掲載日 : [2010-10-27] 照会数 : 5555
サラムサラン<35> ある在日の風景〈下〉
長い議論は、彼の好むところでない。即断即決を身上とする。還暦を境に、潔く事業を息子に譲った。今は日韓を往復しながら、少年野球や少女サッカーなど、両国市民の友好活動に奔走する。 そうした交流を通して、韓国に親友もできた。自分が韓国に行けば先方が飲みに誘い、先方が日本に来れば自分がご馳走する。その関係が、実に気持ちよい。
事業には、浮き沈みもあった。バブルに乗じて稼ぎまくり、市内の一等地に豪邸をかまえた時期もある。古い土塀の表に、父祖の故郷の地である済州島の守護神、トルハンバンの石像をたてた。
不況の波をもろにかぶり、莫大な借金を背負いこんだこともある。寝るのがやっとという狭いマンションに、数年の間、雨露をしのいだ。今はようやくそのどん底を脱し、郊外の1軒屋に穏やかに暮らす。
それでも、盛り場では今も「顔」である。その剛毅な性格ときっぷのよさを慕うママさんたちも多い。日本人のママさんもいれば、韓国人のママさんもいる。
酒には、めっぽう強い。何を飲んでも、酔って乱れることがない。小学生のころから、ハルメに鍛えられたお陰である。
酔うと、きまって話す話がある。大学生の頃、いつも懐具合は苦しかった。ある日、友人と「チャリセン(小銭)」だけをもって、いきつけの一杯飲み屋の暖簾をくぐった。
「オヤジ、今日はこれしかないねん、この分だけ飲ましとくれ」‐。酒とつまみが出た。コップが空になれば、オヤジは酒を注いだ。皿があけば、新たなつまみを出した。
酔いの中にも、しばらくして気がついた。とっくに、支払った金額を超えている。「今日はええから」‐。オヤジが口にした。
「人生60年、いろんな酒を飲んだけどな、あん時の酒ほど、うまかった酒はなかよ」‐。今もしみじみとそう語る。酔って話せば、目元が潤む。
貧しかった日々に受けた人情を、彼は決して忘れることがない。そうした人の情があればこそ、人生は生きるに足ると信じている。文章など書かずとも、彼は街角の詩人である。
一流ホテルのレストランで、高級ワインをご馳走になったこともある。それはそれで、彼が身につけたマナーではある。しかし、やはり彼と繰り出すのは、来し方の人生が詰まった町の飲み屋がふさわしい。
ビールと焼酎をチャンポンした「爆弾酒」で、キムチと「蜂の巣」に舌鼓を打つ。そこでの最高のつまみは、彼の歩んできた人生そのものなのだ。
多胡 吉郎
(2010.10.27 民団新聞)