掲載日 : [2021-01-16] 照会数 : 13269
<寄稿>南北赤十字会談開始から50年…有名無実の「離散家族」合意<上>
[ 南北離散家族再会のための南北赤十字会談に向けて、1971年8月20日に板門店の中立国監視委員会会議室で行われた南・北赤十字要員(双方2人ずつ)による初めての接触 ]
未だに常時再会・墓参許されず
南北分断と6・25韓国戦争(1950年6月~53年7月)によって生じた離散家族は3世代まで含めて約1000万人にのぼる(統一部推計。韓国に676万人、北韓に約300万人)。その常時再会・相互訪問・再結合問題は、最優先的に解決されなければならない「南北間最大の人道・人権問題」である。休戦から68年、同問題解決のための南北赤十字会談(協議)が開始されてから50年になる。南北初の首脳会談(金大中・金正日)により「わが民族同士」の理念を基本精神とする「6・15南北共同宣言」(2000年)が発表されてからもすでに21年。しかし、これまでに再会できた離散家族はごく一部にすぎない。高齢化により再会を果たせずに亡くなる離散1世が後を絶たず、残り少ない時間との厳しい闘いとなっている。いまだに南北離散家族の故郷訪問・墓参はもとより、安否確認など手紙の交換すらできない。(文中、一部敬称略)
◆南北間「最大の人道・人権問題」
今日、離散家族が自由に再会したくてもできない同族国家は、唯一、韓国・北韓だけである。韓半島周辺・関連大国の反対や妨害のためではない。南北首脳間の度重なる合意・宣言・約束にもかかわらず、北側最高指導者(金日成主席→金正日国防委員長→金正恩国務委員長)が、政治的前提条件を付けたり「見返り」を求めて履行を遅延させてきたためだ。
2018年4月の文在寅・金正恩「韓半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」発表後も、問題の根本的解決へ「離散家族の常時再会・相互訪問・再結合」の実現に向けた南北協議は一度もなされていない。「同胞愛」と「わが民族同士助け合い」の精神はどこに行ってしまったのか。「わが民族同士」「民族自主」主張の真実性が問われている。
そもそも「南北離散家族と親族間の自由な訪問と自由な再会および家族の再結合」は、朴正煕・金日成時代の1972年7月の「7・4南北共同声明」発表に先立つ、71年8月に大韓赤十字社が北・朝鮮赤十字会に「1千万離散家族再会運動」に向けた会談を提案して始まった南北赤十字間合意および「7・4南北共同声明」(第4項=現在全民族の絶大な期待のうちに進行している南北赤十字会談が、一日も早く成功するよう積極的に協調することに合意した)に基づき72年8月から開始された南北赤十字本会談で正式合意を見ていたものだ。
「離散家族の一部再会・対面」が実現したのはそれから13年も後のことだった。
85年9月、解放40周年を期して南北双方の赤十字社総裁(会長)引率のもと「南北離散家族故郷訪問・芸術団公演」という形で、南北からそれぞれ離散家族50人・芸術団50人・赤十字職員20人・報道陣30人が板門店経由で平壌とソウルを相互訪問した。
だが、ソウルでも平壌でも離散家族は水入らずの対面はかなわなかった。しかも1回限りの訪問で終わった。
2回目の離散家族再会が実施されたのは、それからさらに15年後だった。2000年6月の南北初首脳会談で発表された「6・15共同宣言」(第3項=離散家族・親族訪問問題を支援するなど、人道的問題を早急に解決していく)に基づき同年8月、平壌・ソウル同時相互訪問(特別機運航)の形で行われた。
南北それぞれ100人からなり、3泊4日の日程で平壌・ソウル市内のホテルで対面した。しかし離散家族たちの行動は厳しく管理され、再会した家族同士の外出や、故郷訪問や墓参なども一切許されなかった。4日間で離散家族同士が再会できた時間はわずか10時間だった。
ちなみに、「6・15共同宣言」での離散家族再会問題合意は、金大中大統領が「最も急がなければならない課題」として重視し、生死確認と手紙のやりとり、面会所の設置による再会の定例化、自由意思による再結合の推進を強調したことによる。
金大統領は、就任直後の「読売新聞」との記者会見(98年3月)で、「50年以上もお互いに生死も分からない。そして離散家族はどんどん老けていく。毎日毎日この世を去っていく。(南北)両方の政権が離散家族の問題を解決しないというのは、人道的立場からもとうてい許されないことだ。ほかのことは後回しにしても、これは後回しにできない問題だ」と強調していた。
◆金剛山での監視下の対面に限定
再会場所は、その後、北側の要求により2002年4月の第4回から交通が不便な北韓内の金剛山地区に変更され、南北の申請者が前後して面会を果たす方式になった。以後、金剛山での再会事業は、まず韓国側が再開継続を要求し、北側がその時々の事情により応じたり応じなかったりするという形で行われた。2泊3日(当初は3泊4日)の日程で団体・個別・参観・お別れと共同夕食会および昼食会からなる。
いずれも北側による厳しい制限・監視下の再会で、家族同士の宿泊は許されなかった。互いに別れを惜しみ、長生きしてまた会おうと涙にくれながら誓い合うが、現実には、再び会うことも手紙の交換もできない。「残忍な家族再会」と称される所以である。
2007年10月の盧武鉉・金正日「10・4共同宣言」(南北関係の発展・平和・繁栄のための宣言)でも「人道主義協力事業の積極推進」をうたっている。
両首脳は「離ればなれになった家族と親戚の再会を拡大し、ビデオレター交換事業を推進すること」にし、このために「金剛山面会所が完工し次第、双方の代表を常駐させ、離ればなれになった家族と親戚の再会を常時行う」ことに合意した。
金剛山面会所は韓国側の資金で翌08年7月に設けられた。離散家族の苦痛を少しでも軽減するためには、再会場所を不便な金剛山地区に限定せず、しかも1人でも多くが早い時期に自由に再会できるようにすることが必要だ。高齢化が進み親や兄弟など近い家族と会えるケースは激減している。「せめて死ぬ前に家族と会いたい。可能ならば故郷を訪問し両親の墓参りをしたい」という離散1世の願いを早急にかなえてやらなければならない。
◆「9・19平壌共同宣言」も不履行
再会事業は、金大中政権時期に6回、盧武鉉政権時期に17回(うち7回はテレビ電話再会)、李明博政権時期に2回、朴槿恵政権時期に2回行われた。
李明博大統領は①離散家族交流事業はいかなる政治的事案にも関係なく進めるとの人道主義精神の尊重②全面的な生死確認と常時面会、ビデオレターの交換、故郷訪問など根本的解決を主張。09年8月の「国民との対話」では「南北対話が再開されれば70歳以上の離散家族が南北自由往来できるよう最優先的に努力する」と表明した。
朴槿恵大統領も、「(高齢の)離散家族には時間がない。生存している離散家族が対面するためには毎年6000人以上が再会行事に参加しなければならない」と指摘、根本的な対策の必要性を強調。2014年の「第95周年3・1節記念式典」演説で北側に再会行事の定例化を改めて提案した。
しかし、北側が応じることはなく、15年10月の金剛山での離散家族再会をもってストップしていた。
2018年の文在寅・金正恩「4・27板門店宣言」は「民族分断により発生した人道問題を至急解決するために努力し、南北赤十字会談を開催して離散家族・親戚再会をはじめとする諸問題を協議、解決していくこと」を明記。同年8月15日を契機に約3年ぶりに金剛山で離散家族・親戚の再会が行われた。
そして、9月の文在寅・金正恩「9・19平壌共同宣言」では「離散家族問題を根本的に解決するために人道的な協力をいっそう強化していく」ことを確認し、①金剛山地区の離散家族常設面会所の早期開所へ、面会所施設を速やかに復旧する②赤十字会談を通じ、離散家族の画像(オンライン)再会とビデオレターを交換する問題を優先的に解決していく--ことを約束した。にもかかわらず「約束」は、いまだに実行されていない。
朴容正・元民団新聞編集委員
(2021.01.15 民団新聞)