掲載日 : [2019-10-16] 照会数 : 9886
裏切られた楽園…北送60年 元朝総連幹部の証言<上>
[ 新潟港を出る北送船 ]
目的は在日の労働力…帰国の友から 援助求める手紙
先行きの見えない「帰国運動」当時の日本の差別社会。子どもたちの将来を悲観していた在日同胞に、「同胞愛」を掲げ、「地上の楽園」だと騙したのが、金日成と御用組織の朝総連である。目をつけたのは在日の労働力だった。良かれと思って結果的に家族を生き地獄の北に送った金三守(仮名)さんは、あの日から60年の歳月を経た今も、罪滅ぼしができない苦しさを抱えている。
◆「帰国運動」の目的
祖国解放(1945年)後、在日の生活が貧しかったのは事実です。当時、大学を出ても就職できず、人生に対して投げやりになっていた友人や先輩たちの多くが北へ帰ったんじゃないかな。
民族心を持つことはいいことですが、当時は鬱積していた民族心だった。その民族心に火を点けた一つが「帰国運動」です。金日成は同胞愛を掲げ、民族心を巧みに利用したのです。
「同胞愛です、同胞は全てです。私たちはあなたたちを手を広げて大歓迎します」など民族心のあおり方、利用の仕方は最たるものです。ただ、実際ほしかったのは労働力だったのです。
在日は傘屋とか靴屋とか、技術を持った人が多く、金日成から見たら絶好の労働力ですよ。
◆ノルマは課せられたか
私は大人になってから大阪に来ました。子どもの頃は1949年に朝鮮人学校が閉鎖されるまで、1年半くらい通った。大学卒業後、朝鮮大学の教員になりました。
朝総連というのは何でもノルマを課すんです。例えば新入生を一人何人連れて来いとか。ノルマを達成しないと総括されるわけです。ただ、帰国運動では、大学教員へのノルマは無かったと思います。
当時、朝鮮学校には担当の教師がいました。在日本朝鮮青年同盟の班を指導する教師がいるのですが、その人が朝鮮大学を卒業すると、朝総連から見て肝が据わっている教師を選んで派遣するんです。彼らは表向きは教師ですが、裏ではそういう任務を与えられ、生徒たちを口説くということを徹底的にやっていました。
また、朝総連の各支部には集団帰国者を募れとか、最低、年間2~3人は帰国させろとかの指令があったでしょうね。
◆真に帰国を望んだか
当時、日本には60万人の在日同胞がいて、帰国したのは約9万3000人です。日本での生活を清算して北へ行くのは覚悟が必要です。
それを朝総連は「在日の生活は貧しい。しかし、北は『地上の楽園』だ。だからもっといい生活ができるようになる」と強調した。よく言っていたのは、日本では子どもたちの将来が約束されていないということです。
夢や希望を持てる。人間はそれを持たないと生きられない。それを持てる自分の祖国、悪くても良くても我が祖国じゃないかと。
私は大学の教員を辞めてから朝総連に行ったので、帰国事業は一山超えていましたが、その後に帰る者がいれば大騒ぎをしていましたね。
その後は私たちの間でも帰国者を募るとか、帰国者を増やすとか話題にもならなかった。だから朝総連中央も知っていたんですよ、帰国者が増えないことは。
◆帰国者の激減
帰国事業の開始から2年くらいして、帰国者は激減しました。金日成の宣伝通りならば、60万人の同胞が帰国すべきなのです。そんなことはあり得ないし、事実なかった。ある意味で、金日成たちは最初は勝ったが、帰国者が途切れたことが完全敗北ですね。
そんな時、結婚もしないで一人で帰国した先輩や友人たちから手紙が届いたんです。お金を送ってくれとは一言も書いていませんでしたが、日本には親戚がいないので援助してくれと。最初のころは甘いものがないからサッカリンを送ってほしい。次は古着でもいいから送ってほしいと、このような手紙が続けて届きました。
ところが総連幹部たちは「この人たちは教育をきちっと受けていないからそう言っている」「みんな平等でないといけない。みんなで苦労したらいいのに祖国愛がない」。もっと言うと「金日成に対する忠誠心が足りないからこんなことになるんだ」と言いました。
(2019.10.16 民団新聞)