6・25在日義勇軍、KBSが再検証番組 |
子らが追う出征の軌跡…その決意、語り継ぐ |
6・25韓国戦争に参戦した642人の在日学徒義勇軍の意義を再検証するドキュメンタリーが6日の顕忠日に合わせ、KBS(韓国放送公社)のシリーズドキュメンタリー「パノラマ」で放映された。 「アボジ(父)の国…在日同胞青年たちの選択」と題した約50分の作品だ。 若き在日青年・学生たちがなぜ戦場行きを選んだのか、娘が父親にインタビューする形式で掘り下げた。在日学徒義勇軍をテーマにしたドキュメンタリーは過去にも数度あったが、今回は子が親から証言を聞き出すという視点が新しい。 |
あれから63年…仁川の寿鳳公園にある在日学徒義勇軍の記念碑前で |
出征を前に撮った記念写真(前列左から3人目が朴炳憲元民団中央団長) |
李善ウクさん(右)に当時を聞き出す次女の麗順さん |
642人のひとり、李善ウクさん(91・神戸市長田区)は日本軍に徴用された父を追って3歳の時に日本に渡った。日本の鉄道学校を卒業し、鉄道線路設計士として勤務していたところ、戦争勃発のニュースを聞いて参戦を決意。当時28歳。結婚して9年目で臨月の妻と長女を残したまま祖国の戦場へと向かった。 李さんの次女、李麗順さん(50)が両親に当時の思いを聞き出す。 |
今は神戸市で平和に暮らす李さんと次女の麗順さん |
韓国戦争には日本各地から青年・学生が志願して入隊、仁川上陸作戦などに参加。このうち135人が戦死した。生存者のうち、日本に帰還できたのは265人だけだった。生き残ったものの、もう一つの運命の分かれ道が待っていたのだ。 1952年4月。サンフランシスコ講和条約の発効で主権を回復した日本が、「許可」なしに出国した青年たちの再入国を拒否したためだ。これによって、4月以降に除隊した242人が日本に戻ることができなかった。 60数年間、どのような思いを抱いてきたのだろうか。 |
民団の「出征地訪問招請事業」で東京を見学する趙承培さん |
明治大学に通っていたが学業を放棄し、最年少で参戦した趙承培さんも数日違いで日本に帰れなくなったひとり。 日本には彼を待っている同窓生や家族がいた。残された戦友たちと一緒に釜山から日本への入国許可を待ち続けたが、ついに家族のもとには戻ることはできず、両親の最期も看取ることができなかった。 |
63年ぶりに日本を訪れた金ウンテさん |
仁川上陸作戦に参戦した金ウンテさんもそうだ。出征当時、彼には臨月の日本人妻と3歳の娘がいた。家族たちと再び会えなくなるとは思ってもいなかった。63年経つ今も家族の行方が分かっていない。出征のときに持っていった娘「みよこ」の古い写真1枚を大切に胸にしまっている。 |
金ウンテさんは行方不明の娘みよこさんの写真を肌身離さず持っている |
民団では2010年から韓国に残った元在日学徒義勇軍を「出征地訪問事業」として招待している。この4月には第4陣を招いたが、金ウンテさんもそのメンバーとして63年ぶりに日本を訪れた。番組では金さんに家族への思いを聞き出している。 エンディングで李麗順さんが「その(祖国へ出征)選択をしなければならない時代に生きたことが可哀想です。私たちがこうやって平和で暮らせるのは、その方たちのおかげだと思う。だから私たちは後世にこの事実を語り継がねばならない」とメッセージ。李善さんも「両親の骨も祖国に埋まっている。だから、最後の願いは死んだら、自分の身で守った祖国の地に骨を埋めてほしい」ともらす。 |
戦死した崔ヘモンさんの遺影を手に語る妹の崔明子さん |
青春時代を投げ捨て、祖国防衛に身を捧げた同胞青年・学生たち。その子らにとって「アボジの国」とは一体どんな意味を持つのか? このドキュメンタリーは今の世代にこのことを投げかけている。 |
民団に送られた同胞青年の志願書 |
(2013.6.26 民団新聞) |