冷戦型思考からの脱却と世界観共有で
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「遠慮」なくなり泥仕合
市場の〞握手〟で打破を
1965年の国交正常化から半世紀を目前に、日韓関係は極めて厳しい状態に突入している。内閣府が毎年行う外交世論調査では、「韓国に親しみを感じる」という回答は2011年10月の59・9%から12年には39・2%に急落し、1997年以来の低水準となった。
他方、「韓国との関係が良好だとは思わない」とする回答も同じ時期に36・6%から78・8%に倍増以上となり、13年も前年並みで推移した。どんな時代にも複雑な対日感情が存在する韓国側より、変化が激しいのはむしろ日本側かもしれない。
特殊な関係に強引な要求も
今回の事態は韓国の経済的キャッチアップがほぼ完了し、日韓関係が水平化する過程で,従来型の「遠慮」が双方から吹き飛んだとみることができるだろう。様々な議論の底流には、韓国側ではもはや日本に頭を下げる時代は終わった、という認識、日本側には「特殊な関係」を理由に強引な要求を持ち出す韓国をこれまで甘やかし過ぎた、という認識が存在するようにみえる。
泥仕合からの脱却には、これらの底流を形成する「冷戦型の思考枠組み」を葬るとともに、不確実性の大きな「世界観をスリ合わせる」作業が必要なように思われる。日韓経済関係には大きな潜在的機会があり、この二つがある程度、達成されれば市場はその実現を通じて関係修復へのエンジンとなり得るのではないか。
では「冷戦型の思考枠組み」とは何か。経済面では日韓ともグローバル化が急速に進展し、相互依存が深化しているにもかかわらず、経済活動を重い国境枠の中で捉えようとする思考である。
冷戦期の韓国では政府と「財閥」の二人三脚による急速な工業化が推進された。その帰結としての「財閥」肥大は20世紀末の通貨危機で一度は破綻した。だが改革後、ごく少数企業だけがグローバル企業に脱皮し、これら企業への経済力集中はむしろ深まった。こうした構造から韓国のメディアはサムスン電子などの特定企業の成功を韓国経済全体の成功と同一視し、逆に日本の電子業界の競争力低下を日本経済全体の没落と決めつけがちだ。
一方、日本側も高齢化が進んでいることから、モノ、カネ、ヒト、技術を全て自社あるいは自国に囲い込んで生産していた冷戦時代の成功が未だに社会全体の思考を支配しがちである。この発想の眼鏡でみれば、韓国企業の躍進は所詮、高機能部品や素材など製品の付加価値面でも、技術面でも日本に依存したものに過ぎず、現実に存在する韓国グローバル企業との収益力や営業力の差は都合よく見えなくなる。
厄介なことに、歴代韓国政府も執拗に日韓貿易収支の均衡を追求してきた点では同じ発想を共有しており、これがさらに対立構造を歪曲している。
冷戦時代の日韓関係は韓国が反日感情を一定程度、棚上げして日本との経済協力でキャッチアップを図り、他方、日本は経済協力で反日感情の封じ込めを意図する、というものであった。このため、双方が相変わらず冷戦思考のままで近年の変化を捉えれば、韓国からすればもはや反日感情を封じる理由はない。他方、日本からすればまだ記憶に新しい通貨危機時の支援を含めて協力の歴史を都合よく忘れ、国交正常化時に最終的解決に合意したはずの徴用工問題まで持ち出してくる韓国に反発する、という構図になりがちだ。
国境の枠超え自然体の協力
しかしながら、韓国の少数企業の成功はやがて「経済民主化」が政治的要請となったように決して国民経済全体の成功ではない。半面、今日のグローバルな競争の本質は如何に効率良く経営資源を調達・配分できるかにあり、スピード経営や新興国対応の遅れという点では日本型の囲い込みも破綻している。結局、グローバル化した日韓経済で起きていることは、競争に敗れた企業や産業に調整を迫り、生き延びる企業や産業の取り引きや協力を増大させるといったように、市場がシンプルに機能しているだけである。日本の素材産業と韓国の機械工業、日本の商社・銀行と韓国のエンジニアリングといった組み合わせはまさに自然な相互依存の姿であり、とうに国境の枠組みは超えているのだ。
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新興勢力への視角に差
寛容な韓国 慎重な日本
次に不確実な時代をめぐる「世界観の違い」とは何か。自らを新興勢力のトップと位置付ける韓国は、今後を従来型の先進国と、力をつけた新興勢力との秩序交代の時代として捉えがちだ。典型的な発想は「衰退する米国と興隆する中国」といった、いわゆるG2覇権交代論で、中国への経済的依存度の高さもあって韓国は中国への期待にひたりやすい。
一方、日本は必ずしも秩序交代が短期間に実現するとは考えておらず、遙かに多極的な世界を予想している。環太平洋経済連携協定(TPP)参加など、複数国の通商ルール交渉に熱心なのはその表れであり、韓国や中国の2カ国間交渉志向とは一線を画している。
中国など新興勢力の台頭をめぐる日韓の視角差は、通貨危機以降、さらにはリーマン・ショック以降に顕在化した市場と政府の役割に関する距離感や、経済成長に対する考え方の違いに起因するものが多い。
韓国の経済発展が強い政府主導であったことはよく知られており、通貨危機時に支援を受けたIMFの市場主導型改革も結局、短期間のうちに終了した。
むしろリーマン・ショックに直面した李明博政権は公共支出の大幅拡大、資源・エネルギーからインフラ供給、農業、観光など広汎に広がる公営企業、甘い公正取引法運用、為替介入、金融機関トップ人事への口出しなど政府の役割を再強化した。こうした点で韓国は中国など、新興経済にありがちな国家資本主義的体制に日本より寛容になることもできる。
日本に根強いビジネスの壁
一方、深刻な公害の発生や急速な高齢化の経験を持つ日本は恐らく自身の経験から、エネルギーや環境制約、人口動態上の制約などを重視する傾向にあり、こうした観点から中国の今後を韓国のように楽観はできない。さらに「失われた20年」の間には内部統制を強化して企業の不祥事を防止しようとする会計法改定があり、欧米と共に法令遵守を成長持続のカギとして重視する傾向が強まった。このため新興国における腐敗構造への対処はビジネス上の大きな問題であり、この面でも新興国である以上、ある程度はやむを得ない、と考えがちな韓国とは距離が存在しているといえる。
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共通する戦略的課題
限界突破 相互補完で
環境の整備で伸びる潜在力
日韓が冷戦型思考を捨て、一定の世界観共有ができれば、経済的潜在性は極めて大きい。まず、「国境」に囚われずにみれば、日韓間、特に九州から韓国の慶尚道にかけての自動車や電気電子の産業集積は質的な面では世界的な水準にあり、医療や環境への展開という意味でも似た方向性にある。冷戦型思考を捨てて産業集積単位での立地条件やビジネス環境整備を進めれば、日韓間の投資交流のみならず、集積の規模と質の点で優れた第3国企業誘致につながる可能性も十分なはずだ。
電気電子や自動車などはむしろ競合しているからこそ、その集積の力を使って技術や基準認証などで日韓がルールセッターとなる可能性が存在するのである。
強い競争意識をさらに戦略的に利用する方向性もある。日韓は揃って国内の規制緩和が困難なものについては、様々な経済特区を推進している。健康・医療、エネルギー・環境、農業改革、文化・観光、労働、教育など特区による具体的な分野も似た面が多いが、規制改革として大きな成功を収めた特区に乏しいところまで共通している。競争を通じ、どちらかが成功した規制改革の情報共有ができれば、戦略的な外圧で国内の既得権に手を付ける意味は双方にとって少なくないだろう。とりわけ高齢化社会を抱えて地方経済の自立を共通課題としている日韓では特区の体験・協力を推進することに大きな意義がある。
さらに分野別、技術別に水平的・補完的な分業関係を育成することもできるだろう。人口制約と財政制約の下で、日韓は社会ビジネスの面でも共通の挑戦と機会に直面している。低コストで安全を確保する新交通システム、持続性のある公的年金や医療サービスの提供、地方自治体の行政サービスなどがこれに当たり、ビッグデータによる解析と効率向上の意義が期待される。
韓国はIT化の浸透という点では世界トップクラスとなったが、国内市場の規模に限界がある。他方、日本は市場規模こそ大きいが、これから国民番号制度が登場する段階で、しかも地震などでデータの保全には韓国より遙かに大きなコストがかかる。人材の不足からみても韓国との協力余地は大きいだろう。
もちろん、思考の転換はそう簡単にできるものではないかもしれない。だが、よく市場を観察すれば新しい関係は既に発芽している。例えば東日本大震災で家族の安否確認に活躍して以来、日本ではLineというアプリが急速に普及した。開発は日本の研究所だとしてもこれにいち早く目をつけたのは韓国の企業で、世界3億人に膨れあがった利用者獲得で日本市場は大きなジャンプボードとなった。
高齢化が進み共に転換の時
韓国が相変わらずハードに偏重した製造業で成長し続けるというのであれば、巨大な中国市場の魅力は変わらないだろう。だが、賃金上昇とともに、従来型製造業での中国のキャッチアップは一段と早まる。既に中国市場における韓国のシェアが縮小に転じている家電などは典型といえるだろう。日本企業同様、韓国企業にとっても後発企業のキャッチアップを避けるためには、知識基盤が付加価値の源泉となり、収益力の高いビジネスモデルが作れる分野に事業を転換するしかない。
サービス市場の規模と成熟度、知的財産権や投資家の保護などを勘案して、それでも韓国にとって、中国が日本や米国以上のパートナー、というのであれば中国シフトは妥当であろう。しかし、これまでも中国は韓国の技術や知的資産の源泉とはなったことはなく、真の意味でのイノベーションで中国がすぐに日米を代替するようにも思えない。
グローバル化が進む中で日韓経済は高齢化とともに大きな転換点を迎えつつある。既に人口減少が始まっている日本は世界有数の内需に依存した、従来の大国型の成長モデルを追求できなくなっており、オープンな生産システムに磨きをかける必要がある。
他方、基礎技術を先進国に依存しながら、効率のよい生産とマーケティング力で収益を挙げてきた韓国も、その地位は次第に中国企業の挑戦に晒されてきている。
成長モデルの転換先が明確に定まり、自由貿易協定(FTA)など開放度を上げながらその実現を図る過程で日韓が相手国の戦略的位置付けを見い出すことが冷戦思考や中国過大視から逃れて、日韓関係をリセットすることにつながるのではないか。醜い感情的な非難の応酬は互いを傷つけるだけである。日韓は相互依存というグローバル経済の本質を理解し、冷戦思考とその表裏一体の覇権型国際秩序観を改めるべきであろう。新しい酒は新しい革袋に入れねばならないのだ。
(2014.1.1 民団新聞)