復興とともに成長…宮城からも招待
【兵庫】阪神淡路大震災のあった94年度に生まれ、地域の復興とともに成長してきた在日同胞も晴れて新成人の仲間入り。10日、神戸市内で開催された「阪神・淡路大震災20年式典」には17人が参加。東日本大震災の被災地、宮城から招かれた同胞新成人と合流し、それぞれ「20歳の誓い」をつづった作文を発表した。
震災の痛み超え連帯
震災を直接、経験した民団兵庫本部(車得龍団長)が恒例の「兵庫県韓国人合同新年会」を前に「震災20年事業」として特別に企画。井戸敏三兵庫県知事、久元喜造神戸市長らの来賓と関係者250人が祝福した。
初めに全員が黙祷。続いて兵庫の新成人を代表して柳貴弘さんが、「震災と私‐20歳の誓い」と題した作文を発表した。
柳さんは震災体験者ではないが、神戸の被害については被災した両親や兄から聞いて育った。
作文で柳さんは、「両親の経験したこと、自分の住んでいる『まち』が遭遇したこと、それら歴史を自分が感じること。そして今後、その教訓をどう生かしていくのかを考えることが大切だ」と語った。
宮城から招待を受けた新成人は3人。代表して張殷賓さんは、「映画やドラマのような戦争後状態が、私の目前で起きた」と、東日本大震災当時を振り返った。そのうえで、「震災を通じて学んだ経験をもとに、沢山の周りの方々の心の傷を慰めていく」ことで地域社会に貢献していきたいと誓った。
2人には民団兵庫の全美玉防災対策委員会委員長が、それぞれ記念品を贈った。最後に広島を拠点に活動している在日3世のシンガー、李翔雲さんが鎮魂歌を熱唱した。
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20歳の誓い
被災地新成人の作文(要旨)
震災の教訓を継承へ
兵庫県 柳貴弘
私たち成人者は阪神・淡路大震災の年に生まれました。僕自身はもちろん、大震災の記憶はありません。僕にとっては直接体験していないことですが、それでも、心のどこかで震災を感じながら今日まで生きてきたと思います。そして神戸の復興とともに、僕は今日20歳を迎え、大人の第1歩を踏み出します。
人間には考える力と感じる力があります。大震災を直接経験していない僕にとって、両親の経験したこと、自分の住んでいる「まち」が遭遇したこと、それら歴史を自分が感じること。そして、今後、その教訓をどう生かしていくのかを考えることが大切だと思います。
今日は、東日本大震災被災地の成人者も来ています。兵庫県の僕たちと違って、東日本大震災はわずか4年前に起こったことですし、被災地は未だ復興途上です。正直、震災を直接経験していない僕とは、災害に向き合う重みが違うかなと思いますが、でも、自分は自分として阪神・淡路大震災の教訓を引き継ぎ、東日本大震災の今を考えていくことで、繋がりあうことができると思っています。そんな機会をつくっていただいたことに、あらためて感謝です。
まだまだ、頼りない僕ですが、今日まで育ててもらった両親に感謝し、これからは成人として、また、韓国人としての誇りを胸に、そして災害の「歴史と今」を、継承していける、そんな人生をしっかり歩んでいきたいと思います。
この日を忘れることなく、今日成人を迎えた兵庫と宮城の仲間と一緒に歩んでいきます。
周囲の心の傷癒やす
宮城県 張殷賓
私は仙台より参りました。父が日本人、母が韓国人で私は日本で生まれ育った大学2年生です。
当時、多くの方々は東日本に甚大な地震がおきるという予想はしていましたが、その日を予測することはできませんでした。そして、私たちが予測できなかったことがもうひとつありました。
それは、東北地域市民たちの大混雑でした。ほとんどが交通渋滞と大パニックに巻き込まれ、スーパーやコンビニで食品を買い求めたり、停電による暗闇の寒い夜を越えるのに必死でした。
クラスの友人は津波から逃げることができず、津波の中にのみ込まれました。生活は崩されてしまい、大切な友人、愛する家族、安らぎの家、そして、安定した生活や微笑が失われました。
映画やドラマのような戦争後状態が、私の目の前で起きたことを今でも思い出します。地球上で人間はいかに賢い生物であっても、自然災害の前では小さな存在であるということを学びました。
しかし、前を向いて歩いて行かなければなりません。つらい思いもすべて背負いながら、お互いを励まし合いながら、前を向いて歩いています。
私たちにできることは何か? 震災を通じて学んだ経験をもとに、沢山の周りの方々の心の傷を慰めていくこと。〞生きる〟ことに感謝の気持ちを忘れず、情の深い人間になって、人の力を必要としている場所に足を運び、助けられる行動をしていくこと。在日韓国人として地域社会に貢献できる人材になっていくことを誓いたいと思います。
(2015.1.15 民団新聞)