「なぜ、韓国ではあれほど面白いドラマを次々に作れるのですか。」講演でこういう質問を受けた。私は「他人に対する関心の深さ」「芸能が好きな国民性」「面白くするためなら何でもやる突撃精神」「優秀な制作陣」「俳優の演技が巧み」などを根拠として挙げているが、日本の方々がそういう質問をしたくなるほど韓国ドラマは日本で浸透している。
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「冬のソナタ」の成功
「発見」と「ときめき」…女性パワー社会を元気に
大きかったW杯の共催
振り返ってみれば、NHKのBSで「冬のソナタ」が放送を開始したのは2003年4月だった。それから10年の歳月が流れ、今年は「韓流10周年」を記念する行事が数多く開かれている。
何よりも、韓流に関連するメディアや企業が連合して、「10周年」を盛り上げようという気運がとても高い。
そうした動きを見ていると、「あれからもう10年も経ったのかぁ」と改めて感慨深くなってくる。
まさに、この「10年」は「100年」に匹敵するほどの濃密さがあった。少なくとも日本の多くの人たちは、韓流を通して韓国を「発見」し、そこに胸の「ときめき」を感じてきた。
それほどに、韓日関係において韓流が果たした役割は大きかった。
ただし、この韓流もいきなり日本で大いに受け入れられたわけではなかった。
その前段階で大きかったのが、2002年にFIFAワールドカップ韓日大会が開かれたことだ。あのとき、私は韓国各地で試合を取材したが、日本からも大勢のファンが韓国の地方に出掛けてきて観戦していた。
もちろん、ファンはワールドカップの試合を見ることが最大の目的だったが、同時に、韓国の文化や暮らしを体験する機会を得た。
それまで、韓日両国が共同で世界的なビッグプロジェクトをやり遂げたことはなかった。それがワールドカップという、世界最大級のスポーツイベントを共催して成功させたのである。
この大会が、両国の草の根的な交流を促進させたことは間違いない。そういう下地があってから、NHKも海外ドラマの枠で韓国ドラマを放送することに前向きになった。その第1作目に選ばれたのが、「冬のソナタ」だった。
NHKとしては、初めて放送する韓国ドラマに不安があった……。果たして、日本の視聴者が好意的に受け止めてくれるかどうか、と。
しかし、心配は杞憂だった。
放送が始まると「ストーリーが面白い」「主人公のペ・ヨンジュンとチェ・ジウが魅力的」「映像が美しい」「洗練された音楽が素晴らしい」といった称賛の声がNHKに数多く寄せられた。
それに気を良くしたNHKでは、全20話の放送が2003年9月に終わったあと、同年の12月に同じくBSで1日に2話ずつ2週間の集中放送を行なった。ここでも反響が大きかった。
そして、ついに「冬のソナタ」の地上波放送が決定した。NHKの総合テレビで2004年4月から放送が始まり、これに合わせてペ・ヨンジョンが来日した。羽田空港には5000人以上のファンがつめかけたが、熱気に満ちた光景は「壮観!」の一言だった。
ここから本当の「冬のソナタ」の大ブームがスタートしたのだ。
価値共有のスター登場
とても印象的だったのは、ペ・ヨンジョンが空港ロビーに出てきたときの「こんなに多くの人たちが……」という感激ぶりだ。その恥じらいが、日本の女性ファンの心を射止めた。同じく空港での来日シーンでも、余裕たっぷりに堂々とふるまうハリウッドスターとは物腰が違った。
あらためて、謙虚な彼に惹かれた日本人が多かった。それはまた、アジアの価値観を共有するスターの登場を強く印象づけた瞬間だった。
韓流に目覚めた女性たちは、自ら積極的に行動を始めた。追っかけをする、韓国のロケ地を訪ねる、情報を得るためにパソコンを覚える、ファン同士でオフ会を数多く開いて交流する……など。その姿を揶揄する一部の保守的な人がいたことは事実だが、そんな偏見を吹き飛ばして、韓流ファンは日本に元気をもたらした。
2003年から2004年にかけて「冬のソナタ」の主要ロケ地だった南怡島(ナミソム)に私はよく出掛けたが、そこで日本から来た韓流ファンに頼まれてカメラのシャッターを何度押したことか。あれほど多くの人たちが、日本から韓国の地方に出掛けていくことに意味があった。
韓流ブームは間違いなく、欧米一辺倒だった人たちが隣国に目を向ける好機になったのだ。
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完全にはずれた予測
歴史知って関心倍加…ファンの教養かなり高く
ジャンルの一つに定着
2004年4月から韓流エンタメ誌「愛してるっ!! 韓国ドラマ」の編集長を務めているが、一番驚いたのは、毎日読者からたくさんの手紙が寄せられたことだ。
しかも、便箋10枚にわたって韓国ドラマのすばらしさを記す一通もあった。これだけの分量の手紙を書くのは大変だが、韓流への情熱がそれを可能にしたのだ。
また、「韓流が好きになってから、ペ・ヨンジュンさんが住むソウルの天気が気になって仕方がありません」という手紙を受け取ったときは心から感心した。
自分が住んでいる地域の天気は生活に直結するだけに一番気になって当然なのだが、それよりソウルの天気が気になるという人が日本に現れたのである。それだけ韓国に高い関心を示す人が多くなった。
NHKのハングル講座のテキストを買う人も激増した。隣国の文化に興味を持ったからといって、その国の言葉まで学ぼうとまでは、なかなかいかない。その意味でも大変な熱の入れようであり、韓流ファンの教養の高さを示しているといえるのではないか。
「冬のソナタ」の放送をきっかけに起こった日本での韓流ブーム。この流行は、一過性にすぎないと思った人もいただろうが、その予測は完全にはずれた。
韓流は一介のブームというより、大衆文化の一つのジャンルとして日本社会に定着し、次の段階に進んでいく。
2004年の秋からNHKのBSで「宮廷女官 チャングムの誓い」が放送されたこともあり、韓国時代劇が日本で人気を集めるようになった。それにつれて、韓国の歴史に興味を持つ人も増えていった。
数年前のことだが、ソウルの王宮めぐりをしたときにとても印象深い光景に出くわした。日本から来た年配の夫婦が、若い女性のガイドに向かって朝鮮王朝の歴史に関する専門的な質問を浴びせていたのである。
ガイドも「韓国人よりもよっぽど朝鮮王朝の歴史に詳しいですね」と感心していたが、夫婦が口をそろえて「韓国時代劇のおかげですよ」と言っていた。そんな姿を私は横でニコニコしながら見ていた。
別の機会に、私は50代や60代の女性に朝鮮王朝の歴史を話す機会があったのだが、彼女たちは、「日本の学校では隣国の歴史をほとんど習いません。韓国時代劇で興味を持って調べて見ると、初めて知ることばかりでした」と異口同音に語っていた。
歴史を知れば、その国への関心はさらに倍加するであろう。「韓流10年」は日本の人たちに韓国の歴史を紹介する役割を果たしたのである。
ドラマから火がついた日本の韓流は音楽の世界も取り込んでいく。
K―POP10・20代も
東方神起を起爆剤にして日本でもK―POPが人気となり、韓流のファン層は10代や20代にも広がった。
それにつれて、東京の新大久保は代表的なコリアタウンとして有名になり、大勢のファンが連日詰めかけるようになっていった。
その人出がピークに達したのは2011年の夏頃だろうか。大久保通りに並ぶ韓流ショップは大盛況で歩道から人がはみだすほどだった。
目当てのスターのグッズや韓国化粧品を買って、美味しい韓国料理を堪能する…。韓流を一番身近に感じる街としての魅力が新大久保にはあふれていた。
そんな街角で聞いた一言が今も耳に残っている。ある女性が「本当に韓国にあこがれるわ」と言ったのだ。
さらに聞くところでは、「韓国で生まれれば良かった」と言う女子高校生もいるという。
在日韓国人の一人として私は「世の中が変わった」と率直に思った。
しかし、韓流が注目されればされるほど、そこに「アンチ」は生まれる。加えて、政治的な韓日関係の悪化によって、韓流はかつてない逆風にさらされた。
だが、心強いのは、韓流が本当に好きな人たちは離れていっていない、ということだ。レンタル大手の広報関係者も「この1年を見ても韓国ドラマのレンタル数は変わっていません」と証言している。この点は本当に心強いことだ。
同時に、韓流が日本の経済に及ぼした影響の大きさを実感している。テレビ・出版からDVDやグッズ販売に至るまで、この10年の韓流関連事業は活況を呈し、間違いなく日本経済を潤した。
メディアはよく韓国のテレビ局が番組コンテンツの輸出でいかに日本で利益をあげたかを話題にするが、恩恵を受けたのはむしろ日本側だったのである。
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さらなる隆盛への鍵
「傑作」の出現に予感…隣国知る最適コンテンツ
重み感じる言葉の数々
最近も私は教養講座で韓流についての話をしたとき、熱心に聞いてくれた80代の女性からこう話しかけられた。
「父の仕事の関係で戦前は朝鮮半島で過ごしておりました。戦後、日本に戻ってきて朝鮮半島のことは忘れていましたが、韓流が日本で人気を得てから昔の記憶が甦ってきて、もう懐かしくて懐かしくて……。朝鮮半島は私にとっては故郷も同然なんです」
まさに、目に涙を浮かべるかのような話し方だった。
他にも、拙著の読者から「人間は誰しも自分がかわいいのは当然ですが、隣人を思いやって仲良く暮らせば本当にうれしいです」という声も寄せていただいた。「韓流10年」の重みを感じる言葉の数々であった。
これからは、日本で韓流がどうなっていくのだろうか。
鍵を握っているのは、一にも二にも「韓流の中身」だ。特に、韓国ドラマで傑作が出るかどうかが重要である。
そんな中で大いに期待しているドラマが「応答せよ1997」である。この作品は昨年、韓国のケーブルテレビで放送されて爆発的な人気を博した。内容は、釜山の高校に通う6人の同級生たちの1997年当時の様子を詳しく描いている。
私は、「冬のソナタ」以来の傑作だと評価しているが、この作品が日本でどのような評価を受けるかが気になる。
なにしろ、韓国で経済危機が起きた「1997年」と、人気のソウルではなくて「釜山」という港町がキーワードになっている。
日本から見るとわかりにくいところがあるのだが、それでも高校時代の初恋をテーマにしている内容には普遍性があり、日本でも人気を博す可能性が高いと思っている。 ドラマというのは、放送回数が多いだけに、その国の生活の隅々まで描写することができる。そういう意味で言うと、韓国ドラマは韓国を知るための最適なコンテンツである。
今後は、「応答せよ1997」のような傑作ドラマを通して、韓流が日本でさらに発展していくことを心から願っている。
プロフィール
カン・ヒボン 作家。1954年東京生まれ。両親が済州島出身の在日韓国人2世。韓国の歴史・文化を描いた著作が多い。近著に「韓流時代劇でたどる朝鮮王朝500年」(朝日新聞出版)、「人生の大切なことは韓流ドラマが教えてくれた」(実業之日本社)など。
(2013.8.15 民団新聞)