掲載日 : [2021-08-13] 照会数 : 10005
時代とともに韓国舞踊…その歴史を探る
[ 高句麗時代の東盟(トンメン) ] [ 河回別神のクッタルノリ ] [ 宮中舞踊の處容舞 ] [ 仮面劇の鳳山タルチュム ] [ 民俗舞踊カンガンスゥオルレ ]
韓国舞踊は、華やかな韓服をまとい、優雅に踊ることを想像される方が多いのではないだろうか。だが、その歴史をひもとくと、時代の変遷と取り巻く環境によって大きく変化しながら現在に至っていることがわかる。ここでは、宮中舞踊から新舞踊まで、韓国舞踊のきらびやかな歴史を振り返り、その形態はどのようなものなのかを探ってみる。
■歴史
最初の記録は祭天儀式
韓国舞踊が記録された最初の歴史的文献は、中国の歴史書である。断片的ではあるが、多くの歴史書に韓国の古代祭天儀式と踊りが記録されている。
これらの文献によると、古代(BC1世紀~AD3世紀)韓国では、部族ごとに年中行事のように祭天儀式が行われていた。儀式は、主に正月と5月(種まきの時期)、10月(収穫時期)に開かれ、そのなかで舞踊を踊っている。
記録に残っている祭天儀式は、扶余のヨンゴ(迎鼓=太鼓の音が空に届く)、高句麗のトンメン(東盟=日が出るのは東側)、濊(ヨ)のムチョン(舞天=天の踊り)がある。
祭天儀式は国王が管理する国家的祝祭で、儀式が終わると全国民が何日にも渡って飲酒と歌舞を楽しんだのが特徴だ。また、夜遅くまで男女が群れをなして集団的に踊ったとされている。
①三国時代…総合芸術の性格
三国時代は、高句麗、百済、新羅が鼎立した韓国史の一時期で、この時代の舞踊は、楽器と踊り、歌が混合された総合公演芸術の性格が強い。
高句麗は、群舞、2人舞、独舞などの舞踊形式が既に整備されており、貴族が観覧する職業舞踊団が存在していた。
特に高句麗の代表的な踊りには、高句麗舞と胡旋舞などがある。高句麗舞は舞人が楽器と唱を一緒に行い、複数の舞童(歌と踊りを踊る男の子)が、群れに分かれて一緒に踊る。胡旋舞は一人の舞女が玉の上でアクロバットのように踊ったようだ。
百済の踊りは、現在その名前すら残っていないのが実情である。現存している記録は、百済滅亡後、三国史記に百済楽の伝統を受け継いだ百済人の踊りを描写した次の一節のみである。「踊りを踊る二人の人が、大きな袖をぶら下げ、赤いチマを着て、章甫冠(中国の殷の時代の冠)をかぶり革靴を履いていた(三国史記)」
新羅では、旧暦8月15日に天に祭祀を捧げ、音楽と踊りを楽しんだ。当時の踊りとしては、奈勿王(実在が確認される最初の新羅の王)時代に作った歌舞があり、伽耶琴に合わせて踊る韓技舞、美知舞、碓琴舞などがあった。しかし、当時の踊りの内容やその形態は後世に継承されていない。
②高麗時代…仏教的な色彩帯びる
高麗時代は、仏教を国教に定めたことから、文化全般に仏教的色彩を帯びている。八関会(土俗的な神を奉り収穫を祝う祭礼)行事では、新羅から伝承された歌舞百戯を踊ったとされており、燃灯会(明かりを灯して仏に福を祈る法会)では、仏教的行事を主軸に公演が行われた。
高麗時代の踊りは、新羅の八関会での歌舞百戯の影響を受けながら、新しい朝鮮舞楽を生み出す産室の役割を果たし、その後の宮中舞踊と民俗舞踊の発展に寄与したといえるだろう。
③朝鮮時代…民俗、宮中に分かれ
朝鮮の開国初期には、高麗の政治と文化が受け継がれてきたが、儒教を国教に据え、儒教国家としての秩序が確立されるにつれ、山臺都監(仮面劇)系列の舞踊や男寺党牌などの各種雑戯、また、巫俗から派生した巫俗舞、農民を中心とする農楽舞、寺院で行われる寺院舞と妓女たちの妓房舞など、幅広く民俗舞踊が拡散された。
一方で、朝鮮時代は、王室と国家の泰平盛大を祈願する手段として、音楽と舞踊を幅広く導入したことにより、宮中楽と宮中舞踊が大きく発達した時代だった。
朝鮮後期まで踊られてきた呈才(宮中舞踊の説明参照)は、総55種類にも達し、まさに宮中呈才の全盛期の時期であった。
このように朝鮮時代の舞踊は、民俗舞踊と宮中舞踊に分かれ、それぞれが発展してきたことがわかる。
■分類
ここでは韓国舞踊を、宮中舞踊、民俗舞踊、儀式舞踊、仮面舞踊、新舞踊(創作舞踊)の5つに大別し説明する。
①宮中舞踊…儀式から独立し発展
宮中舞踊は、呈才(チョンジェ)または呈才舞(チョンジェム)という。 呈才とは、もともと中国から伝わった言葉で、「王室のために奉公する」という意味、すなわち「高貴な方に才能と芸術的技巧を見せる」という意味が内包されていた。
宮中舞踊は、王権政治の体制が成立した三国時代以後、国の各種行事や儀式、宮中の宴会などに舞踊が使われることから始まった。
これは、宮中の饗宴、国賓のための宴会、または国の慶事に踊られたため、民衆の踊りとは一線を画し、王室の尊厳と威厳を賛美するものが大部分である。
高麗時代になると、宮中舞踊は大きく郷楽呈才と唐楽呈才に分けられた。古代から伝わる固有の曲調、楽器、踊りを郷楽といい、中国の宋から入ってきた中国系の曲調、楽器、踊りを唐楽という。このような宮中舞踊は踊りの内容を動作だけで表現するのではなく歌でも表現し、多様ではないものの踊りの動作が優雅で線が柔らかいのが特徴だ。
儀式の一過程として作られた宮中舞踊は、歳月が流れるにつれ本来の目的である儀式と行事はおろそかになり、踊りや音楽だけが残り、独立的に発展し現在に至っている。代表的な舞踊に、處容舞(チョヨンム)、春鶯舞(チュネンム)がある。
②民俗舞踊…民衆の感情を表現
民俗舞踊は、集落祭である各種の祭天儀式において、庶民が楽しむ踊りと歳時風俗に密着し生活に根ざしながら長い歳月を経て受け継がれてきた。
民俗舞踊は、地方ごとに特色や環境によってその地方の生活と風俗を反映させながら、それぞれ独特な形態で発展してきた。そのため民俗舞踊は大部分が作者と発生年代が不明で、自然発生的にできたのが特徴だ。
制約が多く単調なリズムで固定された宮中舞踊とは違い、自然なリズムで踊るのが民俗舞踊であり、庶民たちの情緒と素朴な感情を表すところに民俗舞踊の命があると言える。民俗舞踊の代表として、農楽舞、僧舞、サルプリ、カンガンスゥオルレなどがあげられる。
③儀式舞踊…今も続く宗廟祭礼
儀式舞踊は、仏教儀式、儒教儀式、巫俗儀式の3つに大別できる。
仏教儀式において中心をなすのは、仏様に供養を差し上げる斎戒(チェゲ)で、主に音楽と舞踊を並行して行う。使用される音楽を梵唄(ポムペ)といい、この音楽に合わせておどる舞踊を作法(チャッボプ)という。梵唄は声で仏様に供養を差し上げるもので、作法は体の動作で供養を差し上げるという意味がある。 儒教の儀式行為は、ムンミョ(文廟/孔子の霊を祀る建物)祭礼と、チョンミョ(宗廟/朝鮮王朝・大韓帝国の皇室の祖先祭祀場)祭礼に分けられる。
文廟祭礼は、儒教の始祖である孔子への祭事儀式で、陰暦の2月、8月に成均館(現在の成均館大成殿)で行われる。
一方の宗廟祭礼は、朝鮮の歴代王と王妃たちへの祭事儀式で、元来、春夏秋冬と12月の年5回行っていたが、現在は年1回、5月に宗廟で行う。この2つの祭礼での音楽は、それぞれ文廟祭礼楽、宗廟祭礼楽と言い、踊りはイルム(佾舞)ともいう。
韓国では現在でもこれらの儒教的祭礼と踊りは伝承されており、一般公開されている。また、宗廟祭礼は、2009年にユネスコの無形文化遺産に正式に登録されている(2001年に人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に掲載され、2009年に正式登録)。
巫俗は、韓国固有の宗教と言えるもので、現在においても巫俗は韓国人の日常に強い影響力を持っている。
巫俗舞踊は、ムーダン(巫堂)での祭礼、すなわちクッ(ムーダンの儀式)でムーダンに神が降臨し、無意識の状態で踊る。
この踊りのリズム、動き、衣装、楽器などは、農楽と仮面劇のような民俗舞踊の発達に影響を与えたといえる。
④仮面舞踊…信仰から生まれ土着化…ユーモアと風刺で笑い生む
仮面舞踊は、原始的な信仰行事や祭事風俗の中から発生したもので、特定された地域に基盤を置いて、その地方に根ざして土着化し、古くからその地域の中で成長し現在まで伝わってきた。
朝鮮時代になってからは、両班(貴族)階層に対する不満や批判をユーモアと風刺に変えて、観覧する人たちと呼吸をともにし笑いを醸し出してきた。
仮面舞踊で用いられる仮面はそのほとんどが韓紙で出来ており、公演を終えると告祀を行い、災いが宿ったタルを燃やしながら演技者たちが合掌礼拝する。
代表的な仮面舞踊には、鳳山タルチュム、楊州山臺ノリ、固城五廣大、康翎タルチュム、河回別神クッタルノリなどがある。
⑤新舞踊と創作舞踊…現代へつなぎ果たす
新舞踊は、1920年代から半世紀の間、舞踊人たちが追求した特定の踊りの潮流を指す。韓国で初めて登場したのは1926年で、当時10代の崔承喜が日本の現代舞踊家石井漠の弟子となり、近況を報道した新聞記者に、新舞踊という用語を話したのが初めとされる。
以後、伝統舞踊ではない新しい形式の芸術舞踊を指す用語として新舞踊は一般化、そのような踊りを追求する舞踊家を新舞踊家と分類された。
新舞踊は、日本から流出された用語で、韓国の新舞踊の初期の様式は、日本を経由して流入された西欧様式を活用した踊りで、現代舞踊へのつなぎとしての役割をしてきた舞踊として、1970年代中盤まで、多くの作品が発表された。
1930年代以後から創作またはアレンジされた民俗舞踊の中でも代表的な新舞踊は、花冠舞、プチェチュム(扇の舞)、チャンゴチュムなどである。
◆終わりに
国立国楽院が伝統を継承
現在、韓国では国立国楽院が伝統音楽と伝統舞踊を継承し、その優秀な舞踊家は人間文化財に指定され保護されている。今日においても大学の舞踊学科などから毎年多くの若い舞踊家が巣立ち、韓国のみならず世界で活躍している。
(2021.08.14 民団新聞)