掲載日 : [2004-10-20] 照会数 : 2953
ひのき縄の製造支えた在日の歴史 常設展示コーナーで振り返る(04.10.20)
[ 常設展示コーナー開設の集い。右手が福島さん ]
奈良・桜井市の旧地場産業
天理市北夜間中学 教員が聞き取り作業
【奈良】奈良県桜井市で日本の戦中から70年代にかけ、ひのき縄の生産を底辺で支えてきた在日一世の歴史を振り返る常設展示コーナーがこのほど、天理市立北中学校夜間学級に開設された。
展示コーナーは学校の玄関先の廊下にそって5㍍ほどのスペース。主なものは、できあがったひのき縄をはじめ、材料となるひのきの皮(荒皮)をはいだり、削るために使った包丁、あくを抜くために池や川につけたひのきの皮を引き揚げるための引っかけ棒、皮たたき台、最後の工程で使うなわない台など40点。
このコーナーは北中学校夜間学級の教員、福島俊弘さん(50)が60歳から80歳までの在日一世の教え子らからコツコツ4年かけて聞き取った証言をもとに構成した。説明書きからは、当時の過酷な作業の一端を垣間見ることができる。
皮はぎの作業場ではひのきの赤い木くずが体中につき、くしゃみをすると鼻からほこりの塊が出てきたという。「仕事をいやがる人には『ほこりが飯や!』といってこの仕事を続けてきた」(朴尚任さんの話)。
皮をはいだひのきは桜井市内を流れる初瀬川につけ、天日で干した。冬の水の冷たさはひときわ身にしみたようだ。鄭真任さんは、冬の作業が辛かったことを「昨日のことのように思い出す」と作文につづった。
姜必善さんの証言をもとにした「ひのき縄をしていた1日」によると、作業は朝4時から始まり夜中の11時まで続いたという。作業場を離れるのは食事や洗濯、幼い子どもの世話にあたるわずかな時間だけだった。12歳で渡日して間もなく作業に携わった趙渭済さんは「韓国人はなぜこんな仕事をしなければならないのかと、疑問に思ったこともあります」と話している。
証言集出版へ
福島さんは聞き取りについて「ひのき縄のことは桜井市史にもほとんど記述がない。在日一世の貴重な証言を記録しなければ」と話している。これらの証言は本にまとめ年内にも出版したい考えだ。
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ひのき縄とは
ひのきの皮からつくる防水用の縄のこと。マキハダとも呼ぶ。木造船の透き間に詰めたり、木製の風呂おけ、酒や醤油の木桶にも使われた。木材産地の桜井市では最盛期に業者30軒を数え1930年代から主に在日同胞が生産を担った。70年代まで市の地場産業として盛んだった。
(2004.10.20 民団新聞)