掲載日 : [2023-06-21] 照会数 : 1123
虐殺現場に立ち黙とう 有志がフィールドワーク
[ 遺骨発掘現場の八千代市高津なぎの原に立つ平形千惠子さん(右から3人目) ]
【千葉】「歩いて考える関東大震災」と題した「特別講座」が11日、千葉であった。市民団体「ヒロシマ講座」の企画に市民26人が応募。平形千惠子さん(「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」)の案内で100年前の虐殺現場に立ち、犠牲者に思いをはせた。
千葉は関東大震災時に「保護」収容していた「陸軍習志野収容所」から旧大和田町役場を通じて「朝鮮人をくれるから取りに来い」と命じて地域の自警団に払い下げ、殺させた現場だ。犠牲となったのはほとんどが北総鉄道(野田‐柏‐船橋、現在の東武野田線)敷設工事に携わった朝鮮人労働者たちだった。
一行が最初に向かったのは船橋市の海軍東京無線電信所船橋送信所跡地。大地震で通信が途絶えていた震災直後の1923年9月3日8時15分、日本政府による公式の「流言飛語」を全国に広げた。「厳重なる取締」を呼びかけた公式の電波は自警団を虐殺に駆り立てた。船橋市の馬込霊園では47年3・1記念日に地元同胞がお金を出し合って建立した「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」の前で黙とうを捧げた。同霊園には船橋仏教連合会が震災の翌年に建立した「法界無縁塔」もある。もとは旧船橋町火葬場の近くにあった。
この後、犠牲者6体の遺骨を発掘した八千代市高津のなぎの原の現場でも黙とうを捧げた。
(2023.6.21民団新聞)