6㍍の高さの板塀に囲まれた寮に収容され、自由に外出できる状況ではなかった。
当時の炭鉱労働監督官によれば、「長生炭鉱は海中にあったため非常に危険だったが、無理に作業させた。当時、朝鮮人はおにぎり、たくあん漬け、塩の汁で食事を済ませ、1日12時間の労働が基本。20時間以上働くこともあった」。
にもかかわらず、この多くの人たちの給料は、現金よりも強制貯金や金券の占める率が高かったという。
長生炭鉱は42年2月3日午前6時、坑内現場事務所から150㍍ばかり離れた場所で異常出水のため水没した。
(2011.8.15 民団新聞)