掲載日 : [2021-03-30] 照会数 : 7797
【特集】東日本大震災10年 宮城県の同胞は…あの日、そして今
[ 2018年8月の林間学校(韓国花峰初等学校交流)での李花順さんと息子のひかり君(隣) ] [ 2011年、民団宮城本部が気仙沼に支援物資を届けた時の朴孝淑さん一家 ] [ 2019年1月6日の民団主催の成人式に参加した李賢淑さんと長女美紀さん ]
東日本大震災から10年。民団宮城本部は被災した団員4人の声を民団宮城新聞の特集①「東日本大震災より10年、コロナ禍で伝えたい『あの日』の想いそして現在」に掲載した。当時の緊迫した状況や民団への感謝など、さまざまな思いが語られている(洪景任さんは17日付1面で掲載)。
民団は母の胸のよう
李花順さん(石巻)
忘れたいけど忘れられない2011年3月11日。家、友だち、周りの人々が、あっというまに消えてしまいました。姑、夫、息子そして私は、迅速に寺の隣の山に避難し、幸い命は救われました。
4カ月におよんだ中学校での避難生活では、心も体も疲れ切っていましたが、仮設住宅での新しい生活がスタートすることになりました。
翌年の1月14日には、民団宮城本部と婦人会宮城本部が合同で、炊き出しを行ってくれました。温かいトック、トッポッキ、プルコギなどを食べながら、お正月を迎えることができました。住民たちの反応はものすごくて、今でもその時の話をしてくれる方もいます。すごくおいしかったと…。
私にとって民団は自分の家と同じです。民団に行くと温かい母の胸のように温気を感じます。いつも皆様が優しく迎えてくれます。
昨年は、腰椎間板ヘルニアで体が痛く、「なぜ私が?」と歩くことも立つこともできない体になって、涙ばかり流しました。でも今年は少し、泣くのをやめようと努力をしています。夫と息子が悲しそうにしているからです。現在、目標をもって、心を無にして一生懸命リハビリを続けたらトイレに行くことも、一人で服を着たり食事ができるようになりました。私の目標は民団に行くことです。私の足で…。
次世代行事で育った娘
朴孝淑さん(気仙沼)
2011年3月11日あの日。私は代替で認可保育所給食調理師の仕事をしていました。子どもたちのおやつを用意している時に激しい揺れに遭遇しました。1、2歳未満児保育サポート避難誘導の手伝いをして、皆で避難した高台で見た黒い壁のような津波はまるで生き物のようでした。
家は気仙沼から船で20分ほどの距離にある離島で、夫は船通勤していたのでしばらくは帰ることができませんでした。義両親と娘2人と私は小学校の体育館で何日間か避難生活をした後、わが家に帰りましたが、電気も水道も断絶状態でした。
日本中、世界中からありがたい沢山の支援がありました。中でも民団の水などの支援品と訪問は、家族のような温かさを強く感じて頑張ることができました。あの時、長女が中学1年、次女は小学4年でした。
10年の歳月が経過して、長女は昨年、新卒採用で、東京で一人暮らしを頑張っていて、次女は今年成人になりました。
娘2人の成長には民団の力が大きかったと思います。林間学校、ジャンボリー、学生会、盛大な成人式など、いろんな行事で育ったようで感謝しています。
前代未聞のコロナ禍で大変な時代ですが、娘2人が、私たち皆が、乗り越えていけることを心から願っております。
心の奥で恩返し誓う
李賢淑さん(女川町)
韓国から宮城県女川に嫁いでから30年。2代続く鮭の養殖を営み市場に卸しています。旦那様を支え続けながら長男俊郎、長女美紀を自立まで育てることができたのも「地域の皆様に支えられながら夫婦二人三脚で歩んできた証である」とようやく胸をなでおろすことができました。
東日本大震災当日は、仙台の高校に通っていた息子と一緒に、学校の制服を新調しに仙台の百貨店に足をのばしていた矢先のことでした。
強い揺れと恐怖と不安にかられ、息子と一緒に女川まで帰るバスに乗り込みました。満席の大型バスは仙台の山奥の駐車場に停車し、私たちは車中一泊。次の日、乗客と一緒に石巻蛇田で降ろされました。必死で家族を探すことに専念し、集落ごとに各避難所に問い合わせ、小学6年の娘と旦那様家族4人と無事に再会できたのが1週間後でした。
集落の町民と学校の先生が子どもたちや町民を、安全な学校の体育館にバイクで一人残らず届けたことで皆の命を守りました。津波の爪痕が残る女川地域に来てくれた自衛隊の皆様が、ヘリコプターで町民一人ひとりを避難所まで丁寧に届けてくれたことも一生忘れません。自宅は全壊し仮設住宅でくらしていましたが、現在は自宅を購入し3人暮らし。息子が実家に戻り、家業の跡取りとして3代目の柱として修行に励んでいるのが、家族の一番の喜びです。
俊郎も美紀も民団の成人式に参加し、節目、節目を団員の皆様からお祝いをして頂き、立派に自立していることにも感謝しています。
震災から10年。環境は変わりましたが、民団の皆様から、震災から今まで本当にお世話になったことに心の奥でいつも恩返しをしたいと思っています。コロナ禍で皆様、本当に大変な時期ではありますが、どうか今の時期を団員の皆様と一緒に乗り越えてくださることが私の願いです。
(2021.03.31 民団新聞)