掲載日 : [2004-10-20] 照会数 : 5428
在日百年 〈物〉が語る歴史①(04.10.20)
土木工事を担った「組」
68年前 秋田県下同胞の写真
私の手元に一枚のセピア色の写真がある。
1936年(昭和11年)、秋田県は花輪町(現・鹿角市)で撮られたものだ。なんと68年も前である。なぜ分かるかというと、中央左側で抱かれている幼児が今年68歳になるからだ。私の兄である。抱いているのは3年前他界した母で、その後方が父である。当時父は土木工事の請負業で、いわゆる「組」を成していた。その家族たちとの写真である。
ちなみにこの年は青年将校たちが決起した二・二六事件があり、孫基禎がマラソンで金メダルに輝いたベルリン・オリンピック大会があった。また、日中戦争の前年でもあった。
内務省警保局の資料によると、この年の日本への渡航者は11万6千人、在日の総計は70万人と記録されている。
それにしても写真の人たちは、汽車で釜山に出るのも大変だったであろうあの時代、玄界灘の荒波を越え、なぜ遙か東北の片田舎までやってきたのだろうか。私自身の在日半生を思う時、ついこだわってしまう。
「仕事があったから‐」だけではどうも納得がゆかない。写真の一人ひとりにインタビューしたいところだが、ほとんどはこの地の土となり、今となっては叶わぬ相談である。写真は衣裳、履き物、帽子など、どれ一つとってもあの時代を見事に写し出している。
現在、在日歴史資料館の設立準備が進んでいる。その一環として、その時代時代を写した写真の収集を進めている。「在日」の歴史を編む時、写真こそ一級の資料と私は思う。
過日、大阪人権博物館「リバティーおおさか」の文公輝学芸員から、叔母の家の祭祀で何気なく手にした本棚のアルバムから朝連・福井の貴重な写真を見つけたという話を聞いた。ことほど左様に、どこの在日家庭にも「お宝写真」が眠っている筈である。写真は時代を経るとともに散逸する。そうならない内に、長い歴史を生きてきた「在日」の確たる証拠としてその収集が急がれる。そして、それらを後の世まで残したいと念願している。
在日コリアン歴史資料館調査委員・呉徳洙=映画監督
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(2004.10.20 民団新聞)