世界的なバイオリン製作者…長野県木曽町「町の誇り、励み」
【長野】長野県木曽郡木曽町の名誉町民で世界的なバイオリン製作者、故陳昌鉉さんの文化的な功績を称える顕彰碑が21日、同町で除幕した。陳さんが生前、講演などで、折に触れては木曽町を〞心のふるさと〟と語ってきたことへの感謝の気持ちを込め、町が駐日韓国大使館の協力を得て木曽川沿いの本町親水公園に建立したもの。除幕式には遺族のほか申 秀駐日大使も出席した。
顕彰碑は表に「懐かしきかな木曽福島 我が青春の夢のあと」などとある陳さん自作の詩を刻んだ。裏面には陳さんの略歴と業績を記している。
除幕の後、申大使と田中勝巳町長が、碑のそばに無窮花の苗木を植樹。名古屋からやってきた高木彬矢(高1)・琢矢(小6)兄弟が、陳さん製作のバイオリンで「荒城の月」など3曲を追悼演奏した。2人は「響きが違う、体中に響く」と楽器を称えていた。
木曽福島は合併前の木曽町の旧名。陳さんが修業時代を過ごした立志の地でもある。外国籍のため、高校英語教員になる夢を断たれた陳さんは57年、名器ストラディバリウスの再現を夢見て、山奥のこの地にやってきた。
工房兼住居となる粗末な掘っ立て小屋を建て、夫人の李南伊さんと木曽川で集めた砂利を売り、最低限の生活水準を維持しながら4年半、独学でバイオリン製作の基礎を学んだ。
除幕式の後、町関係者ら100人は木曽福島会館での追悼式典に臨んだ。民団長野本部からは呉公運団長と梁聖根監察委員長が出席した。
席上、田中町長は、「顕彰碑を建立できたことは町民にとって喜び。町の誇りとし、これからも励みとしていきたい」とあいさつ。また、申大使は、「陳先生と木曽町民の大切な絆が、韓日間の強くて深い友情へと発展することを望みます」と述べた。遺族は陳さんの遺言だとして、58年製の処女作と61年製のバイオリン合わせて2挺と、現金100万円を町に贈った。
田中町長は木曽福島町長当時に陳さんの自伝『海峡を渡るバイオリン』(河出書房)を読んで感銘を受け、04年に木曽学をテーマとした町主催のシンポジウムのパネリストに陳さんを招いた。陳さんも、「木曽の自然が私の感性を磨いてくれた」とバイオリン「木曽号」を町に寄贈している。
木曽町は木曽福島町当時の05年、「木曽福島を日本の故郷として愛し、当町を出発点として、国際的な文化の進展に尽くされた功績は大きい」として、陳さんに名誉町民の称号を贈った。
【陳昌鉉さん】
1929年慶尚北道金泉生まれ。76年、自作のバイオリン、ビオラ、チェロがアメリカ国際バイオリン・ビオラ・チェロ製作者コンクールで細工と音響などの6部門中5部門で金メダルを獲得。84年にはアメリカバイオリン製作者協会より無鑑査製作家の特別認定とマスターメーカーの称号を授与された。このときから当初は3000円でしか売れなかったバイオリンが200万円以上に跳ね上がった。08年には韓国政府から国民勲章無窮花章受章。今年5月、82歳で死去。在日韓人歴史資料館(姜徳相館長)では陳さんの死を悼み、米国で受賞した5つの金メダルや愛用した工具類などを特別展示している。
■跡地にレリーフ像設置も
木曽町の「陳昌鉉ヴァイオリン研究所」跡地に顕彰ブロンズレリーフとプレートが設置され21日、関係者にお披露目された。陳さんと親交の深かった在日同胞2世、河正雄さんが寄贈した。作者は韓国在住の大学教授、朴炳煕氏。
プレートには陳さんの友人で木曽福島で耐乏生活を送っていた当時をよく知る俳人、丸山茫水氏の寄せた「冬たんぽぽ/小さな家に/小さな灯」という1句を刻んだ。貧しさに耐えながら、幸せな新婚生活を送った時代をほうふつさせる。
李南伊夫人によれば、住まいは正式な建築許可を取っていなかったため、水道が引かれていなかった。飲料水は近くの灌漑用水の水を使ったという。
(2012.7.25)