掲載日 : [2022-06-08] 照会数 : 2791
文化院、東医宝鑑アカデミー講演会
[ 講演した李尚宰博士 ] [ 完訳が出た「東医宝鑑」 ] [ 五日市に並んだ薬草の数々 ]
東医宝鑑アカデミー特別講演会「韓方の力で免疫力を高めようー日常生活に活かす韓方の叡智」が5月28日、東京・新宿区の韓国文化院ハンマダンホールで開かれた。オフラインでの開催は2年ぶり。講演会の様子は、オンライン駐日韓国文化院でも配信されている。
韓方 漢方 東洋医学
免疫力高め健康生活
2009年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記録遺産に登録された『東医宝鑑』は、医者の許浚(1539~1615年)が1610年に編纂し、1613年に刊行した朝鮮時代の医学書だ。
講演会では、李尚宰さん(韓医学博士)が、韓国の韓方と日本の漢方の相違点や韓方的視点から免疫を高めることの意義などをテーマに解説した。
日本では一般的に免疫力を上げる、高めるという言い方をするが、李さんは「免疫というのは、体の中の細胞とかさまざまな物質が関連しているので、物質の生成を旺盛にすることが大事だと思う」と述べた。
免疫細胞がたくさんあれば、外から悪いものが入ってこようとした時に、戦うことができるというイメージで捉える人は多い。だが、「それは正しい理解ではない」と指摘した。
免疫力と関連して医学的に検証されている表現は、疲労、睡眠不足、栄養不良、精神的ストレスなどがある。本来、体の中で免疫機能が維持されて、活発に機能しなければいけないが、疲労や睡眠不足などによって、免疫細胞の機能に乱れが生じるという。「疲れないようにする、ストレスを感じさせないようにすることが免疫力を維持させることになる」
韓国では韓方、または韓医学、中国では中医学、日本では漢医学という。これらは全て東洋医学だが、国ごとに少しずつ違いがある。韓国では朝鮮時代、日本は室町時代より以前は中国医学が全てで、それが東洋医学全体を表していた。そして韓国では朝鮮時代を経て、中国医学の韓国化が進んだという。
1613年に刊行された『東医宝鑑』は、許浚が中国の医学書籍の中から「確信的な内容だけを要約したものだといえる」。本書は、日本では1724年に『訂正東医宝鑑』という題名で刊行された。2021年には日本語訳書『完訳東医宝鑑 内景篇・外形篇』(菅原忠雄翻訳)が出版された。
人体の機能を深く理解
中国医学が日本化する中で「後世方派」「古方派」という派閥ができた。韓国の韓方を語る時には本を主体にして語ることが多いが、日本の漢方について語る時には「~派」と派閥で歴史を語ることが多い。
古方派を代表する医師の一人、吉益東洞(1702~1773年)は、今日の日本の漢方の姿を形成する上で、大きな影響を及ぼした人物である。吉益東洞が主張した医学とは「効果をあくまで重視する」というもので、東洋医学の理論的な支柱となる「陰陽五行説」を廃止した。
吉益東洞に影響を与えたのは、古方派の医者、山脇東洋(1706~1762年)だ。山脇東洋は、日本最初の解剖書『蔵志』の著者であり、この頃、すでに日本はオランダの学問を受け入れて人体に対しても西洋的な考え方を取り入れていたという。
日本は、1800年代に入って西洋の医学ともつなぎ合わせながら医学が発展する。一方、韓国は『東医宝鑑』的な考え方を守っていく。「おそらくそれが現在の東洋医学の韓方、漢方をめぐる両国の制度の違いの根本にあると思う」
韓国は西洋医学(洋医師)と東洋医学(韓医師)の医師制度を持っている。日本は明治維新以降、漢方医という制度はなくなった。
李さんは、東洋医学の価値について「人体を理解する方法、視点が最高の価値なのではないかと思う」と語った。人間の体はさまざまな症状を発するが「それらの症状を理解する独特な方法、それは韓方、東洋医学だと思う。それは西洋医学の観点とは全て違う」と強調した。
さらに、韓国の五日市の様子や、ハルモニたち自ら採って、売っているハルニレの樹皮、キキョウの根など薬草の写真をスライドで紹介。質疑応答も行なった。
(2022.06.08 民団新聞)