「国家再建の礎となる」
67年前の決意に学ぼう
済州市朝天邑新村里に「新村 圭訓先生顕彰碑」が建立され、開天節の10月3日、除幕式が執り行われました。式典には先生の遺族代表である4男の明鉉氏、地元住民や在日新村親睦会の会員をはじめ、禹瑾敏知事や愼久範前知事ら内外の来賓など300人が参席されました。
「顕彰事業会」の準備会を7年前に立ち上げ、先生の偉業を後世に伝えるとともに、未来への灯火にしたいと願ってきた私は、これまで労苦を惜しまず協力して下さった方々に心から感謝する思いを禁じ得ませんでした。
故人としては異例の国民勲章・無窮花章受章に尽力して下さった方々、顕彰事業を物心両面で支えてくれた方々、さらには、「民族教育の先駆者‐在日済州人 圭訓を偲んで」と題する特別展や学術大会を開催された方々、このような多くの力が一つになったのです。
顕彰碑は公立・朝天中学校の裏にあるナムセンイモッ(クサガメの池)の辺に立っています。碑は最高級の烏石(45㌧)であり、忠南・保寧市の慕山美術館の任恒烈館長によって制作されました。左右には詩碑と銘板が配されています。顕彰碑であると同時に一つの芸術作品と言えるでしょう。
この中学校こそ、先生が解放直後に日本から設計図や建築資材一式を送って建てたものです。それまで朝天地域には中学校がなく、多くが進学を断念せざるを得ない教育後進地域でした。新しい中学校を仰ぎ見ながら喜ぶ住民の姿が今も目に浮かびます。
それだけではありません。先生は同じ頃、白頭学院・建国学校を大阪に設立したほか、創団から間がなく混乱続きだった民団の中央本部団長にも就任し、大韓民国の駐日代表部を東京・銀座の一等地のビルに、そして公使官邸を目黒に設けています。
これら事業の母体となる白頭同志会が結成されたのは解放直後の45年9月です。兵庫県でゴム工場や山林事業を手がけていた先生の自宅には、徴用工出身者70人ほどが合宿しており、このメンバーが「団結し」「祖国と民族を愛し」「国家再建の礎となる」ことを綱領に掲げ、旗揚げしたのです。
「白頭」の名は、青年の黒髪が白くなっても永遠に団結するとの誓いから生まれました。同志会の活力は旺盛で、レコード会社、映画会社のほか輸出入や帰国事業のための船舶会社も経営し、会員は6500人を数えました。
財力と組織力を動員して、解放から間がない在日社会と郷里の教育振興や祖国の威信確立に心血を注いだ先生は、やがて自身の事業を傾け、民族教育振興への情熱を抱きつつも、隠遁生活に徹するようになり、次第に忘れ去られました。
しかし、先生は決して忘れられない、忘れてはならない人でした。在日同胞の、そして郷里の誇りとして、埋もれていた歴史に光が当たったのは当然でした。「国家再建の礎となる」。先生を顕彰し、今も色あせない67年前の決意に学ぶことで、故郷と在日同胞社会、韓国と日本に貢献する人材が輩出されることを願っています。
(2013.11.27 民団新聞)