掲載日 : [2021-09-08] 照会数 : 6621
京都国際新たな歴史…夏の甲子園ベスト4 韓国でも連日報道
[ 準決勝終了後、スタンドにあいさつする京都国際ナイン ] [ 1981年夏、報徳学園と京都商業の決勝戦スコアボードには、在日同胞選手の名前が並び、全国の同胞を沸かせた。 ]
阪神甲子園球場で開催された第103回全国高校野球選手権大会に京都国際高校(李隆男理事長、朴慶洙校長)は夏の甲子園初出場で4強入りという、聖地に新たな記録と記憶を刻み、春夏連続となる夢舞台でナインたちは大きく躍動した。
夏の甲子園初出場ながら初戦となる前橋育英(群馬)に1‐0で勝利。続く二松学舎大付(東東京)に延長10回、6‐4で勝って準々決勝に進んだ。準々決勝の敦賀気比(福井)戦は、9回裏にサヨナラ勝ちと「終盤勝負」を掲げる京都国際らしい戦いぶりだった。
同校の前身は民団系の民族学校「京都韓国学園」だ。2004年に一般的な私立高(一条校)となり、現在の校名に変更された。
同校に野球部が創部されたのは1999年。激減する生徒数の増加をめざすための苦肉の策だった。外国人学校の硬式チームとして初めて高野連(日本高等学校野球連盟)に加盟した。同年夏の京都大会では、名門・京都成章と初戦で戦い、0‐34の5回コールドで大敗。当時の京都成章には現在の京都国際を率いる小牧憲継監督がいたのも何かの運命なのか。
そんな「大敗デビュー」という洗礼を受けた京都国際は創部から5年目の2003年夏、府大会でベスト8入りを果たすまでに力をつけ、当時の李良剛主将が同大会で韓国語と日本語の2カ国語で選手宣誓をした珍しさから、大きくメディアで取り上げられた。
今回の夏の甲子園で、勝利を重ねるごとに「実力あるチーム」を証明したが、一方で韓国語の校歌が甲子園に流れたことも注目された。そうした話題性から、韓国メディアでも「韓国語の校歌、日本全国に流れる」「韓国系京都国際高校、夢の舞台・夏の甲子園にも進出」「京都国際高校、甲子園で韓国系初のベスト4」など、同校の甲子園での快進撃を連日伝えた。
「栄光の名勝負」81年の感動再び
実は夏の甲子園で在日同胞たちが「栄光の名勝負」として記憶されている試合がある。1981年夏、報徳学園と京都商業(現、京都先端科学大学附属高校)の決勝戦だ。
この決勝を戦った両チームには7人の在日同胞球児が出場した。決勝戦のスコアボードには、京都商業の鄭、韓、金原、報徳学園の高原、金村、西原、岡部ら同胞の名前が並び、全国の同胞を沸かせた。
今年の京都国際の快進撃は、形こそ違うが、当時を知る同胞たちにとっては、その時の興奮を彷彿させたに違いない。
すでに来春のセンバツ大会につながる秋季京都府大会が始まっているが、1、2年生による新チームは夏の甲子園組の半分以上が残っており、新たな快進撃を期待したい。
「全国団員の声援に感謝」
京都国際学園の李隆男理事長と朴慶洙校長が「全国の団員の声援に感謝しています」と民団と本紙にメッセージを寄せた。以下、抜粋を紹介する。
◆李隆男理事長
全国団員の皆さんの声援ありがとうございました。センバツに続き、夏も熱い応援と多くのご支援をいただき本当にありがとうございました。
おかげさまでベスト4まで勝ち進むことができました。この活躍は京都勢にとっても16年ぶりの快挙です。選手たちは本校の歴史の新しい扉を開けてくれました。このような時期に理事長を務め、実に光栄です。そして選手の皆さんを誇りに思います。
来春の選抜大会につながる、新チームによる秋季大会が始まっていますが、甲子園組の半分が残っているので大いに期待しています。団員の皆さんも期待して見守ってください。
◆朴慶洙校長
1999年に生徒数増加を目的に創部したが、今や野球名門校にまで成長したことは、大きな誇りだ。
引退する3年生たちもこれからの進学など、未来を明るくしたと思う。これが教育者として一番うれしいこと。また、先輩のために一生懸命戦った後輩たちの姿も美しかった。
声援を送ってくれた全国の在日同胞の皆様に深く感謝します。これからは京都府や近畿だけではなく、日本のトップを目指すための支援案を長期的に模索します。
(2021.09.08 民団新聞)