対馬市長出迎え
4月22日、「正使」役の宣相圭隊長ら韓国からのウオーカー7人が同乗した釜山からの高速船は、穏やかな海峡を走り、対馬にたどりついた。
対馬は朝鮮通信使が日本で最初に上陸した場所。市役所では財部能成市長ら職員の出迎えを受けた。
財部市長は「仏像の盗難問題で苦慮していますが、こんな時こそ草の根の交流が大切です。ぜひ日韓のウオーカーが友情を深めてがんばって下さい」とあいさつし、宣隊長と固い握手をかわした。
28日からはいよいよ大阪を起点として日本コースを歩き出した。初日には一般の1日ウオーカー22人が加わった。6年前にはママの翠さんにおんぶされて参加した谷口知子ちゃん(7)も元気に完歩した。
枚方から京都へは淀川土手、京街道を歩き淀城址へ。城壁と堀の一部が往時を偲ばせる。通信使たちはこのあたりで川舟から降りて、陸路をたどった。三条大橋にゴールすると、地元のウオーカーたちが冷たいビールの差し入れで迎えてくれた。
韓日交流さらに
京都での交流日には「耳塚」を訪れた。豊臣秀吉が朝鮮を侵略した際に武将たちが自分たちの武功を示そうと朝鮮の人々を殺し、その耳や鼻をそいで持ち帰り、この場所に埋めた。
宣隊長は、「人間にあるまじき行為です。私たちは2度とこのような行為が行われないように、日韓の交流を深めていきます」と話し、韓国ウオーカー全員で黙祷した。
高麗美術館では、いつもは公開しない「通信使行列」の絵巻を特別に見せてくれた。1711年の第8回のもので、その鮮やかな色彩美と精巧な筆致には驚かされた。
京都から大津(滋賀県)に進み、琵琶湖畔を歩く。「副使」役の金泰昊さんは、「こんなに大きく美しいとは」と驚いていた。ゴールした草津は東海道と中山道の分岐点。昔の宿場の面影を残す建物が数多く立ち並んでいる。
「従事官」役を務めたカナダ在住の高栄成さんは、「あー」とため息をつきながら、「日本ではこのように古い建物を大切に保存しているのがいいですね」と英語で話しかけてくる。守山市にある東門院では、第10回の通信使から贈られた壷を見せてくれた。
野洲市からは中山道と別れ、「朝鮮人街道」を歩く。この道は通信使と徳川将軍家の行列だけが通った特別な道で、家康が上洛の際に使った「吉例の道」といわれている。近江八幡市の西本願寺八幡別院の奥の間には第8回の従事官、李邦彦が書き残した詩文が掛け軸にして保存されていた。
5月3日も五月晴れで、田植えが行われている「朝鮮人街道」の田園の道を気持ちのよい風に吹かれながら歩き、安土城跡を経て彦根の街に。途中の神社では今日から参加している竹樋さん夫妻が、冷たいフルーツと草もちを全員にプレゼント。ソウルから歩き続けている「従事官」役の孫成植さんは、「日本のウオーカーが細やかに気を配ってくれるのがとてもうれしいです」と言いながらおいしそうに食べる。
ゴールの東京へ
3回連続で1日参加して歩く林性昊さん(75)は、「今日は気持ちよくみなさんと歩けています。これからも長い付き合いで参加したい」と話す。
彦根からは中山道に入り、垂井宿(岐阜県)から美濃路を経て6日名古屋に着いた。この後、東海道を東に向かい、東京を目指す。(写真と文 金井三喜雄)
(2013.5.8 民団新聞)