1946年10月3日の創立以来、民団は在日同胞の差別撤廃、権益擁護、民族教育、経済発展、民生安定をはじめ、祖国発展への寄与、日本地域社会での貢献、北韓と総連の対南破壊策動に対する糾弾など、数知れない運動を展開してきた。その中で団員の意識喚起を図るために力を発揮したのがポスターやビラなどの広報印刷物だ。ネット社会の今はホームページ、ブログをはじめSNSを通じてリアルタイムで情報が拡散されているが、いつの時代になっても、目から直に情報が伝わってくるのはやはり印刷物である。70年間、民団は団員らに何を伝えてきたのか、スローガンやビラ、ポスターでふり返った。

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国連監視下の南北総選挙支持
信託統治問題をめぐって第2次米ソ共同委員会が決裂(1947年10月20日)すると、米国は朝鮮独立問題を国連に移管し、「国連の監視下で南北朝鮮総選挙を実施すると共に、国会による政府樹立を監視する国連臨時朝鮮委員団を朝鮮に派遣する」という提案を国連総会に上程し、可決された。
これを受けて民団では同年12月6日、支持声明を発表した。

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北送を阻止
1959年8月に締結された「在日朝鮮人の帰還に関する協定」による北送に反対する民団は全組織を動員し、輸送列車を実力で停止させるなどの阻止運動を展開。民団の決死的な北送反対闘争がなければ、北韓で生き地獄の生活を強いられた同胞の数はさらに増えていた。


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韓日国交正常化にむけて
国交正常化にむけて1951年10月20日の予備会談を皮切りに65年6月22日の基本条約締結まで14年間にわたった韓日会談。60年代前半は韓日国交正常化と永住権確立が焦眉の課題であった。1961年の第42周年3・1節のスローガンも「韓日会談成功」を強調。

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永住権申請運動スタート
65年12月28日に韓日協定が発効し、66年1月17日から「永住権申請」が始まると、総連の妨害にも屈せず全力を注いだ。機関紙でも「わが家のしあわせ永住権から」と数次にわたるキャンペーンを続けた。永住権申請運動のスタートだった66年の光復節は規模を拡大し各地方協議会による決起大会を兼ねた。

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思想を乗りこえて肉親と再会
72年に南北共同声明が劇的に発表され、同胞社会にも平和統一への期待感が芽生えた。民団は歓迎しつつも、「南北共同声明を悪用して、わが組織を撹乱しようとする一切の策動を排除する」と警戒感を緩めなかった。そんな中、総連同胞を対象にした母国墓参団事業を75年からスタートさせた。人道的見地から「朝鮮籍」のまま臨時パスポートを発行。夢にまで見た故郷を訪れ、肉親と再会した。同事業は30年余り続き、5万人余りの総連系同胞が韓国を訪問した。

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「全団員の殿堂を」
民団中央本部会館「韓国中央会館」の建設に向けて民団は74年の中央委員会で「建設委員会」を構成し、全国で募金運動を開始した。一般団員をはじめ経済人などから寄せられた誠金などを元に会館は76年3月31日に完工。翌年10月3日の創団30周年式典は新築された会館の大ホールで挙行された。

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創団30周年をスポーツで祝う
民団創立30周年の76年11月6日、東京五輪のサッカー会場だった駒沢総合運動場で全国の団員と民族学校児童・生徒が参加して大規模な体育大会を開催した。
綱引き、リレー、各種競走などの一般的な運動会のプログラムのほか、サッカーやシルム(韓国相撲)、ノルティギ(板跳び)、クネティギ(ブランコ)などの民俗競技も含まれた。

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人権と生活権の確立を
79年に出帆した張聡明執行部は、初年度に平和統一促進、権益擁護、信用組合強化、新生活、民族教育の5大運動を掲げ、6月から半年間、180日間運動を展開した。2年目の80年には国民年金獲得、総連同胞の母国訪問、民団の独自共済年金、信用組合強化、民族教育の5本を主要運動に掲げて120日間運動を展開した。

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1人1通帳運動
79年から民団、韓商連、韓信協が三位一体となって「信用組合強化中央推進委員会」を発足させ預金高増強や組合員拡大など韓信協会員組合の育成強化を図った。全国で一日店長をはじめ、「ひとり1通帳開設」などのキャンペーンを繰り広げ、85年12月に総預金高は1兆円を突破した。

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差別撤廃全国集会
在日韓国青年会は日本の国際人権規約批准を受けて、在日同胞への国民年金適用を求める5万人署名運動を展開し、79年11月3日に「全国青年・学生集会」を開催する予定だった。しかし10月26日、朴正煕大統領が兇弾に倒れ、変更を余儀なくされた。署名の目標数を2倍の10万人に拡大し翌年2月10日、「民族主体性を持ち民族差別と闘う在日韓国青年全国集会」を開催した。

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街頭デモの配布ビラ
1980年7月4日、日比谷野外音楽堂で開かれた「平和統一・国家保衛中央大会」後の街頭デモ行進で配布したビラ。この集会の直前の6月21日、北韓は武装スパイ船で韓国忠清南道に侵攻した。韓国の陸・海・空軍と海上警察の合同作戦で沖合64㌔の地点で交戦の末、撃沈した。これによってスパイ船の北韓工作員10人中9人が射殺され、生存した1人を逮捕した。

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大統領提案を支持
全斗煥大統領は83年1月22日の年頭国政演説で南北統一のプロセスとして南北代表が参加する「民族統一協議会」による統一憲法の起草・制定、統一実現までの措置としての「暫定協定」締結等を盛り込んだ「民族和合・民主平和統一方案」を北韓側に提議した。民団では同年、韓国戦争勃発日の6月25日、各地方で同統一方案を支持する決起大会を開催したあと、街頭でこのビラを配布した。

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万景号入港に抗議
民団神奈川が84年4月、北送船「万景峰号」の横浜入港に抗議した時、配布したビラ。
全斗煥大統領は83年10月8日、南アジア太平洋地域6か国歴訪の最初の訪問国であるビルマ(現ミャンマー)に到着した。全大統領を暗殺して南侵を計画していた北韓の金日成は人民軍兵士3人を特殊工作員としてラングーン(現ヤンゴン)に送り込み、翌9日の大統領一行の礼訪に合わせてアウンサン廟の屋根裏にクレイモア地雷を仕掛け、遠隔操作で爆発させた。遅れて到着した大統領は無事だったが、閣僚ら17人が死亡、47人が負傷した。この工作員を密航させたのが北韓の貿易船「東建号」だ。北送船「万景峰号」も工作員の密入国に利用していた。

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ソウル五輪へ1日10円募金
88年のオリンピック開催地がソウルに決定(81年)されるや、民団では「在日韓国人後援会」を結成し成功へ向け全団的に募金運動を展開した。傘下団体の婦人会も「ちりも積もれば山となる」のキャッチフレーズでオモニの立場から「1日10円募金」運動を展開した。在日同胞らから寄せられた誠金は韓国史上、最高額の100億円に上った。

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積立てで五輪に
88ソウル五輪の募金運動に合わせて民団が行ったのが韓信協会員組合と提携したキャンペーン。「積立てをしてソウル五輪を観に行こう」とのキャッチフレーズで高利回りの定期積金を商品化した。オリンピックのチケットなどが当たる懸賞も付加した。

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人権侵害外登法改正を
16歳になると指紋押捺と常時携帯を強要する外国人登録法。「犯罪者扱いの人権蹂躙だ」と在日同胞から改正を求める声が高まった。民団は1983年、「外国人登録法指紋押捺撤廃100万人署名運動」に乗り出した。181万7000人を超える署名を集める一方、押捺留保運動の実力行使で訴えた。

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指紋押捺を拒否
民団の傘下団体の一つ、在日韓国青年会は「指紋押捺拒否東海道人権行脚隊」を構成して約120人が85年2月8日から3月1日まで、神戸から東京の約709㌔を歩き、このビラを配布しながら外登法の抜本改正を訴えた。

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北韓の蛮行許せぬ
88ソウル五輪開催の妨害を企んだ北韓は開幕約1年前の87年11月、偽造パスポートを使い、日本人に成り済ました工作員によって、飛行中の大韓航空機を爆破させるテロ行為を実行させた。民団は88年1月、事件の真相が発表されるや糾弾大会を開き、総連中央本部前で抗議デモを行った。

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子々孫々に永住権を
1965年の韓日協定で先送りされていた協定永住3代目以降の「法的地位」問題などを解決する再協議の期限が91年だったため、民団では「91年問題」と呼び再協議に向けて子々孫々まで日本で永住できる権利を要求する決起大会を各地で開催した。
このイメージポスターのモデルは再協議が始まった88年に生まれた在日3世だ。91年1月10日、両政府間で交わされた「覚書」には、子々孫々まで「永住権」を羈束的に付与すること、外国人登録法の「指紋押捺制度の廃止」、「再入国許可期間の延長」などを含む法改正のほか、地方参政権付与の要望も記されていた。

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次世代育成は児童から
草創期から子弟の民族教育を重点事業に掲げてきた民団は「2世育成」「世代交代」を掲げ65年から高校生、大学生の母国訪問事業を開始し、70年代に入ってからは青年会や学生会、青年・学生の育成を図ってきた。21世紀を迎え、3世、4世が生まれる時代に入り、「民族や同胞とのふれあいは幼少期から」と、小学生を対象にした母国訪問事業「オリニジャンボリー」を開始した。

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地域住民の権利を
ポスト「91年問題」として民団新聞が挙団的に展開したのが地方参政権獲得運動だ。在日韓国人の権利は権益擁護運動でほとんど取得されてきたが、残されている最大のものが地方参政権だ(94年のポスター)。

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脱北同胞を救え!
命からがら北韓を脱出し、第3国を経由してようやくの思いで日本にたどり着いた元在日北送同胞らの日本定着に向け、人道的な立場から援助するために05年6月3日、「脱北者支援民団センター」を発足させた。支援対象者は、当初約50人だったが、現在、約200人になった。14年には「関西センター」を開設した。

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国政参与始まる
09年の公職選挙法改正によって在外選挙制度が導入され在外国民にも国政選挙権が付与された。最初の投票は12年4月の第19代国会議員選挙。続いて行われたのが同年12月の第18代大統領選挙だ。民団では「韓国民として大統領を選ぶため、歴史的1票を生かそう」と一人でも多くの在日韓国人が参与するよう、東京、大阪など投票所のある公館所在地の10本部会館で「大統領選挙参与全国決起集会」を開いた。
(2016.8.15 民団新聞)(韓国言論振興財団後援)