ドイツに学べ 「闘う民主主義」
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「国家保安法は合憲」
廃止論を正面から批判…大法院「自由と人権 全て失う」
大統領も提起
《一心会》事件(06年10月)の捜査にブレーキをかけた大統領・盧武鉉は、その2年前の04年9月、「国家保安法は韓国の恥ずかしい歴史の一部分であり、今は使いようのない独裁時代の古い遺物だ」と述べ、廃止論を初めて提起した大統領ともなった。
国家保安法は「国家の安全を危うくする反国家活動を規制することにより、国家の安全と国民の生存および自由を確保することを目的」とする。80年の全面改定とその後5回にわたる部分改定を経た。
盧泰愚政府の91年5月には「この法律を解釈適用する場合には、目的達成のために必要最小限度にとどめねばならず、これを拡大解釈し、または憲法上保障された国民の基本的人権を不当に制限することがあってはならない」との項目が新設されている。
同法が歴史的に、国家保安の目的から逸脱し、政権維持の道具に堕した側面があったことを認め、それに終止符を打ったものだ。盧武鉉の発言に一理があったとすれば、過去についてである。しかし、91年の改定以降も、とくに金大中・盧武鉉両政府の時代は廃止論の勢いが治まることはなかった。
言うまでもなく北韓は、国家保安法の廃止を駐韓米軍の撤収とともに口を極めて要求してきた。当然、《従北勢力》=《主思派》とそれに連なる運動圏でも主要な闘争目標であった。その廃止攻勢に、04年4月の第17代総選で49議席から過半数を上回る152議席に躍進、勢いに乗る当時の与党・ヨルリンウリ党、さらには現職大統領までが加勢したのである。だが、さしもの廃止攻勢もいったんは後退した。
まず、盧武鉉発言に先立つ04年8月に、同法を合憲と改めて判断し、廃止論を正面切って批判する大法院(最高裁)の判決があった。野党ハンナラ党(現セヌリ党)が決死反対を貫き、世論も反対もしくは慎重論が大勢を占めた。それでも続いた廃止攻勢は、07年12月の第17代大統領選挙で李明博がヨルリンウリ党の鄭東泳に約532万票の歴史的大差で圧勝し、08年4月の第18代総選でもハンナラ党が大勝したことで打撃を受けた。
綻びは戻らぬ
廃止論を唱える側からはその間、自由民主主義のもとでは表現の自由、思想と良心の自由が保障されねばならず、体制を威嚇する表現もその範疇に入るとの主張が展開されてきた。また、北韓には自由民主主義体制の転覆を試みる可能性はなく、刑法上の内乱罪やスパイ罪などの規定だけで国家を保安できるといった論議もはびこった。
大法院判決は、こうした論理に逐条的に反論し、国家保安法廃止論の不当性を明確に指摘した。その論旨を要約して紹介しよう。
①韓国と北韓の間に交流・協力がなされていると言って、直ちに北韓の反国家団体性が消えたとか、国家保安法の規範力が喪失したと見ることはできない(同法は「反国家団体」を「政府を僭称し、または国家を変乱することを目的とする国内外の結社または集団であって、指揮統率体制を整えた団体」と定義)。
②北韓は赤化統一のために、武力南侵を敢行することによって民族的災禍を引き起こしたし、それ以降今日に至るまで、数多くの挑発と威嚇を継続してきており、今後も北韓があらゆる方法で私たちの体制を転覆させようと試みる可能性は存在する。
③国の体制は一度崩れれば回復は困難であり、国家の安全保障には一寸の隙や安易な判断は許されず、自らの一方的な武装解除を行うことには慎重を期さねばならない。
④いくら自由主義社会と言っても、自由民主主義体制を転覆させようとする自由まで許すことによって、自らを崩壊させ自由と人権をすべて失う愚行を犯してはならない。
⑤さらに今日、北韓に同調する勢力が増えて、統一戦線の形成が憂慮される状況であることを直視するとき、体制守護のために許容と寛容には限界がなければならない。
寛容には限界
この判決文は、項目①で「(南北の)交流・協力がなされていると言って」と前提したように、金大中の太陽政策に続く盧武鉉の包容政策のさなかに書かれた。項目③で「自らの一方的な武装解除」について、「慎重を期さねばならない」などと受け身とも言える表現になったのも、そうした理由からだ。
《一心会》事件や将兵46人が海の藻屑となった天安艦撃沈事件(10年3月)、6・25韓国戦争以来初めてとなる韓国領土への直接攻撃となった延坪島砲撃事件(同11月)の後であれば、より厳しい言い回しになったに違いない。
判決文で特に注目すべきは、「北韓に同調する勢力が増えて、統一戦線の形成が憂慮される」として、《従北》・<親北>勢力の存在が国を揺るがすレベルにあるとの現状認識(項目⑤)を示したうえで、「自由民主主義体制を転覆させようとする自由」は許されず(同④)、「体制守護のために許容と寛容には限界」がある(同⑤)と明示したことだ。
項目の④と⑤は、旧西独の統一後も継承されたドイツ基本法などに見られる「戦闘的民主主義」、あるいは「防御的民主主義」の精神と相通じよう。民主主義に則った手続きで、民主主義体制を覆そうとする動きから民主主義体制を守ること、つまり「民主主義を否定することを認めない民主主義」の概念である。
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<野圏連帯>の安保政策
矛を前に盾を放棄…北韓の攻撃性なぜ見ない
国家保安法の根源が南北対立の所産であってみれば、同法の処遇は北韓の対韓姿勢を抜きにしては論じられない。
何よりもまず、国家政党である朝鮮労働党の規約が韓国に対し極めて攻撃的であるのに比べ、国家保安法はあくまで防衛的な国内規律であることを確認しておくべきだ。
北韓にあって国家保安法に相当するのは社会安全法であろう。そのはるか上位にある労働党規約は、党の最終目的を「全社会を金日成‐金正日主義化」することにあると規定(この部分、今年4月の第4回党代表者会で改定される以前は「全社会を主体思想化」となっていた)。労働党はそのために、「全朝鮮の各界各層の愛国的民主勢力との統一戦線を強化する」と闡明している。
この規約にある「全社会」や「全朝鮮」に韓国が含まれるのは言うまでもなかろう。北韓はすでに破綻国家の烙印を押されていることも省みず、自らを破綻させた思想と体制に固執し、それによって韓国をも支配しようとする妄想にとりつかれたまま、そこから一度として自由になったことがない。
しかし、その北韓と対峙する韓国が今なお、国家保安法の廃止要求が加熱しやすい状況であることに特段の変化はない。政権交代によって後退しただけに、政権交代によって再浮上する可能性が高いのである。
事実、この4月の第19代総選に向けて<野圏連帯>を構成した民主統合党と統合進歩党は「共同政策合意文」に、「国家の安保問題全般に関する決定に市民の参与を保障する」こと、「国家保安法廃止などを含む人権を弾圧する反民主の悪法を改廃する」ことを盛り込んだ。
トロイの悲劇
「共同政策」のこの2つは、10年間の戦争の末に、敵兵を潜ませた木馬を城内に引き入れて破滅した「トロイの悲劇」を連想させる。
まず、安保政策決定への参与が保障される「市民」とは、どのような性向をもつのかは自明だろう。《主思派》が牛耳る統合進歩党の参加する<野圏連帯>である以上、彼らとコードの合う《従北》あるいは<親北・反米>性向を有する「市民」と見なすほかあるまい。
これに加えて、北韓による直接的な対韓破壊・撹乱策動の防御壁となるだけでなく、北韓が韓国内に《従北勢力》を増殖させ、自らの対韓路線に連動させる間接工作をも阻止しようとする国家保安法の廃止主張である。この不当性については、大法院の判決文があまねく指摘したところだ。
本質変化せず
朝鮮労働党の規約に基づく対韓路線の本質には何らの変化もない。統合進歩党の内紛があぶり出したように、《従北勢力》=《主思派》は公党を内部から牛耳り、国会議事堂にまで進出。大法院の判決から8年が経過しても、判決文の言う<北韓同調勢力>は各界に根を張っており、「統一戦線の形成」は「憂慮」の段階を超え、現実化している。
民主主義の名において国家保安法を糾弾し、民主主義的な手続きによってこれを廃止しようとする。その先に見えるものは何なのか。「国権」の守護と「自主権」確立の名において自由を奪い、民衆の人権と生活を踏みにじる北韓独裁の思想と体制を引き入れた、もはや韓国とは言えなくなった姿ではないのか。
北韓の矛を眠前にしながら盾を自ら放棄する。こうした事態を未然に防ぐには、自由・民主主義を否定することを認めない「闘う民主主義」の精神を社会的に共有することが急がれる。
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基本法(憲法)の精神
危険勢力に対処厳格…国民へ「憲法に忠誠」求める
ドイツ基本法(49年5月公布。統一までの暫定憲法との位置づけだった。90年の統一後も新憲法は制定されず一部改正を経て継承)の最大の特徴は、民主主義擁護のための闘争的性格にある。 東独・ソ連からの脅威とそれに連動する国内の共産主義勢力を封鎖すること、ナチズムを徹底的に清算してその再興を許さないこと、この二つが強く意識された。なかでも、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)がワイマール憲法体制下で、民主的な手続きによって全権を掌握した歴史を痛切な教訓としている。
基本法(以下、憲法とも呼ぶ)は随所で「戦闘的民主主義」の要となる「国民の憲法擁護義務」を規定する。そこから、「憲法愛国主義」の概念が現代ドイツの政治文化として定着した。
「戦闘的民主主義」の象徴とも言える第18条(基本権の喪失)は、意見表明や出版の自由、集会・結社の自由などを「自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。喪失とその程度は、連邦憲法裁判所によって宣告される」と規定する。
この条文は、「いくら自由主義社会と言っても、自由民主主義体制を転覆させようとする自由まで許す」ことはできないとした、大法院の国家保安法合憲判決の論旨よりも、はるかに強い。
第21条(政党)の1項には「政党の内部秩序は、民主主義の諸原則に適合していなければならない」とあり、同2項では「政党で、その目的または党員の行動が民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指すものは、違憲である」とした。
ドイツ憲法裁判所は52年、ナチスの流れを汲む社会主義帝国党(SRD)に活動禁止を命じた。SRDは反米・親ソの立場をとり、ソ連から資金提供を受けていたほか、ドイツ共産党(KPD)とも協力関係にあった。56年にはKPDにも同様の処置をとった。双方ともに、具体的な事件性を欠いたまま、「ドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指す」存在との判断に基づく違憲判決である。
より興味深いのは、占領体制下では認可を得ていたKPDの訴訟だ。マルクス、レーニン、スターリンの著作を延々と引用しながら「プロレタリア独裁革命」を指向する政党であることを論証しただけでなく、独立国として公布した基本法は、民主主義的な要素をより加味したものであり、そこに言う「自由で民主的な基本秩序」という最高の価値原理を否定し、それを積極的に攻撃する姿勢を厳しく問うたのである。
特殊性が前提
ただ、判決文は「ドイツ共産党の禁止は、(再統一後の)全ドイツ総選挙が行われる際の共産党再認可の法的な妨げになってはならない」とも付言した。東独側に対する配慮であると同時に、同党に対する違憲判決が東西冷戦・分断という特殊状況下のものであることを際立たせる意味もあった。
韓国憲法(第8条4項)にも「政党の目的又は活動が民主的基本秩序に違背するときは、政府は憲法裁判所にその解散を提訴することができ、政党は憲法裁判所の審判により解散される」との規定がある。だがこれは、文言においてもドイツ基本法に見劣りし、現実面でもまともに機能してきたとは言えない。
韓国の置かれた現状は旧西独以上に厳しい。違憲判決が下されても不思議ではない政党・団体が大手を振っている。ドイツの「戦闘的民主主義」に、多くを学ばなければなるまい。
(文中・敬称略)
(2012.9.26 民団新聞)