掲載日 : [2022-10-18] 照会数 : 2840
未完フィルム「帰還船’59第一船」東京で上映会 北送同胞の運命暗示
[ 康浩郎監督 ]
北送第一船の新潟出港までの様子を収めた貴重なアーカイブ・フィルム作品「帰還船 1959 第一船」(康浩郎監督作品)が2日、東京・目黒区の東京大学駒場キャンパスで公開された。昨年、大阪市内で初めてお披露目されたばかり。東京での上映は初めて。康監督自らトークを行った。
康浩郎監督「北の命令を実行」
撮影したのは6ロール(巻物)分。フィルムは63年間放置され、カビが生えた状態だったという。作品は一切編集されてなく、音声もない。
北送第1船にはソ連からチャーターした2隻の船に在日朝鮮人とその家族975人が乗船した。列車は日本全国から新潟に向かったが、このうち品川駅から発車する様子が収められている。
北送家族は4日間、新潟日赤センター内で一時逗留した。これは「帰国」意思の最終確認のため。いよいよ明日が出発という日。子どもたちが「ハレの日」の晴を願い「てるてる坊主」を吊り下げながら合唱している場面が見られた。
「帰国」意思の確認は特別室のなか、家族単位で行われた。翌日には宿舎からバスがピストン輸送で港に横付けされていく。
カメラは最後にトボリスク号が離岸していく様子を映し出した。出港を告げる汽笛とともに船と岸壁をつないでいたテープが切れ、岸壁にはテープとともに無数の花束が無残に浮かび上がっていたことが北送同胞のその後の運命を暗示しているかのようだった。
康監督は当初、「これを撮っておくべき」「撮らねばならない」と思ったという。当時は朝総連傘下の在日本朝鮮留学生同盟の一員で、日本大学芸術学部4年に在籍していた。
では、なぜ63年間も作品化せず放置してきたのか。康監督は「世に問うタイミングを逸した」、「作品化するモチベーションを失った」と述べた。康監督は多くを語らなかったが、北送への根本的な疑問にとらわれていったようだ。
トークの中では「もとより下からわき上がった帰国運動などはなかった。(北送は)北朝鮮と総連による合作の歓送、歓迎であり、でっちあげ。ただ単に北朝鮮からの命令を実行したにすぎない」と言い切った。国際赤十字社の係官7人が「帰国意思確認室」の場に立ち会わなかったことにも疑義を呈していた。
作品の完成には「ハードルが高い」としながらも、「これでやらないと男が立たない」とあらためて意欲を示した。未完のフィルムを上映するのはこれが最後になるという。