■□
安倍首相の強硬発言
過去合理化へ力む…計算づくの国内固め
靖国神社に麻生太郎副総理ら安倍晋三内閣の閣僚や超党派の国会議員集団が相次ぎ参拝したことで、島嶼領有をめぐって悪化していた韓・日、中・日関係は火に油が注がれるかっこうになった。
韓国外交部は日本政府に正式抗議し、尹炳世長官の訪日を取り止めた。中国政府も強く反発、「厳正な申し入れ」を行い、日本政府の特使訪中も中止になった。財務問題をテーマとする3国の閣僚会談も流れている。
昨年夏から一挙に緊張を高めたまま、3国とも最高権力者の交代期に入り、年末から今年3月にかけて安倍首相、朴槿恵大統領、習近平国家主席の新体制がそれぞれ出帆した。
新体制による仕切り直しへの期待、もしくは先送り意識が働き、3国とも関係修復への動きが鈍いなか、尖閣諸島(中国名=釣魚島)付近では中・日の公船によるにらみ合いがヒートアップを続け、今月にソウルで開催予定だった韓・中・日首脳会談は中国の意向で早ばやと沙汰やみになった。
韓・中・日3国には国際社会から、島嶼領有をめぐる対立の沈静化や北韓の核兵器開発と軍事挑発の封鎖に知恵を絞るために、真摯に向き合うことが求められている。それにもかかわらず、新任の3国首脳による顔合わせすらままならない。
このような事態を招いた責任は日本にだけあるのではない。しかし今は、相互の信頼積み上げに端緒を見い出すべき時期だ。政権ナンバー2と168人もの議員団による韓・中両国を刺激することが明らかな靖国参拝パフォーマンスと、それを擁護する安倍首相の強硬発言は、関係修復の努力に背を向けるものと指弾されてもしかたあるまい。
安倍氏はかねてから、従軍慰安婦に対する強制性と軍関与を認めた93年の河野談話、植民地支配と侵略によってとりわけアジア諸国に多大な損害と苦痛を与えたことを謝罪した95年の村山談話を見直す旨言明している。しかも、前回の首相在任中、靖国に参拝できなかったことを「痛恨の極み」としてきた。
したがって、安倍政権下ではいずれ、靖国参拝問題でかなり紛糾することになる、との見方は強かった。それにしても、歴代政権下とはかなり様相が異なる展開になりかねない雲行きだ。
歴史認識問題で日本はこの間、「責める韓・中」に対して「耐える日本」という虚構を巧みにつくり上げてきた。これは多くの日本人に、「日本にも問題があるとはいえ、私たちやその子どもたちは、アジア諸国から戦争責任について非難され続けなければいけないのか」との反発心を植えつけた。「時期が来た」というわけか。今はそれさえ脱ぎ捨て、「責める日本」に変身したかのように見える。
安倍首相は、「国のために尊い命を落とした、尊いご英霊に対して尊崇の念を表する。これは当たり前のことであり、わが閣僚においては、どんな脅かしにも屈しない」と語気を強め、「あくまでも国益を守る。私たちの歴史や伝統の上に立った私たちの誇りを守っていく」と力んだだけではない。
「歴史認識問題は専門家、歴史家に委ねるべきだ。私が政治家として神のごとく判断することはできない」と述べ、「侵略の定義」について「学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」との認識まで示した。
4月23、24日の参院予算委員会で韓・中両国の抗議に関連する質問への答弁から出たこの発言は、不可侵性をおびさせた「英霊」を煙幕にして、軍国主義・日本によるアジア侵略を合理化する意図を込めたものと見なすほかない。
歴代首相が踏みとどまってきた一線さえ越えようとする安倍首相の姿勢は、外交的な視点をかなぐり捨てての韓・中に対する計算づくの反発であり、国内に向けては改憲をにらんだ布石であることは歴然としている。
■□
どうなった「国立施設」
論議すら今は昔に…「追悼の誠」を自ら放棄
安倍首相の発言を二つに分けて検証しよう。まずは、「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」というもの言いについてとがめねばならない。
国籍や民族にかかわりなく、誰にも死者を哀悼する心がある。まして、今を生きる自分のために、あるいは自身が属する国や民族などの集団のために、犠牲となった人たちに対する思いは格別だ。安倍首相らに偉そうに言われるまでもない。
靖国神社は、戊辰戦争における官軍の戦没者をはじめ日清・日露戦争や太平洋戦争などで没した軍人や軍属を祀っている。韓国や中国との因縁が深いこれら戦争を聖戦視する意図を隠さず、関連施設の「遊就館」に至っては侵略の歴史を露骨に正当化している。78年には太平洋戦争を主導したA級戦犯まで合祀した。国家神道の中心だった名残は今も色濃い。
A級戦犯を合祀して以降、天皇の赤子として死地に赴いた「英霊」の施設を天皇自らが参拝していない。首相や政府要人の公式参拝は、政教分離を定めた憲法に反するとして日本社会でもたびたび疑義が提起されてきた。
しかし、靖国神社の性格がいくら論難の対象であっても、一般の遺族による参拝までが問題にされているのではない。「歴史認識問題は専門家に委ねるべきだ」と言うかたわらで特定の歴史観を前面に出し、閣僚が「私人として」などと言いつくろっては公然と、あるいは国会議員がこれみよがしに集団で参拝する奇怪さが問われているのだ。
安倍首相らは焦点をすり替え、政府要人の参拝が一般遺族と同質・同格であるかのように装いながら、当然の抗議に対して「どんな脅かしにも屈しない」などと、暴力団に対する善良な市民のような図式で、語気を荒げ他者を貶めるべきではない。
安倍首相は強気に見えても、支持層や与党内ですら「これでいいのか」という懸念や迷いがある。それを端的に示したのが読売新聞の社説(4月24日付)であろう。
「戦没者をどう追悼するかは他国に指図される問題ではない」としつつも、「麻生氏らの靖国参拝が日韓関係に悪影響を与えたことは否定できない。政治も外交も重要なのは結果であり、『心の問題』では済まされない」とし、「日本国内にも戦争を招いた指導者への厳しい批判がある。誰もが、わだかまりなく戦没者を追悼できる国立施設の建立に向け、政府は議論を再開することも考えるべきだろう」と結んでいる。
靖国参拝自体は正当化しながらも、外交に悪影響を及ぼすべきではない、とする曖昧な論旨の落とし所を「国立施設」に置いた。それにしても、「議論を再開することも」云々は、靖国参拝問題の根本的な解決への努力が大きく後退したことを印象づけた。
今から12年前の01年を思い出そう。アジア侵略に対する反省を薄め、むしろ美化しようとする「新しい歴史教科書をつくる会」系の問題教科書が初めて検定を通過したのが3月、自民党総裁選挙に出馬した小泉純一郎氏が「首相に就任したら、8月15日に、いかなる批判があろうとも必ず参拝する」と意気込んだのが4月だ。実現すれば中曽根康弘首相以来16年ぶりだった。
この年の8月15日はたまたま、小泉首相の公式参拝と「つくる会」系の歴史教科書採択の結果が同時に判明する日であったことから、その日に向け、近隣諸国との外交舞台や学識者の論壇から庶民の酒場に至るまで、歴史認識論争はかつてない熱気があった。参拝者を年々減少させてきた靖国神社がその夏、例年を大幅に上回る人出を記録したのもその反映だ。
10%を目標にしていた「つくる会」系教科書の採択率はわずか0・03%に終わり、小泉首相の参拝は13日に前倒しされた。絶対反対・絶対支持の両端を外し、双方に配慮するかのような形である。
しかし、内外の批判の最終抵抗ラインを正面突破する勢いを見せながら、最終的にはそのリスクを巧みに回避する。この揺さぶり戦法を繰り返し仕掛け、批判側の自壊もしくは抵抗ラインの後退を勝ち取ろうとする作意は透けていた。当時、官房副長官だった安倍氏は、2年・3年と続けていけば騒ぎは自ずと収まるだろうと、近隣諸国をあなどったものだ。
01年時はそれでも、靖国神社におけるA級戦犯の合祀・分祀の是非、戦没者慰霊のあり方、教科書の内容など歴史認識をめぐる社会的な関心を掘り起こした。批判側の抵抗ラインが後退した証なのか、昨今は論議の盛り上がりにすら欠ける。
小泉首相は前倒し参拝をした13日の談話で「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論する必要がある」と述べ、福田康夫官房長官、山崎拓自民党幹事長と会談した席で、「国立の慰霊施設を早急に新設したい。そうすれば、靖国神社参拝をめぐる議論は小泉内閣をもって終わりになる」と言明した。これを受けて福田長官は、官房長官の下に私的懇談会を置く考えを表明している。
だが、その「国立施設」構想は雲散霧消し、わだかまりのない戦没者慰霊についての論議は12年後の今、ほとんど聞くことがない。安倍首相は、靖国参拝を絶対守るべき「歴史や伝統の上に立った私たちの誇り」であり「国益」だとのニュアンスで語った。外交上の配慮を求めるとか、「政府は(国立施設について)議論を再開することも考えるべきだろう」の次元を突き抜けている。
■□
定まらぬ?「侵略定義」
戦後国際秩序への背信
「侵略の定義は定まっていない」との発言も尋常ではない。戦後の国際秩序と日米軍事同盟の下で平和と発展を享受してきた日本の立ち位置を否定しかねないからだ。
この発言から間がない4月28日に、サンフランシスコ講和条約の発効61周年に際した「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれたのは皮肉である。講和条約とワンセットで、日本の繁栄を担保した旧日米安保条約が締結されたことも念頭に置きたい。
講和条約は第11条で「日本国は、極東軍事裁判所並びに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」と規定した。つまり日本は、侵略戦争の犯罪を裁く軍事法廷の結果を受け入れて初めて、沖縄県など一部地域を除いて主権を回復したのであり、国際社会に復帰できたのだ。
日・独・伊(枢軸国)と交戦中の26カ国が署名した41年1月の「連合国共同宣言」は、「敵国に対する完全な勝利が/人類の権利及び正義を保持するために必要である」と前提し、「世界を征服しようと努めている野蛮で獣的な軍隊に対する共同の闘争」であるとした。
同宣言から70周年の昨年、国連の潘基文事務総長が「世界が経済や環境問題で新たな課題に直面している現在、国際連合へと引き継がれた連合国宣言の原則は今なお、重要な意味を持っている」と強調したことも記憶に新しい。
「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」の文言でなじみ深い43年12月のカイロ宣言でも、米・英・中3国は「日本国の侵略を阻止し、懲罰するため」の戦いであることを明記している。
国連憲章の53条と107条の「旧敵国」条項は、国連が枢軸国の侵略への対抗から成立したことを示すものだ。国連はその後、長い論議を積み重ねて74年12月、「侵略の定義に関する決議」を採択し、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対する、または国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」と定めた。
世界征服を狙う日本など枢軸国に対抗した連合国共同宣言、日本の侵略を阻止・懲罰するとしたカイロ宣言、それらに基づいて成立した国連を中心に形成された国際秩序の下で、日本は極東軍事裁判、講和条約を経て独立したのだ。
安倍首相は「日本が勝っていたら侵略ではなかった。アジア解放戦争になっていた」とでも言いたいのであろう。しかし、それは自動的に、国連の基本精神を否定するだけでなく、連合国48カ国が署名したサンフランシスコ講和条約への背信となる。日本の保守本流は戦後国際秩序に面従腹背してきたのではないはずだ。
米国でも有力メディアが「安倍氏の恥ずべき発言によって日本は外国での友人を持てなくなる」「安倍氏は歴史を直視することができない。中国や韓国の怒りは理解できる」などと論評し、批判を広げた。靖国神社をよく知れば、その度合いはさらに強まろう。東アジアの平和確保と当面の北韓核問題を解決するために、それぞれ軍事同盟を結ぶ韓国と日本の結束を強め、中国の協調も引き出したい米国は苛立ちを隠していない。
日本ではこうした事態に対する危機意識が薄まっている。しかし、このままでは韓国や中国だけでなく国際社会からの懸念や非難は収まらないだろう。いずれにせよ、日本自らが軌道修正に動かなければならなくなる。遅きに失してはならない。
(2013.5.8 民団新聞)