在日韓国人後援会が奔走…ソウル五輪成功へ誠金100億円伝達
民団の職員や家族が下支え
9月17日、88ソウル五輪から30年を迎えた。1981年9月30日、西ドイツのバーデンバーデンで開かれた第84次国際オリンピック委員会(IOC)総会のIOC委員の投票で決定された。日本の名古屋市も立候補し、当初は優勢との見方が強かったが、予想を覆し、52対27でソウルが大逆転した。
民団は翌年3月、第32回定期中央委員会で「ソウル五輪・在日韓国人後援会」の結成を決定。主な事業は募金と広報、そして大会への大々的な参観などだった。会長に当時の在日韓国人信用組合協会会長の李煕健氏、事務局長に金致淳民団中央本部副団長が就いた。
後援会活動の中心は募金集めだったが、なかなか集まらない。税金問題がネックになっていたからだ。免税措置を検討するも、法律の範囲内での免税では多額の募金を集める誘引策にはならなかった。
朴炳憲中央団長と李会長らは全額免税措置を求め、韓日議員連盟を通じて韓国政府に働きかける一方、日本政府にも積極的に要望した。日本国会でこの問題が何度も取り上げられた末、86年11月15日に免税措置が決定された。その後、募金活動が活発に展開され、大型誠金が相次いだ。
87年11月30日、募金の第1次分として300億ウォンを、88年6月16日には第2次分221億ウォンを大会組織委員長に伝達した。在日韓国人は6年間にわたる募金活動で総額100億円(当時のレートで約522億ウォン)を寄せるなど、大会成功に大きな貢献を果たした。この民間による募金額は韓国史上最高額で、今もなお記録が破られていない。
歴史的な後援活動の表舞台は民団と後援会幹部が奔走したが、縁の下で支えていたのは民団職員や家族だった。後援会事務局次長として東日本地域を担当した金民さんと金副団長の長女、金淳子さんに当時のエピソードを聞いた。
◆1世の愛国心が成功への原動力に
当時47歳の民団中央本部職員、金民さんは、「2000万円をもらって来い」と上司に指示され、北海道まで電車を乗り継いだ。しかし、中央の人間かどうか疑われ、なかなか話が前に進まなかった。ひと悶着の末、生まれて初めて大金を手にした。
「何しろ心配で心配で、車中では一晩中眠れないまま中央に戻った」と当時を振り返りながら、「1世の愛国心が今日の祖国・韓国と在日同胞に自負心をもたらす原動力になった」と胸を張る。
◆片道切符で募金活動
金副団長の長女、金淳子さんは、当時のアボジを述懐した。
「ほとんど家に帰って来ず、何をしている人なのかわからなかった」としながら、「怖かったのは、『いいか、アボジが不在の時に届いた郵便物は絶対に受け取るな』ときつく言われたこと」と振り返る。
地方に行く時は最初の目的地までの片道切符だけを購入し、途中でカンパをもらいながら乗り継ぐ活動だったことを後で知った。「開会式に父が映るかもしれないと思い、テレビの前でわくわくした。それくらい頑張った人だから」と目を潤ませた。
(2018.09.26 民団新聞)