人生の収穫また一つ
〞韓国ラバー〟ますますつのります
パワフルなステージで観客を惹きつけるジャズシンガーの綾戸智恵さんは、2002年に上映された林権澤監督の「春香伝」や、「風の丘を越えて〜西便制」などを通してパンソリと出会った。7月5日にNHKBSプレミアムで放送された番組「旅のチカラ」では、「春香伝」の舞台として知られる全羅北道の南原で、パンソリの名唱、安淑善さん(韓国重要無形文化財第23号伽?琴散調、併唱芸能保持者)から、「沈清歌」の猛特訓を受ける姿が紹介された。この経験は、「人生の大きな収穫になった」と話す。(インタビュー構成)
パンソリを初めて見たのは、配給会社のシネカノンから「春香伝」のコメントを依頼されたのがきっかけです。「風の丘を越えて」も見ましたが、その時は自分でできるとは思っていないし、歴史の映画をみるような感じでした。
「韓国人は言葉に出して泣く」と聞いていましたが、たまたまテレビで、おばさんが「アイゴー」と言いながら泣いているのを見て、日本はせんな、すごい感情ほとばしりで泣くなと感じたけど、そこに韓国の人のルーツがあるのかなと思いました。
そのうち、「恨」ってなんだろうと見たら、何かオドロオドロしい文字だったので「何やこれ!」って。恨みという字だから韓国の人は皆、こんなかいなと思ったりしましたよ。でもそれは、漢字の意味を日本語読みでしか理解していなかっただけで、だんだん韓国と日本、中国の漢字の意味が違うことも、自分が何かを成し遂げられなかったり、昇華できなかった無念の思いだというのも今はわかります。
パンソリを習ったのは、偶然、私がパンソリを好きだということを知った「旅のチカラ」の番組の方から習ってくれと言われたからです。1週間の韓国ロケで、今の私の立場で遊びだったら行けなかったけど、仕事だったらやってみようと迷いなく行きました。
安淑善先生は有名で、教科書に載っているくらいの方です。そういう人が教えるはずはないと思っていたのでびっくりしました。
私は最初、パンソリを習いに行く気持ちはなかったんです。パンソリを知りたかったんです。知りたいというのは韓国が好きだから。好きに理由なんてないですよ。何でパンソリが好きなんだろう、何で韓国の言葉が好きなんだろうというのを知りたかったんです。
練習に耐えて私の「沈清歌」
安先生から「沈清歌」を習いました。感情表現もです。1日目は、先生は偉い人だな、どうしよう、どうやって先生に習おうと思っていました。2日目に会った時、私が一生懸命なのをわかってくれたから、この歌をなるべく覚えようと必死に練習したんです。3日目にもっと練習に励まないといけないし、言葉をなるべく覚えようと思いました。
最終日に皆さんの前で披露しましたが、へたくそでいいと思いました。一人前になるのに30年もかかることを上手になんてできません。日本からやって来て、韓国が大好きですという表現をしようと思ったんです。悲しい沈清の心よりも、歌えるという喜びと、韓国でこんなふうに愛されて有り難うという気持ちを込めたのが私の「沈清歌」でした。
1番つらかったのは、1日目に先生たちと食事をした時に、テネシーワルツのこの部分は声が出にくいから、声が出た感じで歌うように表現していると言ったら、小さい声で「トリック」だと言われました。以前だったらむかついたでしょうね。
でも、パンソリは声が出てなんぼです。先生たちの中には半分くらい、いつか歌えなくなるという、その生命の短さに対する「恨」がある。上手くなったときはもう死が近づいているから。蝶々みたいに1番美しく飛べる時期は少ししかないと思った時に絶対、たてつくまいと思いました。
失敗を重ねてわかったこと
カメラが回っていない時に、滝の傍で先生と練習したのですが、「ジャズを歌って」と言われました。私が歌ったら「クレー、クレー。チョワチョワ」って先生が凄く喜んでくれました。先生の言葉が理解できたし、その時が先生と1番、近づけた瞬間です。私が先生を大事にした時から、先生が私を大事にしてくれたんです。それは分かります。だからこそ、違う世界でやっている先生を尊敬しようと思いました。そして最後に私のライブを見に行きたいと言ってくれたんです。嬉しかったですね。
そういうことを一つひとつ考えていくと、パンソリというのは私なんかが習いに行って大間違いだったなと思いますが、その中で大間違いと気づかせてくれたり、やっぱり聞く側でいよう、やっぱり韓国が大好きだという気持ちや、近づいてみたら分かることとか、人間って失敗を重ねてわかっていくんだなと思いました。でも、この失敗は美しかったから習いに行って良かったなと思っています。
この時に思ったのは、韓国ラバー(大好き)でいようと。パンソリだけとか、韓国のこれが好きとかではなく、韓国自体が好きなんです。本当のファンですよ。だから、韓流という言葉は好きじゃないんです。韓流って言うと世界が狭くなる気がするからです。
機会見つけて韓国で公演を
今回の経験は、人生の大きな収穫になりました。人間ってきついことを超えるとまた、嬉しいんですよね。パンソリと出会えて嬉しいです。それはまた、韓国に近づいた感じがするからです。
私は、人間のつながりは自分から作ります。ちょっとしたチャンスが天から降りてきたら、それをいかに自分の手の中に入れるか。それしかないですよね。これから機会があれば、韓国でも公演をやりたいですよ。でも私一人ではできないので、皆さん宜しくお願いします。
(2012.8.15 民団新聞)