崔吉城 広島大学名誉教授・東亜大学アジア文化研究所所長
ヘビ年には変革の予兆
夢に出ると英雄産む?
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干支の時代性
2013年「癸巳」は蛇の干支として象徴される年だ。干支とは時間の流れの節目を表すもので、10の干と12の支を順次組み合わせて、60年単位とする年月を指す。
12の支は鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鷄、狗、猪の動物を当てて覚えやすくしたものだ。しかし、それは時間の単位や動物の名前に留まらず、歴史的にはただの年月日に当てたものではなく、いろいろな意味を持つ。考えてみると国家や個人にとっても年月は、単純なものではない。生まれて死ぬまで、いろいろな年として歴史に刻まれるものだからだ。
生年月日は個人の私事ではあるが、生まれた時代を象徴する。たとえば1953年の癸巳に生まれた人は2013年、今度迎える新年で還暦を迎える。同年生まれの人は多くの共通の運命、文化社会の時代性を共有しているからだ。
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四柱
年頭に運勢を占うことは俗によくあることで、迷信のようであり、また民俗であり、否、もっと深い意味がある。易学では生まれた時を年月日時の4数字(四柱)とし、組み合わせや無作為に散らばしてくじ引きで占う。
「巳」(蛇)年生まれの人たちは、共通なる運命を共有するといえる。くじ引きした数字は偶然なものであり、それに神秘性を与えた仕組みであり、同年生まれの運命から個人化したものだ。 言い換えれば韓国人であれば、1953年癸巳に生まれた人は韓国戦争後の貧困時代から高度経済成長、そして国際化時代に生きてきているが、運が良いという調査結果がある。
企業分析専門機関である韓国CXO研究所は、成長企業には癸巳に生まれた経営者が最も多いと発表した。新年の2013年「癸巳」生まれの人たちも2073年還暦を迎えるまで幸せな人生を送るだろうと占えそうだ。
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蛇を恐れ祀る
「癸巳」の干支の蛇にはどんな意味があるのだろうか。年賀の時に嫌な話になりかねないが、蛇は十二支の中で6番目の動物になる。
私は数年前、香港の市場で主婦の注文に応じて、店主が蛇を割いて渡すのをみて驚いたことを思い出す。食するところもあるが、蛇は世界的に広く恐れられ、嫌われるのが普通だ。旧約聖書には「蛇は地上のすべての動物の中でかならず怨に恨み返す、最も狡猾だ」とある。蛇心は蛇のようにかんあくで陰険な心と言う。
私が子どもだった時、夏にわらぶきから蛇が現れると雀がうるさく鳴き、蛇は害を与えることなく静かに消えて行くまで見守ったことがある。母は家の「守り神のオブ」だと崇拝した。わが家の隅にオブの壺(蛇神を壺で祀る)が置かれていた。
私は奄美大島に行った時、旅館の前庭に大きいハブが現れて、旅館の主人がハブが去って行くまで待っていた。その態度は韓国人に似ていると感じた。民間信仰での蛇は守り神とされ、壺に白米を入れたオブを家や後庭に祀られている。沖縄のウタキ「嶽」信仰のご神体のイビと同源、共通するのではないかという説もある。
済州島には蛇信仰が著しい。蛇神堂、神話、儀礼、文献上の記録などが多い。金寧里の蛇窟は形が蛇と似ており、穴には大きな蛇が生きていると言われ、村人たちが毎年、漁夫たちの無事を祈るために蛇神を祀っている。蛇の呪いを避けるために祭り「告祀」を行う。
また、蛇の霊が人の体につくという信仰がある。蛇霊は母から娘へ遺伝的に憑いていくので、その家とは結婚を回避するなど、通婚圏にも影響していた。それは日本の出雲地域にある蛇「憑物」信仰に似ている。
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昔話の中の蛇
蛇は毒を持っている動物だといわれても冬眠によって龍にも変身しうる。殺されても生き返るとか、怨念を持って復讐すると言われている。
私は幼少時に聞いた昔話を思い出す。家族は嫁を疑って、深夜まで針仕事をする嫁が歯で糸を切り、糸の先を舌で濡らして針に通す時の舌を観察したところ、その舌は蛇の舌のようであり、異物であると信じ殺したら蛇であったという話だ。
また、蛇が女性に変身して、嫁になって夫の首に巻きついて苦しめ殺すとか、目が覚めて叩いて殺してみたら大蛇だったとかの昔話を聞いて育った私は、特に蛇には恐れを持っている。
さらにハンサムな男に変身した『蛇の神のクロンドンドンソンビ』という昔話がある。このような蛇の変身をモチ‐フとした類の昔話は、世界中で変異訛伝している。これらの昔話や童話は蛇が脱皮するのを変身と思って想像した話しであろう。
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蛇も人も毒を持つ
ここで、この巳年生に考えるべきことを一言書きとめたい。蛇は単に嫌悪や恐怖の対象ではない。蛇は毒を持っている。その毒は蛇自身には有毒にはならない。他の多くの動物に害を与えるよい武器ともなる。毒の基準は曖昧だ。
全ての人はある程度、毒を持っていると言えるだろう。韓国語では日常的に「毒だ( )」という言葉が頻繁に使われている。
たとえば気が強い人、我慢強い人、意志が強い人を「毒な人( )」と言い、味や臭が強いのも毒だという。悪意を以って怒る人から「毒気」「毒殺」を感ずると表現する。おとなしい温かい人品が怒るのを見ても喜怒哀楽の中の怒が毒ではないだろうか。温寒、強弱、喜怒など最低の守るべき怒と強さは生命力ともいえるし、人権を守る力でもあるのだ。
蛇が自分の毒を有害と感ずることがないように、他人には有毒な、人格をそこなう、破滅させる、悪意のある意地悪、いやな、不愉快な存在にもなりうる。大げさに言うならば毒ガス、サリン事件、核実験、戦争なども心の毒から始まる。
しかし、いかに悪いものでも自我の方に属しているものは感じにくく、むしろ良いものとされるのが普通である。そうしてみると戦争や紛争などは、自他の対立意識構造によるものであると悟ることができる。
毒を持つ蛇が冬眠を繰り返して、毒を失くしたものが大蛇になり龍になるという。蛇が毒を失くして昇天するように、人それぞれ自分の毒を解毒することと、国家として震災地の除染をする新年になることを祈る。
夢で蛇を見ることは極上の「夢龍」として良いと解釈され、英雄の胎孕(たいよう)を暗示する龍を指すものである。
李栗谷先生の生家にある夢龍室や春香伝の男主人公の名前が李夢龍であることがそれである。それは蛇が大蛇へ、龍へ変身するからである。新年癸巳年は変革の年になることを望む。
(寄稿)
(2013.1.1 民団新聞)