掲載日 : [2008-09-03] 照会数 : 6159
祖国統一問題への視点(10)在日同胞の立場から
[ 南北の経済協力の一環として造成された開城工業団地で働く北韓の女性工員たち ]
市場経済化 北韓に不可避
膨大な「統一費用」
先送りは致命的
東独が見せた過酷な教訓
ベルリンの壁が崩壊した1989年当時、ドイツ統一はまだ先のことと思われていた。西側の構想では、東側の民主化を前提に、経済復興による通貨交換能力の回復、そして緩やかな「国家連合」という道順が意識されていたに過ぎない。しかし現実には、瞬く間に崩壊していく東ドイツを吸収するほかなく、地すべり的な急進統一とならざるを得なかった。
韓国はこれに大きな衝撃を受け、北韓の体制崩壊などで統一が急進展した場合、費用はどれほどになるのか、本格的な研究を始めた。このいわゆる「統一費用」は、ドイツ式吸収統一を想定し、北韓地域の経済を一定レベルに引き上げるのに、韓国政府が一定期間に支出する費用という形で推計される。政府系シンクタンクの韓国開発研究院は91年当時、それを10年間で最大2446億㌦と見積もった。
韓国経済深刻な打撃
だが今日もなお、さまざまな数値が示され、3兆㌦以上とする説から600億㌦で可能とする説まで諸説ある。ただ、はっきりしていることは、南北の合意に基づくゆっくりした統一に比べ、北韓の体制崩壊による急進統一は、韓国経済を崩壊させかねないほどに費用を膨らませるという点だ。
ドイツの場合、有数の国際競争力を誇っていた西と、東欧諸国では最も経済的に豊かだった東の統合でありながら、統一後の経済成長率は急落した。ドイツの全人口8000万人のうち、西と東の人口比は4対1、国土面積は2対1で、統一当時の西の一人当たりGDPは約2万2000㌦、東はその11分の5であった。韓国の人口は北韓の2倍強に過ぎず、国土は2割ほど狭い。南北の所得格差は統一時の東西ドイツ間の5倍とも指摘されている。
ドイツでは豊かな西の4人がそう貧しくはない東の1人を抱えれば済んだのに対し、韓半島では先進国の入り口で足踏みしている南の2人強が、赤貧の北の1人を養わなければならない。東ドイツ地域や中東欧諸国が市場経済への体制転換を果たす過渡期に、国・公営企業の整理やリストラによる失業率の急増、物価上昇、貿易の停滞などが起き、その結果としてGDP(国内総生産)の大幅な低下を共通して見せたことを考えれば、北韓経済との統合は現在の数値で判断する以上に、韓国経済に深刻な打撃となるのは明らかだ。
過去10年の韓国政府には、経済交流・協力という名の支援の延長線上に、北韓経済の底上げと意識改革が期待でき、ゆっくりと統一に至る条件づくりが可能とする考え方があった。これは結果的に裏切られ、核兵器開発を含む威嚇軍事力の強化に利用されたと批判されている。将来への何らかの肯定的な刺激をもたらした可能性があるとしても、北韓の体制転換の遅れがそれだけ経済を疲弊させ、韓国の「統一費用」を増大させる現実から見れば、あまりに生ぬるい政策と言うことになる。
徹底された国・公有化
南北統一は時間の問題を残すだけで、自由・民主主義と市場経済の体制によって遂げられることに疑いはない。市場経済へ移行した旧社会主義諸国の苦悩の経験や膨大な「統一費用」を考えれば、北韓経済を国際経済体系とつながる再生産構造に転換させることは、民族的な死活問題ととらえるべきだ。なかでも国・公営企業の私有化・民有化、つまり独立法人化が肝心かなめの課業になる。
北韓経済の国有化・集団化は社会主義諸国のなかでも極めて短期間に、広範囲に徹底して遂行された。46年3月に公布された「北朝鮮土地改革法令」によって、日本人の土地(11・3%)と同胞地主の小作地および5町歩以上の農地が無償没収、無償分配された。わずか25日間の土地改革であった。農業の集団化は53年に提起され、58年には100%完了し、59年1月には農地の私有制度を完全に廃止した。
主要産業の国有化は46年8月、「産業・交通・運輸・逓信・銀行などの国有化に関する法令」を公布、日本人および「朝鮮人民の反逆者」が所有する企業を接収する形で始まった。その総生産能力は北部全体の90%に当たる。その後、残余の個人企業は急速に衰え、58年には私有が公式に廃止される。60年時点ですでに、工業生産量の所有形態別構成は国89・7%、協同組合10・3%となっていた。
国・公有企業は北韓に限らず、すべての社会主義国家でそうであったように、事実上は匿名の官僚集団や権力者集団の独占物になる。その結果、無責任と恣意性が経営の属性となり、管理者は資源と労働力、資本の配分をコントロールできず、「計画経済」の名の下で浪費的経済が営まれる。ユーゴスラビアでチトーが試みた「労働者管理」もまた、同じ末路をたどった。重要なのは、いかなる計画経済の技術をもってしても、常に変容し続ける経済環境には適宜に対応できないということだ。
計画経済から市場経済への移行は、世界市場から技術と資本を導入できる半面、外部経済との激烈な競争にさらされる。急激に統一体制に組み込まれた東ドイツにあったのは、過酷な現実だけだった。国営企業の売却と大量解雇が続き、ほとんどが破産しているか破産に瀕していた東ドイツ企業は、信託会社の管理下で整理処分されたうえ、施設や土地が再生目的で西ドイツ企業に売られていった。
統一後のドイツ政府が、公的資金をつぎ込んで多くの雇用機会を生み出しても、大量失業解消には焼け石に水だった。95年までの5年間に、インフラ整備、失業対策、企業支援など東を再建する資金は1兆マルク(60〜70兆円ほど)と言われた。現在でも毎年600億ユーロ(8兆4000億円)が大した効果もないままに投入されている。
しかし、経済システムの移行は、東ドイツのような悲惨な事例だけではない。巨額の対外累積債務があったものの、1960年代以来の「市場社会主義」の経験があったハンガリーや、高度な工業力で経済的に豊かな潜在力を持ちながらも、「プラハの春」以降の保守的な路線の下で改革後進国と言われてきたチェコの例は参考になる。
ハンガリーは1995年の「民営化法」を通じて有償民営化を実施し、外資を積極的に導入して企業経営の刷新を図った。チェコはバウチャー方式による民営化を進め、産業振興については外資の参入を政策的に抑制して国内資本を優先した。バウチャーとは利用券や引換券を意味する英語で、個人を対象とする使途制限のある補助金の一種だ。バウチャーを配られていた利用者は、それと引き換えにサービス提供者と契約を結び、サービスを受けることになる。
企業私有化2つの方式
韓国の研究機関ではこの間、北韓大企業の私有化についてドイツ型の直接売却とチェコ型のバウチャー方式の混合を検討してきた。支配持分の一方を投資者に直接売却し、残りの持分はバウチャー方式によって北韓住民たちに分配する形式だ。直接売却によって効率的な支配構造の形成を助け、バウチャー方式によって資産を北韓住民に分配するのである。「人民の財産を人民に」を可視的な方法で実現しようとするものと言えよう。
要するに、「持分」の性格を二つに分け、経営権は専門性を持つ外部投資者に完全に譲渡し、競争力のある企業に体質転換させ、一方の持分を小口化して関連住民に残すということだ。市場経済における企業の「株券」が、経営に参画する権利としての「社員権」と、配当だけを目的とする「証券」の二つの性格を併せ持つことが参照される。
北韓が80年代から設定した羅津・先峰・新義州など経済特区の試みはことごとく失敗してきた。経済苦境を外部からの援助と「自力更生」という名目で民衆に耐乏生活を強いることで対応することが習い性になってきた。しかし、計画経済から市場経済への体制転換は、北韓が経済難局から離脱する最善の道筋であるのみならず、「統一費用」を軽減する方途として譲れるものではない。
体制転換の試みは、「ポスト金正日時代」に可能性として残されている、との見方がある。しかし、大規模で緊張に満ちたプロジェクトには、カリスマ性のない後継体制では対応できない可能性もまた大きい。それでも、北韓が核兵器を完全に廃棄することをはじめ、人権問題など国際社会の要求に応え、南北関係を相互信頼の上に安定させれば話は別である。
「強盛大国の大門が開かれる」2012年には、見通しがはっきりするものと思われる。ただ、それまでに北韓がどのような事態に至るのか、予断は許されない。
(終わり)
(2008.9.3 民団)