掲載日 : [2021-05-11] 照会数 : 8394
「浅川巧から始まった、私が歩んだ韓国50年」寄稿 藤本巧(写真家)
[ 韓国文化院で50周年記念展を開いた藤本巧さん ] [ 浅川伯教・巧が通った学校周辺の風景(2020年撮影、山梨県北杜市) ]
20歳から韓国の風土と人々に魅せられ、「理屈ぬきのほんとうに美しい風景」を自らの表現活動として心の命ずるままに撮り続けてきた写真家、藤本巧さんの取材活動が50年を迎えた。韓国文化院での「巡回特別展」を契機に藤本さんに寄稿を依頼し、自身が写真活動で紡いできた「韓国民俗50年誌」を振り返ってもらった。
柳宗悦を敬愛する父(均)が、私の名を「巧」とつけた。
その経緯は、敗戦で世の中が沈み込んでいた昭和21年、島根新聞社(現・山陰中央新報社)の社長・田部長右衛門が、郷里に疎開していた著名な芸術家たちを教授に迎え、新しい時代を担う若者たちを育てる目的で「松江美術工芸研究所」を設立した。この学校で、私の父は工芸論を学んだ。
教授群の中には、陶芸家・河井寛次郎も名を連ね、柳宗悦が継承する「民藝」について教わった。そのような縁で、柳宗悦著『私の念願』の中で「浅川巧」のことを知り、巧の生き方に共感して命名した。
私は若いころから、朝鮮時代の工芸品の美しさに傾倒していた。どのようなところで、どのような人たちによって作られたのか? 私の問いに答える文章が、雑誌『工藝「朝鮮の旅」』(69号)に掲載されていた。
なだらかな弧線を描いて起伏する丘陵、赭(あか)い土の上にまばらに生えた春草、静かに流れる河、それから畦のない田畑。そういう中にいりまじる村(中略)自然の中につけた素晴らしい模様。
この紀行文は、1936年に柳宗悦・河井寛次郎、濱田庄司が、韓国を旅したときの文章である。読み終えた私は、益々韓国へ旅立ちたい思いが募ってきた。そして念願がかない1970年に韓国の地を踏んだ。諸先生方の旅から34年もの歳月が経っていたので、その残影でも良いから私の目で確かめたかった。
ところが予想に反し、車窓からの眺めは美しい自然と村人たちの暮らしが共存していた。田畑のあぜ道、家屋の石積、土塀、そして藁屋根の曲線など、きちんと整頓させるのではなく自由な流れだった。ファインダーに映る映像は、どの部分を切り取っても朝鮮時代の工芸品に触れているようだった。
私は無我夢中になって、シャッターを切り続けた。これまで感じたことのない刺激的な感動が生まれた。
だが時を同じくして国策として新しい村作りを推奨する「セマウル運動」が施行されていた。藁葺き屋根がスレートへ、土塀がブロックに……。訪れるたびに全土の風景が変貌していくのを目の当たりにして、私は「映像として残しておきたい」という思いに駆られた。ソウルオリンピック(1988年)を境として、「漢江の奇跡」を成し遂げた韓国。私の渡韓回数が、そのころから少なくなっていった。
柳宗悦は、情愛と尊敬とをもって朝鮮時代の工芸品の背後にあるものを見通し、是れに拠って朝鮮に対する仕事を果そうとする人がどれだけあったろうか、と語っている。 この言葉は、私にとって、韓国を撮り続ける原動力となった。これまでの私は、美しさの形状だけを求めていたからである。
負の歴史である「文禄・慶長の役(任辰倭乱)」、日本が統治した時代の建物「日式住宅(敵産住宅)」などの取材を踏まえて、韓国からの影響を受けた「韓国渡来文化」。関西の古道を歩くと古代からの友好を記す痕跡に出会う。いかに百済という名のつく地名やお寺が多いことか。文字だけでない。滋賀の石塔寺の石塔などは、扶余で見た三層石塔に如実に相似していた。千数百年前の友好の風景が迫ってくるのである。
また古道・竹内街道沿いを歩くと、数えきれないほどの古墳群が存在する。百済の王族・昆支王(こんきおう)を祭神とする神社が鎮座し、丘に登って二上山を望むと渡来人が見たであろう世界が、鳥瞰図のように広がっていた。
それから近江国には、国書を携えて江戸に向かう朝鮮通信使が通った「朝鮮人街道」の石碑に出会う。
雨森芳洲の言葉、相手を敬う「誠信の交わり」の心は、いつの世にも生き続けると信じている。
私が最初の渡韓で訪れた浅川巧が眠る「忘憂里共同墓地」から半世紀となる韓国取材。今年は浅川巧生誕130年の年にあたる。浅川伯教・巧兄弟資料館(北杜市)の協力を得て、浅川兄弟が幼少の時を過ごした八ヶ岳を望む自然や学校、更地として存続する生家跡などを通して、私の「韓国民俗50年誌」を振り返える年にしたい。
藤本巧(ふじもと たくみ)
1949年島根県出雲市大社町生まれ。10代から写真を独学。70年、柳宗悦が30年代に韓半島を旅した道を父ともにたどり、「理屈ぬきのほんとうに美しい風景を発見した」ことから韓国の風土と人々を撮り続ける。11年には4万7000点余りの写真をすべて景福宮の国立民俗博物館に寄贈した。写真集『韓くに三部作』ほか多数。咲くやこの花賞、文化体育観光部長官賞(韓国)、土門拳賞ほか。
(2021.05.12 民団新聞)