北送第1船が新潟港を出発した1959年12月から今年で53年目を迎える。在日コリアン2世、ヤン・ヨンヒ(梁英姫、47)監督初の劇映画「かぞくのくに」(配給=スターサンズ)は、1970年代に北送事業で北韓にわたった兄ソンホ(井浦新)と、日本に暮らす妹リエ(安藤サクラ)ら家族の物語。自身の体験をベースにした映像のリアリティは、圧倒的な力を持っている。半世紀以上もの間、在日離散家族の実情について、ほとんど語られることはなかった。映画は、今もなお、家族たちが抱えるさまざまな問題の一端を覗かせる。ヤン監督はどのような思いを込めたのだろうか。(インタビュー構成)
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なお進行形の悲劇
「なかったこと」にはできぬ
ドキュメンタリー「ディア・ピョンヤン」と「愛しきソナ」の前2作を撮っているときから、うちの家族がカメラの前で絶対しない話をいつか、フィクションにしたいなと思っていました。もちろん、それを描くというのは覚悟がいるし、親は北朝鮮(北韓)の兄たちに会えなくなるという話になるだろうなというのはわかっていました。
「かぞくのくに」も前2作のドキュメンタリーも北朝鮮そのものを描こうと思ったことはない。あくまで自分の家族の話をしているに過ぎません。でもドキュメンタリーを撮ることで北朝鮮への入国が禁止され、家族に会えなくなりました。
家族への心配募るばかり…
「ディア・ピョンヤン」を発表した後で、北当局から謝罪文を書くようにと言われたが、「家族の話は止めることはできません」ともう1本、ドキュメンタリーを作りました。それが「愛しきソナ」です。家族の話をして文句を言えるのは、自分の家族だけだと思っているし、政治団体とか国がとやかく言うことではない。
もちろん、家族に対する心配は募るばかりで、申し訳ないと思っています。こういう妹を持ったばかりに生活も脅かされますから。
この映画では1週間の出来事をシナリオに書くために、6歳の時にお兄ちゃんと別れて、何度も親と一緒に行ったピョンヤン、私の人生の記憶、家族との間にある記憶を全部、掘り起こさなければいけませんでした。シナリオを書いている時はいつも目が腫れっぱなしだったんですよ。
私はオープンな性格です。いい話だけするとか、いいところだけ見せるとか、化粧した顔だけ見せるというのが嫌なんです。朝鮮総連の人たちは自分たちが選んだ国に対して、いい宣伝だけをしようと一生懸命やっています。でも一方で、自分たちの本音を言わずに、「日本人は自分たちを全然、理解してくれない」といつも怒っています。
それが一番、顕著に出たのが拉致問題だと思います。初めて加害者にされたからみんな黙っちゃった。でも飲み屋では、「本当に何であんなことをしたんだ」と言っている。本当にやってはいけないことをやったんですから、もっと外に向かって言えばいいのに。
今、北朝鮮が貧しいことよりもっとつらいのは、北朝鮮には政治犯や強制収容所があり、言論の自由がないこと。それに処罰は重いし、精神的な束縛のきつさは半端じゃない。今回の映画ではそれが出ていると思います。
大声で訴えていませんが、日本に一時帰還したソンホは帰国命令の電話1本で、一言も文句を言わずに帰ります。親も行かせるわけです。北朝鮮の中でもそうですが、日本に来てもずっしりとその体制の重しがかかっている。
自分の親を見てもわかります。オモニはいまだに「こういう話は外でするな」と、すでに映画を作っている娘に言い続けています。それは息子や孫が心配だし、組織の立場もあるでしょうけど、そんなに精神的に人間を縛ってどうするんだと言いたくなる。北朝鮮に家族がいる人たちは皆、黙って生きて来ましたけど、そろそろ終わりにしたい。
兄が帰国させられた本当の理由はわかりません。でも万事があんな感じです。こういう話をするのは暴露することが目的ではなくて、わかり合いたいのです。でもそれは北朝鮮の人たちにはできないから、知っている人が「私たち、こんなしんどさを抱えています」ということ示さなければいけない。
私は新潟で帰国船を見送っていました。朝鮮総連も日本政府も、日本のメディアもあれだけ大騒ぎをして送るだけ送っておいて、今はノータッチです。そういうことを目撃している人間として知らんぷりできない。自分たちのことを知ってもらおうと思えば、こちらから伝えていかないと。
「あなたもあの国も大っ嫌い」というリエの台詞があります。「あの国大っ嫌い」というのは、北朝鮮を全部否定する訳ではなく、あの国のシステムが嫌いだということです。「あの国が大っ嫌い」だけど、その国で家族が生きているという話は世界中にあります。そういう意味では国境を超える作品だと思っています。
生き抜く人へ敬意を込めて
世の中の人すべてが、いろいろな荷物を背負って生きています。
この作品は私の家族に対する、また北朝鮮で生きている人たちに対する敬意の表し方だと思っています。だから、「あなたもあの国も大っ嫌い」だけを聞かせたいのではなくて、それを受けてヤン同志(ヤン・イクチュン)が「あなたが嫌いなあの国で、お兄さんも私も生きているんです。死ぬまで生きるんです」という言葉を出させるために、リエに言わせたです。
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「スパイになれる?」
兄の一言で製作を決めた
朝鮮総連の人たちは日本の文化とか経済的なものを享受しています。「あの国(北朝鮮)は素晴らしい」と言いながら、カラオケに行けば韓国の歌を歌っている。そんな都合のいい話は、ずるいんじゃないの。私が凄いことをやっているのではなくて、普通のことが普通にできるようになってほしいだけです。家族に会うことや南北を行き来することも含めてです。
兄から北のスパイの仕事はできるかと聞かれるシーンを映画に入れるかどうかが一番、私の悩みどころでした。これを出したらお兄ちゃんに迷惑がかかるとか、母が知ったときのショックを考え、ずっと黙っていましたから。でも、どこか心の底で、こういうことを表に出せば、それ以上はできなくなるんじゃないかと考えました。拉致も明らかになるとできませんからね。何かするたびに在日を巻き込まないでくれと、叫びたくなります。
スパイのことはすごく深い傷を負いました。それは兄から負った傷というよりは、今の組織とか国とか、すべての状況の中で、この強烈な記憶があるから、この映画を作ったのかも知れません。
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再認識の〞触媒〟願う
9万余の人生 記憶薄れぬうち
正直、この映画は朝鮮総連とかでは問題になるでしょうけど、私も本気です。私は自分が生まれ育ったコミュニティーに対して、家族がずっと関わってきた組織に対して、祖国と教えられた国に対して誠心誠意で向き合っているつもりです。血を吐きたいくらいに悩み、リスクを背負って自分の名前で作品として世に出すわけですから。
その後、総連にいた人や兄の友人たち、昔の恩師などから「自分たちはできないけど応援している」「よくぞ作ってくれた」と連絡がありました。最近聞いたのは、朝鮮大学校などで私の作品を見るなとか、私と接触するなとか言っているらしいです。
私は誰にでも会うし、朝鮮大学校で上映会をしてほしいし、全校生徒から批判を受けながらでもQ&Aをしたいですね。
感じたことを正直に映像に
「ピョンヤンに家族がいたら黙っておけばいいのに」という人もいると思います。それはそれで正しいと思うけれど、私は誰かの顔色を伺って物を作るわけではないし、私が感じたことを正直に作るだけです。
59年に始まった帰国事業がピークを過ぎて、触れることのできないテーマになってから、映画の紹介記事でこんなに帰国事業という文字がメディアに出たことはなかったと思います。映画を見た人が「何だ、あの帰国事業って?」と言って調べるかも知れない。「話していいの」と言って、当事者で語る人が出てくるかも知れないし、私の存在とか作品が触媒になればいいと思っています。
これも、本当にシナリオを気に入って出演して下さった俳優さんたちのお陰ですよ。その迫真の演技によって、すごく間口が広がったなっていうのは感じています。それはフィクションの力でしょうね。
とにかく家族が心配なので、家族を守るためにも私はオフィシャル問題児として有名にならないといけません。「あの家族に触るな、あの家族を罰するとまた、映画を作るぞ、あの娘は頭がおかしい」くらいの認定を受けないと。
閉ざされた蓋開けていこう
この家族がすべてではありませんが、こういうことも現にあるということです。当事者たちはあまりに生々しくて、作品として見られないということはあると思いますが。
でも、閉じられている問題の蓋をいっぱい開けていきたい。それも人々の記憶から消えないうちに。北朝鮮に渡った9万3000人もの人生を、無かったことにはしたくありません。
亡くなった人、行方不明になった人もいるかも知れないけれど、無かったことにしていい人生なんてないはずです。あの国で今も生きているし、その子どもたちもたくさんいるから。
最後に言うなら、私の家族の話はまだまだ、映画にできるんです。半島で起こっていることって、凄まじくて悲惨なことがたくさんあります。本当に北朝鮮を知っている人は「ヤンさんの場合なんて恵まれている方よ」と思われるでしょう。でも、本来あるべきでないことに対して、表現することを仕事に選んだ人間としては鈍感になりたくないし、おかしいことはおかしいと言いたい。それだけですね。
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『兄 かぞくのくに』
離散の現実考える原作
現在、公開中の劇映画「かぞくのくに」の原作本となる本書は、著者の家族史である。総連幹部だった父は、北送事業の旗振り役を務め、70年代に3人の息子を北韓に送った。なかでも長男は朝鮮大学校1年生の時、北への帰国団に指名されている。これは、金日成の生誕60周年記念プレゼントのメインである「人間プレゼント」としてだ。
朝鮮大学校の学生200人を、「社会主義建設の先鋒隊」として金日成に献上するという、常識では考えられない行為が平然と行われていた。
病気治療のために日本に一時帰還した兄が、突然の帰国命令によって北韓に戻った後、父が「行かさんでも…よかったかな。あの時は自分も若かったんや。南北の関係が難しい時代やったけど…甘かったんや」と30年が経って、ぽつりと漏らした言葉を、著者はどのような思いで聞いていたのだろう。
著者は北の体制の中で「自分のため」に生きられない兄たちに代わって、「誰かのため」に生きることを止めると決心する。本書が、今なお、苦悩と悲しみを背負い続ける在日離散家族の現実と、北送事業について考えるきっかけになることを願う。
ヤン・ヨンヒ著。価格1680円(税込)。問い合わせは小学館(℡03・3230・5438)。
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プロフィール
ヤン・ヨンヒ 1964年11月11日大阪府大阪市生まれ。幼いころ、3人の兄が北送事業で北韓へと渡る。東京の朝鮮大学校を卒業後、大阪朝鮮学校で国語教師を務める。90年に辞職し劇団女優、ラジオのパーソナリティに。95年からドキュメンタリーの映像作家として作品を発表。またテレビ朝日の「ニュースキャスター」でキャスターを務め、世界各地を取材するなど報道番組で活躍する。97年に渡米し6年間ニューヨークに滞在。帰国後05年に初の長編ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を発表、ベルリン国際映画祭で受賞し高い評価を受ける。09年に2作目「愛しきソナ」を発表、今年3作目になる「かぞくのくに」を発表し、ベルリン映画祭国際アートシアター連盟賞を受賞した。
(2012.8.15 民団新聞)