掲載日 : [2022-06-05] 照会数 : 4876
隠された歴史を知る…関東大震災虐殺現場で市民講座 横浜市南部
[ 当時の状況について説明する実行委メンバー(左) ]
1923年の関東大震災時に最も多くの同胞が犠牲となった横浜市内で4日、虐殺の事実を知り、追悼する第1回市民講座があった。同神奈川実行委員会(山本すみ子代表)が主催した。
同実行委員会によれば、流言の発生源となったのは警察だったことがこれまでの調査で明らかになった。9月1日夜、寿警察署管内で朝鮮人の放火、強盗、凌辱などの騒ぎが起きる。
「不逞鮮人が危ない」と言い出したのは神奈川県警高等課長だった西坂勝人とされる。西坂は各警察署の巡査たちを集め、任務を与えた。「不逞鮮人に気をつけろ」「各地に自警団を組織せよ」「検束しろ、時によっては殺してもいい」と。
西坂は9月2日、出兵救援の要求と食糧配給要請に東京へ行く途中、神奈川、鶴見、川崎の各警察署に立ち寄り、「朝鮮人騒ぎ」を伝えていった。軍隊が横浜にやって来るや警察が軍隊を先導し、大がかりな虐殺が始まった。
午前中、レクチャーに立った山本代表は「横浜において虐殺された朝鮮人は、名前すらほとんだ明らかになっていない。市民として隠ぺいされた横浜における朝鮮人虐殺の歴史、真相を知る権利がある。歴史の真相を明らかにすることは抹殺された朝鮮人、虐殺された朝鮮人の回復につながる」と強調した。
午後からはJR石川駅を起点に中村地区の虐殺現場を歩いた。行く先々で当時の子供が残した生々しい作文・証言を読み起こし、震災時の状況に思いをはせた。作文には「地震よりも朝鮮人騒ぎが怖かった」と記されていた。
最後は「関東大震災韓国人慰霊碑」が建立された宝生寺に立ち寄り、献花して犠牲者の冥福を祈った。