近代化・高速化の波が押し寄せている韓国の鉄道。線形改良によるルート変更によって、多数の昔懐かしい駅が失われた。文化財として登録された駅も次々とお役御免となり、多くはぽつんと駅舎だけが保存されている。
そんな中で、奇跡的に現役で生き残りそうな駅がある。蔚山広域市の郊外にある、東海南部線南倉駅だ。
南倉駅は、1935年に東海南部線の全通と同時に開業した。駅舎は、開業当時から使われている木造駅舎。日本によって建設された駅だが、駅舎の入口に切妻屋根を設けず、ひさしのみを置いた、韓半島でよく見られるスタイルだ。一方線路側にまわると、二つの切妻屋根をずらして重ねた、珍しい構造を備えている。駅舎側面上部に見える丸窓は、昭和初期に日本で流行した意匠。2002年に全面的な改修が行われたが、基本的な駅の構造は保存され、2004年には大韓民国近代文化遺産として登録文化財105号に登録された。2018年現在、韓国で文化財登録された駅舎は全部で24カ所あるが、南倉駅は現役の駅として初めて登録された駅である。駅の隣に、かつて鉄道職員の住宅として使われた建物が現存しているのも興味深い。
蔚山広域市南部の平野に位置する南倉の集落は、土地が肥沃で昔から農業が盛んな地域だ。開業当時は駅に隣接して穀物倉庫が置かれ、貨物列車が頻繁に発着したという。今では貨物は取り扱っていないが、毎月3と8の付く日には駅のすぐ近くで市場が開かれている。
駅前から、715番のバスに乗って20分ほど。海水浴場で有名な鎮下(ジナ)を訪れよう。バスを降りて集落の山側に目を向けると、日本で暮らす人には見慣れた、しかし違和感を感じる光景が見えるはずだ。武者返しのある反り返った石垣。ひと目で、日本の城の石垣とわかるだろう。
ここは、西生浦倭城。壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮侵略)の際、加藤清正が築いた城郭の跡だ。石垣は、当時の海岸から山頂まで取り囲むように続いており、日本の軍勢の多くが、ここから韓半島に上陸した。
山頂には、本丸の石垣がほぼ完全な形で残る。天守などの建築はすべて失われたが、その構造はまさしく日本の城だ。日本に残る城跡は、ほとんどが江戸時代に幕府の威光を示す施設に作り変えられたものだが、西生浦倭城は、戦闘用城郭の構造をよく残している。そのため、日本の城郭研究の貴重な資料になっているというのが皮肉だ。春には本丸跡に桜が咲き誇り、鎮下の穏やかな海岸も見晴らせる。その美しさに、心が痛む。
日韓に横たわる歴史を、近代、そして戦国時代の両面から観察できる南倉駅。ここを通る東海南部線では、ご多分に漏れず複線電化工事が進行中だ。完成すれば、釜山広域市の釜田駅と、蔚山広域市の太和江駅の間を地下鉄と同じ近代的な通勤電車が走る。半分以上の区間が直線とトンネル主体の路線に作り直され、途中駅も多くが移転あるいは新設される。
そんな中、南倉駅周辺の区間は幸運にも移転を免れた。文化財に登録された駅舎は、今後も町の玄関であり続けるだろう。もっとも、昔ながらの客車列車が発着する光景を見られるのはあとわずか。釜田駅から1時間弱と手軽な場所にあるので、今のうちに訪れておきたい。
栗原景(フォトライター)