汎民連、「統一」騙る<従北>まざまざ
この連載では今回、《主思派》の熱誠分子が結集した《民革党(民族民主革命党)》が解体を決議したものの、指導者間の角逐が伏線となって摘発に至った経緯、また、92年10月に発表された《朝鮮労働党中部地区党》事件について詳述する予定でした。ですがこの間、《汎民連(祖国統一汎民族連合)》南側本部の盧修煕副議長が北韓で独裁体制礼賛の行脚を続け、板門店から韓国に戻ることであえて政治問題にしようとする動きがありました。こうしたパフォーマンスは、《従北勢力》の実体をよく示しており、この連載のテーマと密接に関わる焦点的な問題を含んでいます。予定とは異なる内容になったことについて、ご理解をお願いします。(編集部)
歴代独裁者に万歳三唱
◆盧修煕副議長の北韓行脚
▼104日間も
《汎民連(祖国統一汎民族連合)》南側本部の副議長である盧修煕が5日、北の独裁者を言葉の限り称賛する一方で、南の指導者をさんざんにこき下ろす104日間の北韓行脚を終え、板門店北側での盛大な<歓送>騒ぎの中を韓国側に入ったところで、北韓当局、汎民連南側本部、そして本人が描いた事前のシナリオ通り、逮捕された。
北韓当局による<歓送>に参加したのは、対南工作部門の幹部ら約200人。「李明博逆賊輩党を打倒せよ」「我が家に帰る盧修煕先生に道を開けよ」「米国と南朝鮮保守当局は、盧修煕副議長の前途を閉ざす反人権行為を直ちに中止せよ」などと南側に向かって叫んだ。
副議長の北韓入り(もちろん、韓国政府の許可を得ていない)は、3月25日の金正日死亡100日行事に出席するためとされ、金日成生日100年の4月15日直後に帰る予定だったという。これを仕組んだ関係者の狙いはこれまでと同じく、南北問題を争点に韓国内の葛藤を刺激することにあったのは疑いない。
盧修煕は3月13日の民主統合党、統合進歩党による「野圏連帯共同宣言」行事に参加している。4日11日の第19代国会議員選挙で、野党連帯の勝利は間違いないとの<吉報>を携えての入北だった。異例の長期滞在は、当初の目論見が狂ったからにほかならない。
最初の構想によれば、野党連合の勝利によって対北宥和論が再び台頭するなか、彼の北韓からの帰還、逮捕はそれをさらに勢いづかせるはずだった。しかし、選挙で勝利できなかったどころか、統合進歩党の比例代表候補選定をめぐる不正に端を発した内紛で、逆に《従北勢力》の暗部がクローズアップされてしまった。つまり<凱旋>のタイミングを逸したのだ。
それにしても、異様な104日間である。副議長は、主体思想塔や金日成・金正日の銅像など体制宣伝ツールのほとんどに詣で、金日成の生家では芳名録に「国葬中にも反人倫的な蛮行をほしいままにする李明博政権に代わって謝罪する」と記帳。凱旋門では<金日成将軍の歌>を歌った。
▼北は逐次報道
彼の行くところには<喜び組>の女性や記録映画撮影班とともに官制メディアの記者が同行した。「(大同江果樹総合農場で)副議長は、金正日国防委員長は人民たちの食の問題に至るまで深い関心を寄せられたとしながら、そのような領導者は世の中にいないと述べた」(3月30日。民主朝鮮)といった調子で、彼の一挙手一投足を報じている。
韓国への中傷も忘れてはいなかった。盧修煕は《汎民連》の北・南・海外代表会議(4月25日)に南側本部の議長代行として参席し、「同族の最高尊厳と体制を深く中傷冒涜しながら、国の情勢を最悪の戦争局面に追いやっている李明博保守勢力の悪辣な挑発策動を強力に断罪・糾弾し、これに反対する挙族的な闘争に海内外の全民族が一体となって立ち上がることを熱烈に訴えた」(4月27日。中央テレビ)という。
そして、7月5日に開かれた平壌市歓送集会で副議長は、「雨が降ろうが雪が降ろうが、統一愛国の行くべき道を行く」ことを誓い、「偉大であられる金日成主席様」「偉大な金正日将軍様」「敬愛する金正恩最高司令官様」それぞれに、万歳三唱をして見せた(7月5日。中央テレビ)。
墓穴掘る茶番劇…左派からも「外道」の扱い
◆使い古されたシナリオ
盧修煕の104日行脚は結局、どんな意味があったのか。<南の大物>による体制礼賛によって、金正恩の求心力をそれなりに高めたかも知れない。だが、北韓こそ統一・愛族勢力であり、韓国政府は反統一・反民族勢力であるとの対立構図を際立たせ、韓国社会を揺さぶることには失敗した。
そもそも、盧修煕のように第3国を経由して入北させ、板門店を帰路とするのは北韓の常套手段になって久しい。その分、インパクトも薄まっている。
今回の総選挙で民主統合党の国会議員となり、脱北者の大学生を「(北韓に対する)裏切り者」とののしって話題をまいた林秀卿がその最初(89年8月)の出演者だった。当時は運動圏が民主化の勢いに乗って統一運動へと熱気をはらみ、「民族・解放」の《NL派》のなかでも《主思派》が急伸していた時期だけに、韓国社会を騒然とさせる効果があった。
その後も、活動家や宗教人による同様のパフォーマンスが続いた。変わったところでは、《統一連帯》の代弁人・黄羨が05年10月10日、朝鮮労働党結党60年に合わせ、平壌で帝王切開によって次女を出産し、<統一の娘>だと得意げに語ったケースがある。
似たような脚本を使い回す茶番劇では、従来からの観客には飽きられるほかない。ところが、今回の盧修煕の場合は、新たな観客層を掘り起こすことになった。
韓国には<従北音痴>という言葉がある。国民のほとんどは《従北勢力》の存在に極めて疎い。《従北勢力》を論じることに、政治的な策謀の臭いを感じる向きさえあるとか。「北韓は完全に失敗国家だ。しかも、28歳の若造が指導者ではないか。韓国を否定し、そんな北韓に追従するわけがない」。まさにその通り。それが常識的な考えというものだ。
ところが、<従北音痴>も敏感になり始めた。統合進歩党の内紛によって《従北勢力》の存在に注目が集まったからだ。この内紛も、不正議員が辞退すればこじれることはなかった。それができなかったのは、同党の背後にある《京畿東部連合》が党運営の決定権を握っているためと指摘されている。
同連合の中核は、「金日成主体思想を指導理念」とした《民革党》にあって、解体を主導した金永煥と対立し、再建を試みた系統とされる。つまり、《主思派》でも北韓への従属性が強いグループが統合進歩党の紛糾を拡大させたわけだ。
▼実態明るみに
そんな折である。北韓礼賛物への<百度参り>とも言うべき盧修煕の行脚は、耳目を引きつけずにはおかなかった。国民の多くも《従北勢力》の実態をかなり知ることになったはずである。
統合進歩党と野圏連帯を組み、その共同宣言式の場に盧修煕を参席させた民主統合党も、説明責任を免れない。野党連帯の見直しを促す世論も強まることになろう。
この事態をもっとも苦々しく見ているのが実は、《主思派》を含む《NL派》系の熱誠的な活動家たちだと言われる。盧修煕や黄羨のような人物を彼らは、「三文パフォーマー」、さらには運動圏の「外道」「挑発分子」と見なしているとの証言もある。
▼<汎民連>とは
《汎民連》とは何か。当事者の言によれば、90年8月15日に板門店北側地域で開かれた「第1回汎民族大会」で結成に合意したところの、7000万民族の結集軸となる常設的な統一運動機構である。
同年11月のベルリン3者実務会議で、北・南・海外に各本部を置き、各本部の代表1人ずつで共同議長団を構成することを決定。海外本部(初代議長は尹伊桑。1面記事「統営の娘」参照)が12月にベルリンで、北側本部が翌91年1月に平壌で、南側本部はその4年後の95年2月、ソウルで結成された。
《汎民連》の北側本部の実体は、対南工作機関である統一戦線部であり、南側と海外の本部は北側の指導を受ける《従北勢力》の固まりだ。《NL派》のなかで、北韓への姿勢をめぐって<対等勢力>と対立した<従属勢力>が南側本部に結集している。
ちなみに、海外本部・日本地域委員会の中身は、《総連》と《韓統連(韓国民主統一連合)》に過ぎない。民団が敵性団体と規定し、韓国大法院が反国家団体と判示した《韓統連》の幹部が議長である。
運動圏の分裂招く…<従属勢力>だけの溜り場に
◆すべてに君臨する<教示>
多くを語るまでもなかろう。《汎民連》は、北韓が韓国を牛耳るための統一戦線機構そのものであり、南側・海外本部は盧修煕の北韓行脚が示したように、統一運動の名を騙る《従北》運動体でしかない。この実体をいち早く指摘していたのも実は、《主思派》の始祖・金永煥である。
彼は98年、運動圏が愛読する『マル(言葉)』誌に「北韓の首領論は完全な虚構であり巨大な詐欺劇」と題して寄稿した。そのなかで、自身が政治的立場を転換させた主たる理由の筆頭にあげたのが、この《汎民連》問題だ。その部分を要約する。
「汎民連は当初、中道・右派も含む広範囲な統一戦線体を原則にした。しかし、中道・右派どころか進歩運動圏でも極少数だけが参加する組織に矮小化し、主張も時を追って大衆から離れていった。これでは統一運動の障害になるだけであり、汎民連を解体し新たな運動体をつくらねばならない。しかし、この提議を北韓が執拗に妨害したことで、進歩運動圏の分裂は回復不能にまで深刻化した。
北韓はなぜ、常識にも日頃の主張にも背反する行動に出たのか。それはほかでもない教示のためだ。その教示は、汎民連を固守し継続発展させねばならないとタガをはめている。このために、他のすべてが無視されたのだ。
教示! 北韓においてこれはすべてに君臨する。原則や戦略戦術、北韓の国家的利益よりも重要なのだ。国が滅びても教示は守らねばならない。このような国にいかなる希望があるというのか。私は心の底から根本的な不信を抱くようになった」
金永煥は《民革党》(92年3月結成)の指揮をとる一方で、《汎民連》結成にも主導的に関わった人物だ。彼のような立場と論理を持ってしても、<領導者>の<教示>によって身動きがとれず、統一運動の障害物にまでなった《汎民連》の在り方は許せなかったのだ。
▼<利敵団体>に
《汎民連》は国家的な見地に立てば、なおさら容認される存在ではない。北韓政権は韓国の体制転覆を狙う反国家団体であり、これと連携して主張・政策に同調する団体は国家保安法が定める利敵団体となる。利敵団体に加入するだけでも国家保安法に反する。
韓国大法院は、《汎民連》南側本部が単なる北韓同調団体ではなく、北韓政権と具体的な連携関係にあり、主体思想と先軍政治を賛揚し連邦制統一・駐韓米軍撤収・国家保安法撤廃などを執拗に主張する利敵団体と規定した。
南側本部は、韓国の実定法によるまぎれもない不法団体であるにもかかわらず、現在ではこれを合法的に解散させる手段がない。利敵団体の解散を可能にすべく、国家保安法を改正する試みは滞ったままだ。まずは、この動きを加速すべきだろう。
▼法整備を急げ
もちろん、その程度で事が片付くわけではない。『NKビジョン』(7月号)に「私はいかにして主思派前衛組織員になったか」と題して寄稿した郭大中・前全南大総学生会長はこう指摘する。
「南韓における地下党の最高上級であり、すべての報告が統括されるところはまさに、北韓の朝鮮労働党だ。したがって、北韓が崩壊しない限り、南韓の地下党は絶滅するものではない。朝鮮労働党がなくなるときこそ、まぎれもなく、韓国の従北主義者たちもその残滓を消すだろう」
肝に銘じるべき見解である。だからこそ、《主思派》・《従北勢力》に関わるか、その予備軍である個々人の信念体系を崩す努力とともに、利敵団体に対しては断固たる姿勢で法治を貫くことが不可欠なのである。(文中・敬称略)
(2012.7.25)