『韓国・朝鮮の知を読む』野間秀樹編今秋刊行
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おぼろげな文化接近法
高度な翻訳こそ触媒に
韓国の文化がこれほど世界で共にされている時代は、過去のどこにもなかった。Kポップの隆盛は驚異的である。音楽でもクラシックの演奏家たちは早くから海外で評価を受けていた。また韓国の美術家による現代美術はおそらく海外で最も早く共有化された分野であろう。
70年代韓国美術 日本で高い評価
日本でもナムジュン・パイクの名で知られている白南準や、もの派と呼ばれた現代美術の潮流を牽引した李禹煥といった美術家は、欧米や日本でも絶大なる評価を受けている。とりわけ言語を直接の媒体としない接近が可能な分野では、韓国の文化は極めて高い評価を受けている。
ところで韓国の文化が決して高く評価されていたわけではない1970年代に、日本の現代美術の若い作家たちは韓国の現代美術を極めて高く評価していた。のみならず、多くの美術家たちは尊敬の念を持って韓国の現代美術に接していたであろう。このことは記憶されてよい。いわば李禹煥というたった一人の美術家の存在がそうせしめたのである。
一方、言語を媒介とする分野であれば、他言語圏にあっては、どうしても接近自体が難しい。映像作品である映画でさえ、言語の比重が重いほど、〈翻訳〉という営みなしではまず理解されにくい。ネット上での自動翻訳などがこれだけ進んでも、文学の翻訳にはほど遠い。人文学や文学などが他の言語圏に受け入れられるためには、翻訳という営みが決定的である。
実は、表面的には感性だけで接近できるように見える美術や音楽にあってさえ、それらを共にするためには、表に現れない言語的な営みが大きな働きをしている。美術市場や音楽市場におけるプロモーションや商取引など商業的な言語活動はもちろんのこと、美術や音楽など芸術について学ぶという言語活動でもそうであるし、さらに美術批評や音楽批評などを始めとする、批評という言語活動は、文化の受容や共有にとって極めて重要な位置を占めている。
李禹煥の『出会いを求めて』といった著書が日本語圏の若き美術家たちに食い入るように読まれたことを思えばよい。英語圏であれば英語によって韓国の作家の美術が語られてこそ、美術市場に入り込むことができるわけである。恐るべきことであるが、その言語で語られない文化は、事実上、その言語圏では存在していないのと、同義である。
もし日本語圏で活躍する知識人の方々に、古今東西の〈知〉を代表する書物を、5冊あげてほしいと頼んだら、実際に回答してくださるかはともかく、皆、たちどころに5冊でも10冊でも挙げてくださるであろう。日本の知を知るための書物でも、やはりすぐに5冊が挙がるだろう。50冊ではだめかなどと返事が来るかも知れない。
日本語圏で貢献 絶大な在日文学
それでは〈韓国・朝鮮の知〉といったものにはいかなるものがあるのか−−こう問いを立てたとき、日本語圏にある多くの人々はおそらく困惑するであろう。日本語圏にある読書人たちはもちろん、日本語圏を代表するような知識人たちでさえ、自信ある即答は難しいかもしれない。
日本語圏は韓国・朝鮮の知について、もちろん英語やフランス語など、他の言語圏に比べれば、圧倒的によく知っている。それには何よりも、日本語圏に生きる韓国人・朝鮮人の存在が絶大な貢献をしている。日本語圏の文学における〈在日文学〉といったものの存在感だけ見ても、このことは明らかである。
では日本語圏は芸術など他の文化と比べて、韓国・朝鮮の〈知〉をどれだけ知っているのか?広く文化といった広野でとりあえず括るとしても、その広野のいわば核心たる〈知〉のあたりは、完全に陥没していることに気づくであろう。言語で語られる知は、あまりにも知られていない。
韓国・朝鮮の知が知られていない理由は、いくつか考えることができる。何よりも日本語圏に生きる人々自身が、韓国の知を知ろうとしているのかという、主体的な意志を問題にできる。日本語圏にある人々は、韓国の知を知ろうとしているのかと。しかしながら知ろうとする意志を培ってくれるものでもある、客体的な条件の方は、さらに広く深く作用していると言わざるを得ない。知ろうと思っている人々は決して少なくないし、知りたくても手がかりさえ掴みにくいと感じている人々もあるであろう。そう、日本語圏にあっては、何よりも韓国語圏の知を知る手がかりがおぼろげである。決定的なデバイスたる〈本〉がない。日本語で読める〈書物〉がない。あるいは、あるのかもしれないが−−見えない。
もちろん韓国語圏では膨大な書物が作られている。とりわけ今日の韓国における出版の質と量は驚嘆に値する。だがその成果を日本語圏ではそのまま享受できない。言うまでもなく、〈翻訳〉というそれ自体に高度な知が要求される営みが、必要だからである。翻訳は恐ろしく人間的な営みである。デジタルな処理からとても遠いところにあるという意味で。手間暇がかかる。さらに〈出版〉という営みがこれを支えねばならない。そして、翻訳も出版もいずれも経済の裏打ちがなければ、成立しない。
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時空を超えた決定的装置
共同作業で方向提示も
多様な分野から第一線の書き手
このように考えるとき、どうしても書物が要る。私たちが〈韓国・朝鮮の知〉へと近づく手がかりとなりうるような本が要る。『韓国・朝鮮の知を読む』はこうして生まれた。
この本では、日本と韓国を代表する知識人の方々に、韓国・朝鮮の知に関わる書物を、1冊から5冊ほどあげていただき、それらについて書いていただく形で執筆をお願いした。出発にあたっては、多くの高名な方々が本書への〈応援者〉として名を連ねてくださった。編者や出版社だけの力では限界があるので、これは実にありがたいことであった。
選書については、できるだけ一般に入手可能な本にしていただきたいということ以外は、一切の条件をつけていない。要するにブック・ガイドの形を借りて、韓国・朝鮮の知へ近づこうとする本である。
執筆をお願いした方々は、〈知〉に関わるいろいろな分野の、文字通り第一線で活躍なさっておられる方々である。いわゆる韓国学、朝鮮学の研究者の方々はもちろん、特に韓国・朝鮮とは関わりなく、思想家、哲学者など広く知の世界の最前線で活躍なさっておられる方々、文学や芸術に携わっておられる方々、大学人、出版人、ジャーナリスト、日韓の文化交流に尽力なさっておられる方々など、多様な分野に及ぶ。執筆をお願いしたけれども、様々なご都合で執筆の叶わなかった方々も少なくない。
実のところ、日本語圏の執筆者の方々からは、自分は韓国・朝鮮についての本はほとんど読んでいないので、書く資格がないとか、韓国・朝鮮の知についてはほとんど知らないといったお答えを、ずいぶんいただいた。
そういう際に、こうお願いした。韓国・朝鮮の知の全体から本を選んで欲しいとお願いしているわけではない、逆に、そんなこと自体が著しく困難であるからこそ、こうした本を作るのである、知に携わっておられる方々は、必ずどこかで韓国・朝鮮の知とすれ違ったり、交わったり、触れ合ったりした瞬間があるに違いない。そうした瞬間、瞬間を持ち寄って共にしたい。そうすることで、私たちが韓国・朝鮮の知へ近づく、きっと大切な手がかりを共に創り上げることになりうるだろうと。
実は、日本語圏においては、韓国・朝鮮を知ろうとする本、近づくための本は、これまで多くのものが出版されている。文化、とりわけ映画、ドラマ、音楽などについての出版物は多い。貴重な本も少なくない。それらの先達に学びながら、既存の本と違って、本書の志向するところは、次の三つの点である。
1,〈知〉に焦点を定めた書であること
2, 日本と韓国、双方の多くの知性が共にする書であること
3,〈知〉を支える書物、出版、文字にも関心を定める書であること
1,の、求めるものが知であることは、既に述べた。そうした知を訪ねるのであれば、日本語圏の方々のみならず、韓国語圏の方々とも共にしたい。この2,は決定的な条件である。一方の言語圏だけからでは見えにくいことも多いであろう。また二つの言語圏では異なった方向が現れるかもしれない。いずれにせよ、双方の知性が共にすることで、より広く、深いところが見えてくるであろう。
ところで知は頭の中に漠然と浮かんでいるようなものではない。記号論的な世界だけに浮遊しているものでもない。
例えば〈書かれたことば〉となって、書物といった形をとるなどしてこそ、知は人々が共にしうる対象となるわけである。遠くギリシアの知が、今日の私たちの知の一部として息づいているとしたら、それは何よりも〈話されたことば〉としてではなく、様々な言語の〈書かれたことば〉として繰り返し形に作られてきたことによる。中国諸子百家の知も同様であり、今日の世界宗教が語る宗教的な知とて、〈書かれたことば〉抜きにはありえない。
未来の姿を見る坡州の出版都市
〈書かれたことば〉を支えるのは書物である。それがパピルスであれ、紙であれ、電子的な光の点滅であれ、文字を文字として支える身体=書物がなければならない。私たちは、朝鮮半島の書物、出版、文字といった、〈書かれたことば〉を支える、知を支える装置にも注目する。知が生きた生身の人間と切り離されたところで論じられるなら、大切なものを見失うかもしれないからである。書物、出版、文字は、知と生きた生身の人間を繋ぐ、決定的な装置である。
ゆえに3,、知を支える書物、出版、文字にも関心を定め、ブック・ガイドの部分に加え、それぞれについての論考を収めた。
斯界の最高権威、藤本幸夫・富山大学名誉教授の筆になる、朝鮮半島の書物、出版の歴史を知るための論考では、東アジアに輝く朝鮮半島の印刷術の栄光を読むことができよう。
朝鮮半島の知は、書物を作る、出版を営むという、脈々たる歴史の中にある。書物も出版も、そして知も、必ず歴史の中に存在する。論考の記述の徹底した学問的な裏打ちは、知へ思いを馳せる私たちの、襟を正させずにはおかぬであろう。
現在の韓国における驚くべき試みである、坡州出版都市については、日本語圏ではまだ読書人の間でさえ、ほとんど知られていない。韓国にあっては、ソウルの北方、臨津江の風が渉る坡州の地に、多くの出版社が大挙して移り住み、世界史上稀有なる〈出版都市〉を作っている。出版社が集まって都市を造る、読書人であれば、言語圏を超えて、想像しただけでも胸が高鳴るだろう。金彦鎬・坡州出版都市文化財団理事長の論考が、韓国の出版の今と未来を見据える、この稀有なる都市の姿を見せてくれよう。
文字については、ハングルのことを語らないわけにはゆかない。ハングルと知へのささやかな序章という形で、拙稿を末尾に添えた。
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140人もの執筆者
意識変革に希(のぞ)みを
それが共にすべき知であるがゆえに作られる本が、あちこちの出版社の倉庫で人々を待っている。断裁されるのが先か、誰かの手に渡るのが先かと。編集の人々も、営業の人々も、その生活を削り、その身を削って、情熱を注いでいる。彼らは知っているのである−−たった一人の美術家がそうであったように、場合によってはたった1冊の本が、この日本語圏に生きる人々の意識を、部分であれ、根底から変革するかも知れないことを。本書の出版社CUON(クオン)もまたこうした苦闘の中を生きる出版社の一つである。
これまで、〈知〉ということばと、〈韓国・朝鮮〉ということばが並んで語られることが、いったいどれだけあっただろう。前述したごとく、『韓国・朝鮮の知を読む』という書名を提起しただけで、多くの人々が躊躇した。当然である。そんな本はほとんど見たことがなかったからである。語られないものは、事実上、存在しないものと同義であった。
本書は20人の方々が〈応援者〉として共にしてくださり、何と140人もの方々がご執筆くださった。A5判、600ページに及ぶ。知に向かって日本と韓国のこれだけの方々が共にする書物は、おそらくことばが書かれる歴史始まって以来のことであろう。〈韓国・朝鮮の知〉はもはや日本語圏に確実に存在するのである。
韓日双方の言語圏で知の時を
私たち誰もが共にしうる対象として、私たちの目の前に〈書かれたことば〉として在る。どのような方々が、どのような本について語ってくれているだろう。どうか手にとって知の時を共にしていただきたい。
1冊の書物が人々の手に取られ、人々が語り合い、人々が視線を注ぎ、読書人1万人が、2万人が、3万人が、共にしてくださるなら、日本語圏における〈韓国・朝鮮の知〉に対する思いは、少しずつではあれ、その深いところから、確実に変わるであろう。
(2013.8.15 民団新聞)