掲載日 : [2017-06-14] 照会数 : 7599
<寄稿>韓日高校生の音楽会再び…音楽ジャーナリスト・戸田志香
[ 桂園芸術高校音楽科の生徒たち ]
「響けよ歌声」公演8月に
3年間の経験ふまえ
今年の4月初め、京畿道城南市にある桂園芸術高校を訪れた。声楽科教諭の朴鎮亨さんが、校舎脇にいた数人の生徒たちの中の一人を呼んだ。駈けてきた女生徒と私は目が合うなり、思わずハグした。2年ぶりの彼女はもう3年生になっていた。
朴さんは「音楽会に出た子たちはみんな、いい大学に入りましたよ」と嬉しそうに話し出した。
音楽会とは2013年から3年続いた、日本と韓国の高校生音楽会「歌 ひとつ 響」だ。昭和音楽大学(神奈川・川崎市麻生区)主催の「高校生のための歌曲コンクール」入賞者5人と、韓国の仙和、京畿、桂園の3つの芸術高校在校生5人によるもので、3年で10数回の公演を行った。
両国関係困難な時
友好の土台固める
私が昭和音大から日韓高校生の音楽会をしたいと、準備を任されたのが13年の初めだった。まず会場探しのため、ソウルでお会いした、駐韓日本大使館日本文化院の道上尚史院長(当時)に音楽会の趣旨を伝えると大喜び。早速、文化院ホ‐ルへの出演が決まった。
次にお会いした柳時京さんは聖公会ソウル大聖堂の司祭。音楽会会場に「ここを使ったらいいですよ」という嬉しい申し出により、由緒あるソウル大聖堂が毎年、高校生たちの歌声を包み込んでくれた。会場は世宗文化会館チェインバーホールと聖公会ソウル大聖堂の2カ所以外に、初年度は京畿道富川市にある知的障害者施設も加わった。
立派なホールで、華やかなドレスに身を包み、スポットライトを浴びるだけが歌手ではないという私の考えに賛同し、富川市にある京畿芸術高校の黄炳淑校長が施設を探してくれたのだ。
この音楽会では演奏前の自己紹介、曲目紹介を韓国では韓国語で、日本では日本語で行った。これが大好評。舞台と客席がぐっと近くなった。
舞台裏では発音を教え合ったり、楽屋では本格的なメイクアップに長けている韓国の高校生が、地味系の日本の高校生に化粧をほどこしたり、短い時間の中で高校生たちはどんどん近しくなる。ライバルではなく、同じ道を志す仲間になれるのが、この音楽会だった。
「響けよ歌声」は、私が新たに立ち上げた高校生音楽会。日本の音楽高校と韓国の芸術高校とのつながりを持たせ、全国ネットの音楽会にしたいと考えている。
スタートは今年8月末だ。国立音大附属高校と、川崎国際交流センターでの演奏を予定している。出演は国立音大附属高校、韓国は「歌 ひとつ 響」に出演した3つの芸術高校から選ばれた数人になる。
今、日韓関係は慰安婦少女像問題などで沈みがちだが、「だからこそ今、こうした音楽会をしなくてはいけないんですよ」と韓国側はこの音楽会に積極的な気持ちを寄せてくれる。しかし日本側は、韓国に関わりのある人以外は無反応だ。
13年の民団新聞に、私は「こうした音楽会に関わる私たちこそが、お互いの歌声を素直に享受できる意識変革を求められるだろう」という文を寄せた。小さな音楽会での出会いを通じて、2つの国が結びつき、それが大きな平和の響きになるに違いないと、私はそう信じている。
「響けよ歌声」が私に与えようとしている新たな役割は、その大きな平和の響きの土台を固めることだ。その目的に向かって今、奔走している。
(2017.6.14 民団新聞)