掲載日 : [2017-04-26] 照会数 : 8772
最古の新聞?…「朝報」の実物発見
[ みつかった朝報の一部 ]
16世紀の5日分
『朝鮮王朝実録』の記録で言及されていた世界最初の新聞「朝報」の実物とされる文書が発見された。今までは1660年、ドイツで発行の「ライプチガー・ツァイトゥング」が世界最初の新聞として知られている。
慶尚北道永川市洞に位置した龍華寺の住持・志逢僧侶は「今月上旬に古書籍の競売サイトで入手した」と18日、話した。計8枚で、1577年陰暦11月6日、15日、19日、23日、24日の5日分。
6日付は恭懿殿(仁聖大妃)にご機嫌をうかがう内容、経筵(王と臣下が国政を協議し学問を論じること)が開かれなかったということも記されている。15日付には数百匹の牛が伝染病にかかって死んだという記述も。23日付には、その日の天気や星座を記録したものある。24日付には刑曹正郎李延馨(1549〜1607年)など臣下の人事異動が記されている。
朝報に関する記録は『朝鮮王朝実録』の中で『宣祖実録』1577年陰暦11月28日付に初めて登場する。宣祖が偶然に朝報の存在に気づいて大臣たちをしかる内容だ。また、朝報の発行に参加した約30人に過酷な刑罰を下したと『宣祖実録』に書かれている。
宣祖が朝報の発行に怒った理由は、民間や外国に国家機密を漏洩して王室の面子がつぶれたと見なされたと見られる。志逢僧侶は「朝報の発行は当時、朝廷では非常に大きな事件だった。朝報を発行した人々は姿を消し、朝報を手に入れた人々も廃棄したり、隠したりしなければならなかった」と説明した。
慶北大学文献情報大学のナム・グォンヒ教授は「形態的、内容的な面で見ると、本物である可能性が大きい」とし、ただ残念なところは朝報のごく一部だけが発見されて、文化財として認められるには困難があるようだ」と話した。
(2017.4.26 民団新聞)