掲載日 : [2018-05-16] 照会数 : 5830
運命の出会い「飲食知味方」…今に続く味の源流
[ 張桂香の肖像画 ]
[ 貴紛さん(右)から料理を伝授され英陽郡から証書を授与された趙善玉さん ]
[ ドゥドゥル村の飲食知味方体験館で味わえる再現料理 ]
朝鮮朝時代の両班宗婦・張桂香の著作
韓国料理研究家の趙善玉さん「広く伝えることが使命」
料理の世界に身を投じて20年になる韓国料理研究家の趙善玉さんは、近年、運命だと感じる料理に出会った。『飲食知味方(飲食の味を知る方法)』は1670年頃の朝鮮朝時代に、両班家庭の宗婦(本家の長男の嫁)だった張桂香(1598〜1680)が、宗家料理の味を娘や嫁に伝えるためにハングルで書いた最初の料理書だ。「料理法、味付け、そして張桂香先生の生き方にほれ込んだ」と話す趙さんは昨年、第1号の弟子として、この料理を継承する張桂香の子孫の嫁、石渓谷宗家第13代宗婦の貴紛さんから学んだ。
1960年、慶尚北道にある朝鮮朝後期の学者の古宅から発見された『飲食知味方』は、麺餅類、魚肉類、野菜類、汁物、酒類他146種類におよぶ調理法が食品保管方法などと一緒に記述されている。
張桂香が同書を執筆したのは、慶尚北道英陽郡のドゥドゥル村に暮らしていた74歳の時。巻末に「よく見えない目でこの本を書いた意味を理解してほしい。嫁に行く娘は自分で書き写しても、この本は絶対持っていくな」と記した。
料理書を門外不出にした理由について趙さんは「『飲食知味方』には、たくさんの方々にこの料理のおいしさを広めていきなさいという意味がある」と説明する。
ハングルで書いたのは、漢字の読み書きができない庶民たちのためであり、誰もが作れるようにという思いからだった。
張桂香には多くの逸話がある。生活に窮する人や孤児など頼るところのない人々を誰にも分らないように全力で助けたのは、その一例だ。善行を積むことに重きを置いた張桂香の生き方である。
趙さんはこれまでに韓日の薬膳料理、宮中料理、日本、フランス料理などを学んだ。16年3月には埼玉・日高市の高麗神社の高麗文康宮司から依頼され、高麗時代の再現料理を味わうイベントで発酵料理を中心とした約20品を作った。
同年5月、ドゥドゥル村で初めて『飲食知味方』の料理を食べる機会を得た。驚いたのは、2カ月前に自身が苦労して作った高麗料理と似た料理があったからだ。
「朝鮮朝時代の食べ物は、高麗時代から引き継がれ、少しずつ発達しました。『飲食知味方』の料理を見た時に、高麗時代とそんなに変わらないことが分かり、これまでの料理人生で初めて胸の高鳴りを覚えました」
帰日後も料理が頭から離れず、同年7月、再びドゥドゥル村に向かった。その後、英陽郡の権英澤郡守に仲立ちしてもらい、17年1月にさんからすべての料理を習う初の弟子となった。
基本調味料はしょうゆ、ゴマ油、コショウ、サンショウで、唐辛子は全く使われていない。
現在、いろいろな料理研究家たちが料理書を見て作っているが「それは根っこのない再現料理でしかない。私は代々受け継がれてきた根っこのある料理をやりたかった。それは張桂香先生の精神とか思い、歴史などを学んだ上でのことです」。 昨年、韓国で開催された国際料理大会で「飲食知味方」をテーマに、料理を伝授してきた弟子たちとともに出場し、大賞とソウル市長の特別賞を受賞した。
弟子たちが育った時点で裏方に回ろうと思っていた。そんな時に出会ったのが『飲食知味方』だ。知らない世界があることに気づかされた。
張桂香が料理書を書いたのは、料理を万人に伝えるため。「『飲食知味方』は誰のものでもなく韓国の料理であり、ひとつの文化、歴史として皆さんが平和な気持ちで作られる料理だと思った」
「『飲食知味方』は第2の人生を送るために出会ったのかなって思います。私が幸せを感じた料理であったように、みなさんにもこの幸せな料理を伝えたい」
次号から始まる趙善玉さんの連載「『飲食知味方』の世界」では、料理とコラムを紹介する。
(2018.05.16 民団新聞)