掲載日 : [2017-08-30] 照会数 : 8111
文在寅大統領第72周年光復節慶祝辞(要旨)
[ 光復節記念式典で万歳三唱する文在寅大統領夫妻ら ]
危機と困難に立ち向かう勇気を
独立精神継承してこそ
◆100年前に「国民主権」
尊敬する国民の皆さん。独立有功者と遺族の皆さん。海外に居住している同胞の皆さん。ロウソク革命による国民主権の時代が開かれてから初めて迎える光復節です。本日、その意味を一際深く感じています。
独立運動の理念
国民主権は今の時代を生きる私たちが初めて使用した言葉ではありません。100年前の1917年7月、独立運動家14人が上海で発表した「大同団結宣言」は、国民主権を独立運動の理念として明らかにしました。
庚戌国恥は国の権利を喪失した日ではなく、むしろ主権が発生した日だと宣言し、国民主権に立脚した臨時政府の樹立を提唱しました。そして1919年3月、理念と階級、地域を超えた、全民族的抗日独立運動を経て、この宣言は大韓民国臨時政府を樹立する基盤となりました。
国民主権は臨時政府樹立を通じて大韓民国を建国する理念となり、今日、私たちはその精神を継承しています。このように国民が主となる国を建てようとした先代たちの願いは100年の時を経て受け継がれ、ついにはロウソクを持った国民たちの行動となりました。
光復は与えられたものではありませんでした。姓名の3文字まですべてを奪われても、自由と独立の熱望を守った3000万人が取り戻したものです。民族の自主独立に命を捧げた先烈たちは言うまでもなく、独立運動に行く息子の服を縫った母親、日帝の目を避け夜間学校で母国語を教えた先生、私たちの伝統を守り抜き、こつこつ貯めた資金をカンパした方々など、全ての人が光復を成し遂げた主人公です。
光復は抗日義兵から光復軍まで、愛国先烈たちの犠牲と献身が流した血の代価でした。職業も、性別も、年齢の区分もありませんでした。
義烈団員であり、モンゴルの伝染病を根絶させた医師の李泰俊先生、間島惨変の取材中に行方不明になった東亜日報の張徳俊先生、武装独立団体の西路軍政署で活躍した独立軍の母である南慈賢女史、科学で民族の力を育てようとした科学者の金容 先生、独立軍決死隊だった映画監督の羅雲奎先生、私たちには多くの独立運動家がいました。
独立運動の舞台も韓半島だけではありませんでした。1919年3月1日、沿海州と満州、米国とアジアのいたる地でも一斉に大韓独立の叫びが轟きました。
抗日独立運動のこの輝く場面が昨冬、全国津々浦々で、そして同胞が住む世界のいたる所でロウソクとして蘇りました。
偉大なる独立運動の精神は民主化と経済発展として蘇り、今日の大韓民国を作りました。その過程で犠牲になり、汗を流したすべての方々、その一人ひとりが現在のこの国を建てた貢献者です。
私たちが記念するこの日が民族と国に襲った困難と危機に立ち向かう勇気と知恵を再確認することを願っています。
忘れまい「国家貢献者」
◆臨時政府記念館建立へ
尊敬する独立有功者と遺族の皆さん。慶尚北道安東に臨清閣という由緒ある家があります。
臨清閣は日帝植民地前に家財を処分して満州に亡命し、新興武官学校を建設し武装独立運動の基盤を作った、石州・李相龍先生の本家です。およそ9人の独立闘士を輩出した独立運動の産室でもあり、大韓民国のノブリス・オブリージュを象徴する空間です。
これに対する報復として、日帝はこの家を貫通するように鉄道を引きました。99間の大豪邸だった臨清閣は今も半分が壊されたままです。
李相龍先生の子孫は解放後、大韓民国で孤児院生活を送ることになりました。臨清閣の姿そのものが私たちが振り返るべき、大韓民国の現実です。日帝と親日の残滓をきちんと清算できず、民族正気を立て直すことができませんでした。
歴史を失えばルーツを失います。独立運動家たちをこれ以上忘れられた英雄として取り残してはなりません。名誉だけの報勲にとどまってはなりません。独立運動をすれば3代が滅びるという言葉を消さなければなりません。親日反逆者と独立運動家の境遇が解放後も変わらなかったという経験が、不当な妥協を正当化する歪曲された価値観を作りました。
尊敬及び礼儀で
独立運動家たちを称える国家の姿勢を全面的に一新します。最高の尊敬と礼儀で報います。独立運動家の3代まで礼遇し、子と孫までの生活安定を支援し、国家に献身すれば3代までもてなされるという認識を植え付けます。
独立運動の功績を子孫たちに記憶させるため、臨時政府記念館を建立します。臨清閣のような独立運動を記憶できる遺跡地を全て探し出します。忘れられた独立運動家を最後まで発掘し、海外の独立運動遺跡を保存します。
この機会に政府は大韓民国報勲の土台を全面的に立て直します。
青春を国に捧げ、今や高齢になられた独立有功者と参戦有功者に対する礼遇を強化します。生存している間、独立有功者と参戦有功者の治療を国が責任を果たします。参戦名誉手当も引き上げます。
殉職軍人と警察、消防公務員の遺族への支援も拡大します。それが私たちすべての誇りになるものと信じています。
光復70年が過ぎても、日帝強占期に強制動員で受けた苦痛が続いています。
これまで強制動員の実像は部分的には明らかになりましたが、まだその被害規模は明らかにされていません。明らかになった事実は解決へと向かい、未解決の部分は政府と民間が協力して解決しなければなりません。今後、南北関係が解決すれば、南北共同で強制動員被害の実態調査も検討するでしょう。
解放後、帰国できなかった同胞たちが大勢います。在日同胞の場合、国籍を問うことなく、人道主義的な次元から故郷訪問を正常化します。
今もシベリアとサハリンなどの各地に強制移住と強制動員による傷が残っています。その方々と同胞の情愛を分かち合います。
戦争だけは絶対に防ぐ
◆平和的解決で分断克服
本日、光復節を迎え、韓半島を取り巻きながら続く軍事的緊張の高潮が私たちに不安感を抱かせています。
分断は冷戦の狭間の中で私たち自身の力で運命を決定できなかった植民地時代が残した不幸な遺物です。しかし今、私たち自ら運命を決定することができるほど力が大きくなりました。韓半島の平和も、分断の克服も私たち自らの力で成し遂げねばなりません。
今、韓半島の時代的使命は、言うまでもなく平和です。韓半島の平和定着を通じて分断の克服こそが光復を真正に完成させる道です。平和はまた、当面する私たちの生存戦略です。
当面する最大の課題は北韓の核とミサイルです。政府は今の安全保障状況を極めて厳重に認識しています。政府は堅固な韓米同盟を基盤に米国と緊密に協力しながら、安全保障の危機を打開していきます。しかし、私たちの安全保障を同盟国だけに依存はできません。韓半島の問題は私たちが主導的に解決しなければなりません。
政府の原則は確固としています。大韓民国の国益が最優先であり正義であります。韓半島で再び戦争が起きてはなりません。韓半島での軍事行動は大韓民国だけが決定することができ、誰も大韓民国の同意なしに軍事行動を決定できません。
政府はすべてをかけて戦争だけは防ぎます。いかなる紆余曲折を経ても、北韓の核問題は必ず平和的に解決しなければなりません。この点で、わが国と米国政府の立場は異なりません。
南北間の軍事的緊張状況をこれ以上悪化させないために、軍事的対話の扉を開けておきます。北韓に対する制裁と対話はどちらが先かという問題ではありません。北韓の核問題の歴史は制裁と対話が同時進行した時、問題解決の糸口が開かれたことを示しました。
北韓がミサイル発射実験を猶予したり、核実験中断を明らかにした時、南北関係が良好だった事を忘れてはなりません。そのような時、米・北、日・北間の対話も促進され、東北アジアの多国間外交も活発でした。私は機会あるごとに韓半島問題の主導者は韓国だと述べた理由もここにあります。
対話の扉開いて
北韓核問題の解決は核の凍結から始めなければなりません。少なくとも北韓が追加的な核とミサイルの挑発を中断してこそ対話の条件が整います。北韓に対する高強度な制裁と圧迫の目的も北韓を対話に導くためのものであり、軍事的緊張を高めるためではありません。
北韓当局に促します。国際的な協力と共生なく経済発展を成し遂げることは不可能です。
統一は民族共同体の全構成員が合意する、「平和的」「民主的」方式で成し遂げなければなりません。
安保・経済協力の好機に
◆東北アジアで相つぐ五輪
私は以前、「韓半島新経済地図」構想を明らかにしたことがあります。南北間の経済協力と東北アジアの経済協力は南北共同の繁栄をもたらし、軍事的対立を緩和させることでしょう。経済協力の過程で北韓は核兵器を持たなくても、安全が保障されるという事実を自然に気づくことになるでしょう。
離散家族問題のような人道的な協力をいち早く再開する必要があります。離散家族再会と故郷訪問、墓参に対する速やかな同調を呼びかけます。
近づく平昌冬季五輪も南北が平和への道を一歩進められる良い機会です。平昌五輪を平和五輪へと作っていきましょう。南北対話の機会にし、韓半島の平和の土台を作らなければなりません。
東北アジアで相次いで開催される、2018年平昌冬季五輪、2020年東京夏季五輪、2022年北京冬季五輪は、韓半島とともに東北アジアの平和と経済協力を促進できる絶好の機会です。私は東北アジアの全指導者に、この好機を活かすために顔を寄せ合うことを提案します。特に韓国と中国、日本は域内安保と経済協力を制度化しながら、共同の責任を分け合う努力をしていくことでしょう。
毎年光復節を迎えると、韓日関係をふりかえらざるを得ません。韓日関係も今や両者関係をこえ、東北アジアの平和と繁栄をめざし、ともに協力する関係に発展させなければなりません。過去史と歴史問題が、韓日関係の未来志向的な発展の足を引っぱり続けることは望ましくありません。
韓日交流拡大を
政府は新たな韓日関係の発展をめざし、シャトル外交を含む多様な交流を拡大していきます。当面する、北韓の核とミサイルの脅威に対する共同対応のためにも、両国間の協力を強化します。
しかし、私たちが韓日関係の未来を重視するといって、歴史問題を見逃すわけにはいけません。むしろ歴史問題をきちんと清算してこそ、両国の信頼がより深まるでしょう。
韓日関係の障害は過去史そのものではなく、歴史問題に対する日本政府の認識の揺れにあるからです。日本軍慰安婦と強制徴用等、韓日間の歴史問題解決には、人類の普遍的価値と国民的合意に基づく被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止の約束という国際社会の原則があります。わが政府はこの原則を必ず守ります。日本の指導者たちの勇気ある姿勢が必要なのです。
建国100年に向け
2019年は、大韓民国建立と臨時政府樹立100周年を迎える年です。来年の8・15は政府樹立70周年でもあります。私たちにとっての真の光復は、外勢によって分断された民族が一つとなる道へと進むことです。
その過程で、癒やしと和解、統合に向け、過去1世紀の歴史を決算することも可能となります。国民主権の巨大な流れの前では保守、進歩の区別が無意味なように、私たちの近現代史において産業化と民主化を勢力で区別することも、乗り越えなければなりません。
今、過去100年の歴史を決算し、新たな100年のために共同体の価値を再定立する作業を始めなければなりません。
大胆に、自信を持って新たな課題に立ち向かいましょう。いつもそうだったように、大韓民国の名のもとに一つとなり、前進していきましょう。
国のために自らの全てを捧げた愛国先烈と独立有功者らに深く尊敬の意を表します。
(2017.08.30 民団新聞)