韓日両国は国交正常化50周年を1年半後に控えている。だが、一昨年夏以降、領土、旧日本軍慰安婦、歴史(認識)問題などをめぐり関係が急激に冷え込んだままだ。両国において新政権が発足して1年を迎えようとしているのに、未だに首脳会談が開かれていない。両国関係の著しい悪化は、これまでも何度かあったが、自由・民主・市場経済など基本的価値観を共有する隣国として、交流・協力を拡大してきた。激変する東北アジア情勢をも踏まえ、大局的観点から早期の関係修復と未来志向の新たな関係の構築へ、双方の積極的な歩み寄りが望まれている。
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画期的な「共同宣言」(98年)
謝罪評価し和解推進…「21世紀に向けた協力」強調
玉虫色だった65年の基本条約
両国の国交正常化交渉は、米国の仲介で韓国戦争(50年6月〜53年7月)が続くなか、サンフランシスコ平和条約締結直後の51年10月から予備会談が行われ、52年2月から本会談が開始された。しかし、日本側は1910年8月(韓国併合条約)から45年8月までの植民地支配に対して会談代表が反省・謝罪するどころか、「恩恵」であったかのような「暴言」をはくなどして進展しなかった。
61年5月のクーデターで登場した朴正煕政府は、経済復興と貧困撲滅を目標に経済開発計画を推進、国家再建・近代化実現に必要な財源の確保を重点に、国内の反発を抑え込んで韓日会談の妥結を急いだ。紆余曲折を経て65年6月22日に韓日基本条約、韓日請求権・経済協力協定、韓日漁業協定、在日韓国人法的地位協定、文化財・文化協力協定が調印された(同年12月18日発効)。
基本条約の前文には植民地支配に対する、謝罪の言葉はもとより言及すらなかった。保護条約や併合条約などがいつから無効になったかについては「もはや無効であることが確認される」(第2条)と玉虫色の表現となった。韓国は「併合条約当初」、日本は「48年の韓国独立」からと、それぞれ別の解釈をしている。また、独島(日本名=竹島)の領有権問題は棚上げとなった。この問題に関しては「解決せざるをもって、解決したとみなす」という密約が双方であったともされる。
請求権協定は事実上、韓国側が請求権を放棄する代わりに日本側が経済協力をするというものだった。無償経済協力3億㌦と長期借款2億㌦が供与されることになった。同時に「両締約国及びその国民間の請求権に関する問題」が「完全かつ最終的に解決された」ことを確認した(第2条)。
5億㌦の対日請求権資金は、その大半が浦項製鉄所建設と京釜高速道路、昭陽江ダムなどインフラ整備や国民生活向上に投資され、韓国の工業化、経済発展過程で重要な役割を果たした。
だが、国交正常化が両国間の経済協力と安全保障を第一義に推進され、その過程で日本側から植民地支配に関する反省や謝罪がなかったことが、韓国国民の間に日本に対する強い不信と感情のしこりを残した。
93年11月、非自民連立政権の細川護煕首相は「侵略行為や植民地支配」に対する「深い反省とおわびの気持」を表明。これに先立ち自民党政権下の同年8月に、慰安婦関係調査結果発表に関する「河野(内閣官房長官)談話」を発表している。
河野談話に基づく償いの措置は、村山富市自社さ連立政権が95年7月に設置したアジア国民平和基金(アジア女性基金)によって行われた。
村山首相は戦後50周年の95年8月15日に際し、閣議決定に基づき発表した談話で、「アジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた」のが日本の「植民地支配と侵略」であったという歴史的事実を初めて認め、「痛切な反省とおわびの気持」を表明した。
日本の歴代首相「村山談話」踏襲
その後、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三(第1次)など歴代の自民党政権は「村山談話」を確認し、その歴史認識を維持することを明らかにしてきた。
特に小渕首相は、98年10月に金大中大統領と交わした韓日共同宣言「21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップ」で「村山談話」をさらに一歩進め、「過去の一時期、韓国国民に対して植民地支配により多大な損害と苦痛を与えた」ことに対して「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。両国政府間の文書で、日本が植民地支配に対して公式に謝罪したのは、これが初めてだ。
金大統領は、これを評価し、「両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力」する必要性を強調した。
そのため両首脳は「自由、民主主義、市場経済という普遍的理念に立脚した協力関係」を構築し、それを「両国国民間の広範な交流と相互理解に基づいて発展させていく」決意を明らかにした。
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進む各分野相互依存
「司法判断」摩擦要因に…慣例の首脳会談もままならず
年間の人的往来500万を突破
01年に入り両国関係は日本の歴史教科書問題により、冷え切ったが、小泉純一郎首相の訪韓と西大門刑務所跡地見学、韓日歴史共同研究の推進合意などもあり、修復した。
韓日関係改善の努力は、「韓国ブーム」のなかでの02年サッカーW杯共催の成功と相まって、日本での「韓流」の呼び水となった。
その後、05年には島根県による「竹島の日」条例制定をきっかけに、盧武鉉大統領が「外交戦争も辞さない」とする「韓日関係に関する国民談話」を発表、政治・外交関係が再び緊張した。
だが、この10年くらいの間に両国の文化交流や人的交流はかつてなかったほど多角化・拡大し、各分野での相互依存が進んだ。
日本人韓国旅行者数は00年に約250万人に達し、韓国からの日本旅行者も100万人を突破。10年には両国を往来する人々の年間総数が546万人余と、史上初めて500万人を突破。国交正常化のころは、年間約1万人にすぎなかったが、今では日に1万5000人が往来している。
ちなみに10年は「韓国併合100年」にあたる。菅直人首相は、8月10日の閣議で「併合100年」に際して発表した談話で、植民地支配について「当時の韓国の人々の意に反して行われた」と明言し、「植民地支配がもたらした多大な損害と苦痛」に対し「改めて反省とおわび」を表明した。
日本内閣府「外交に関する世論調査」によると、「韓国に親しみを感じ」、「現在の日本と韓国の関係」は「良好だと思う」が、11年には、ここ30年で最も高い水準を示していた。
ところが、翌12年には、8月の李明博大統領による独島上陸とそれに続く天皇に対する謝罪要求発言を契機に韓日関係は急速に冷え込んだ。
独島上陸で反転着地点定まらず
李大統領の「独島上陸」の導火線は軍慰安婦問題にあるとされている。11年8月、韓国の憲法裁判所が、元慰安婦らの賠償請求権をめぐり政府が日本側と外交交渉を行わないのは「被害者の基本的人権を侵害し、憲法違反にあたる」とする判決を下した。
韓国政府としては動かざるをえなくなり、日本政府に対して「外交上の経路」を通じて協議を呼びかけたが、「65年の請求権協定により完全かつ最終的に解決済み」として日本政府は拒否した。
同年12月の韓日首脳会談で李大統領は、野田佳彦首相に慰安婦問題についての「実務的な発想よりも大きな次元での政治的決断」を期待し、「誠意ある解決策」を要求した。これに対して野田首相は、これまで「人道面での努力を行ってきた」とし、これからも「人道的見地から知恵を絞っていく」と表明した。
さらに12年5月には、韓国の大法院(最高裁判所)が、元徴用工の未払い賃金などへの個人請求権は韓日請求権協定によって消滅しておらず有効であるとの判断を下した。これに対して日本政府は「完全かつ最終的に解決済み」との立場を固持している。
その後、慰安婦問題については、両国間で政治決着の寸前まで辿りついたことが明らかになった。まず駐韓日本大使が元慰安婦に謝罪し、これを受けた首脳会談で日本が償い金などの人道的処置を取ることを表明、その原資には政府予算をあてるというものだった。だが、双方の政権交代で頓挫したという。
12年12月の自民党の安倍晋三政権の誕生に続き13年2月には朴槿恵政府が発足し、それを契機に、韓日関係の早期修復が期待された。だが、「韓国大統領就任年の韓日首脳会談開催」という慣例に反して、昨年は首脳会談が開かれなかった。
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「新たな和解」への道
専担「共同委」設置…識者提言 懸案の解決策集中協議へ
「価値観共有の最も重要な隣国」
慰安婦・徴用工妥協への青写真
現在の韓日関係は国交正常化以来、最悪ともいわれる。関係をこれ以上悪化させず、50周年を前向きに迎えるためには、今年の上半期中に韓日首脳会談を開催し、歴史問題に対する日本政府の基本的立場(河野談話、村山談話など)を再確認するとともに、98年の「韓日共同宣言」を踏まえ、「自由と民主主義、市場経済などの基本的価値観を共有する重要な隣国同士」として未来志向的協力関係強化の青写真を提示することが望まれている。
それと関連して、両国間の懸案として再浮上した軍慰安婦問題および徴用工問題について、双方が大局的観点から積極的に歩み寄り、対立点をほぐすことが求められている。
外務省退職後、海外で教鞭をとり研究を重ねてきた東郷和彦・京都産業大学教授(元駐オランダ大使)は「07年の(日本)最高裁判決は、戦後日本が締結した諸条約によって、国家のみならず個人による請求権も放棄されていると判示した。法的訴追を受けることなく、政治的・道義的観点から、日本の政府も民間企業も、行動をとりうる状況になった。韓国側により提起されている慰安婦の問題など、新たな視点で究明することはないのか」と着地点を検討。
その上で、「『アジア女性基金』の延長上に新しい制度をつくる。日本政府は道義的観点から謝罪と償いを行う。日本政府は、今度は、政府の予算を使って償い金を払うことができるはずである。韓国側には、日本の戦後の法的秩序自体を全壊させかねない『法的責任の追及』だけは遠慮していただく。これをもって、日韓間の政治的和解の基礎をつくることである」と提言している。
また、韓日国交正常化研究で東京大学で博士学位を取得した李元徳・国民大学教授(日本学研究所長)は、1,慰安婦問題は外交的妥結方式が最も現実的2,05年の韓国の「民官合同委員会」での最終結論は、慰安婦問題・サハリン韓国人問題・韓国人原爆被爆者の3件を除けば65年の請求権協定で決着済みとみなすということであり、韓国政府はこのラインを守るのが筋だろう3,大法院の判決を尊重しながらも、徴用工「未払い金」問題は外交上決着済みとの政府の既存の姿勢を堅持するのと両立させることが対日政策の知恵である4,慰安婦問題は日本側の責任下で、徴用工問題は韓国側の責任下で解決の糸口を開くことが望ましい‐と打開策を提案している。
ちなみに、韓国政府は「個人請求権は請求権協定により原則として解決済み。両国政府間では請求権問題は解決」としてきたが、05年8月に「日韓基本条約締結の当時、日本軍慰安婦問題のように、日本政府等国家権力が関与した『反人道的不法行為』は想定されなかった」と見解を変更した。
一方、日本政府は00年以降、請求権問題について、「放棄したのは外交保護権であって、被害者個人の賠償請求権を消滅させたものではない」との従来の見解とは異なり、「被害者個人の請求権は日韓請求権協定などの条約によって請求することができなくなった。法的には完全に解決済み」との立場を取り始めた。
一般的に、国際関係では、国際法の一般原則や条約が、各国の法体系や国内事情の変更に優先する。したがって、韓国の憲法裁判所が韓日請求権協定についてどのように判断しようとも、それがそのまま他国との2国間関係において反映されなければならないというわけではない。
だが、戦後補償請求権についての韓日両国の政府見解の揺らぎ・変遷についても記憶し配慮する必要がある。
こうしたなかで現代韓国研究の泰斗である小此木政夫・九州大学特任教授は、「65年の日韓条約・諸協定の締結当時、両国政府が解決できずに棚上げしたり、強引に処理したり、曖昧にしたりした問題が、当時の文脈を離れて再び問題化したり、司法的な判断の対象にされたりしている」と指摘。「日韓条約が50周年を迎える15年までに、双方が率先して日韓『和解委員会』を設置して、基本的な問題の解決方法について合意できれば、それが最善の方法である」と表明している。
李元徳教授も、韓日関係の早期打開の必要性を強調、「慰安婦問題や戦後補償問題などの懸案については『韓日歴史和解のための新しい共同機構』を構成し、15年まで共同研究を進め、結論を出すよう専担させ、政府当局は安全保障、経済、文化など懸案に集中する一種の出口戦略を駆使することを検討。共同機構の構成は両国における専門家、法曹界、市民社会の代表を網羅できる形をとるのが望ましい」と具体的に提言した。相互理解増進と相互尊重・信頼に基づいた韓日新時代の構築に向けた共同努力を促している。
大局的観点から協調へ知恵結集
韓日の人的往来は一昨年には過去最大の約556万人を記録した。韓国訪問者数は約350万人、韓国からの訪問者は約200万人だった。政治的な対立にもかかわらず、すでに経済・社会的には互いを必要とし、相互依存が深く進展している。両国の主要な地域が一日生活圏で結ばれており、市民社会の交流増大と相まって、お互いを身近なものに感じさせるようになった。
東北アジアの平和と安定および共同繁栄のためにも、民主主義を基盤とする韓日両国の連携の強化が緊要とされている。
未来志向の成熟した韓日新関係へと発展させるために、過去に囚われたステレオタイプの歴史・隣国認識から脱却し、双方社会の変化や多様性を認めあうことが不可欠だ。「歴史問題」については政治問題化を避け、冷静かつ積極的に多層的な交流と対話を重ね、重要な隣国同士の相互理解増進とあわせて協調体制の構築へ知恵を集めることが強く求められている。
(2014.1.1 民団新聞)