掲載日 : [2021-09-28] 照会数 : 7230
北韓の北送責任問う…東京地裁が「公示送達」脱北者5人損害賠償求める
[ 東京地裁掲示板に貼り出された「公示送達」 ]
北韓政権の北送責任を追及する「北朝鮮帰国事業損害賠償請求」訴訟を審理している東京地方裁判所が北韓代表者の金正恩国務委員長に対し、10月14日の第1回口頭弁論に出廷するよう8月16日付で「公示送達」していたことが明らかになった。併せて答弁書の提出も求めている。北韓代表者が日本の裁判所に呼び出されるのは異例。
日本は北韓と国交がなく、大使館など政府を正式に代表する機関も日本国内にない。裁判所としては訴状など関係書類の送付先がないことを前提に、掲示板に10月14日まで貼りだすことで、被告側に届いたものとみなすことにした。日本は北韓を国家として承認していないため、裁判権免除を認める法的義務はないとの判断だ。原告の1人で元在日2世の脱北者、川崎栄子さん(79)と一緒に7日、東京・千代田区の日本外国特派員協会で記者会見した福田健治弁護士が明らかにした。
福田弁護士は「北朝鮮の代表者が日本の裁判所に呼び出されるのは初めて。国家には他国の裁判権が及ばないとする主権免除の原則を適用して送達しないという選択肢もあったのに、画期的な判断がなされた」と歓迎した。たとえ、金委員長が出廷しなくても、裁判所として北韓の責任に正面から向き合う意味は大きいと受け止めている。
被害当事者として原告団に名前を連ねた脱北者は川崎さんを含め5人。2018年8月20日、北送を主導した北韓政府に対しそれぞれ1億円、計5億円の損害賠償を求めて提訴した。
請求根拠は①「地上の楽園」とだまして渡航させ、数十年間にわたって出国を許さず、北韓にとどめおき、基本的人権を抑圧した②北韓からの出国を妨害し、脱北後も家族との面会ができない状況をつくりだしたこと。
記者からは「原告勝訴でも北朝鮮政府から損害賠償が支払われるとは考えにくい」との疑問が出た。これに対して福田弁護士は、「判決文が被害者の苦痛に対する公式記録になり、将来、日本政府が国交回復交渉に臨んだ際に、北朝鮮に残っている被害者が自由に北朝鮮を離れることができるよう助ける政治的圧力になることを願う」と述べた。
また、北送責任の所在を問う質問に対しては、「北のイニシアチブがなかったら起きなかった」と北韓の責任を明確にし、「ほかのアクターは副次的」と指摘。時効についても「北の関与は現在も続いている」として否定的な考えを述べた。
「幻だった地上の楽園」
川崎栄子さんは「地上の楽園である故国に戻ろう」との朝鮮総連の説得を信じ、単身、北送船に乗船した。1960年、川崎さんが朝鮮高校3年生の時だった。
「北朝鮮政府がすべての自由と生計を保障してくれると信じていたので、一人で行くことは心配ではなかった」。家族は後から呼び寄せるつもりだった。
船が清津港に着くと、川崎さんはこれまで聞いていた話がすべて偽りだったことに気づいた。川崎さんは首都平壌から約500㌔離れた辺地にある高等学校の寮に入れられた。食事はジャガイモとトウモロコシの毎日。
北韓では移動と出国の自由は認められていない。「帰国者」ゆえに差別を受け、監視の対象とされた。日本での生活を整理して一年以内に川崎さんの後を追う計画を立てていたという家族には「来るな」と真っ先に手紙を書いた。
大学で化学工学を専攻した後は工場で働いた。川崎さんと同様、元在日同胞の多くが鉱山や森林、農場で肉体労働しなければならなかった。精神に異常をきたし、自殺する人も見てきた。自殺すると反逆者とみなされ、その家族は山奥の政治犯収容所へ送り込まれた。川崎さんは「表現できない厳しさのなかで1日1日を生き延びた」と振り返った。
90年代には飢餓に見舞われ、道端に乱雑に捨てられた死体を見た。川崎さんは「もうこれ以上この国に止まる必要はない」と家族や孫を残し、死を覚悟のうえ03年にたった一人で脱北した。「生きて出られたら北朝鮮の惨状を伝えよう」と決意して。
川崎さんは「北朝鮮が9万7000人の在日朝鮮人をだまして人生を不幸に陥れた事実を世の中に知らせるために訴訟に参加した」と述べた。
(2021.09.29 民団新聞)