日帝時代に作られた絵葉書からは、当時の出来事や日本人の視点などを知ることができる。在日1世の高成一さん(71、大阪・西成区)が約30年前から収集してきた絵葉書は5000点。新聞、チラシなどの関連資料と合わせると6000点にのぼる。1905年の乙巳保護条約の締結から、日本による韓半島の植民地化が始まったとの考えを示す高さんは「失った40年間の歴史を、絵葉書を通じて知ってほしい」という。絵葉書の一部を2回に分けて紹介する。
◆初代統監を迎える妓生
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幼い妓生 |
乙巳保護条約を締結し、韓国の外交権を奪った日本は翌年12月、京城(現ソウル市)に韓国統監府を置いた。初代統監に任命されたのは、内閣総理大臣を務めた伊藤博文だ。
この伊藤博文に関連するのが、彼を迎えに行く妓生の絵葉書である。同行者もいるが、馬に乗った年端も行かぬ妓生の表情は、緊張のせいかどことなく暗い。
◆嘉仁皇太子の渡韓記念…日本の優越を露骨に
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京城御入京 |
皇太子渡韓記念絵葉書の包装袋 |
1907年、当時日本の皇太子・嘉仁(大正天皇)が初めて韓国を訪問したのを記念して、東京兒童新聞社が発行した「東宮殿下御渡韓記念絵葉書」(非売品)には、「京城御入京」「韓人の文明」「怪鳥の屏息」「仁川御着艦」「韓人の断髪」の5枚が入っている。
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仁川御着艦 |
韓人の文明 |
「韓人の文明」では、体の半分が洋装姿の日本人と、民族衣装を着た韓国人が描かれている。これについて高さんは「自分たち(日本人)は韓国人より優れているという意味がある」と話す。
「怪鳥の屏息」は、太極旗の中央の部分が昼と夜に分けられており、闇夜に浮かんだフクロウとコウモリは韓国人を表している。「韓国人は影を潜めている存在」と見られていたようだ。暗黒の時代を象徴するかのような1枚である。
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韓人の断髪 |
怪鳥の屏息 |
同条約の締結以降「日本人5万人が韓半島に入って商売をしている」という。
78年に毎日新聞社が発行した『別冊1億人の昭和史 日本植地史1朝鮮』には「日帝時代に金を塗り、金時計として売った」「朝鮮人の土地を奪った」「強盗のようなことをしていた」などの証言が収録されている。本書は、当時の日本人の様子を知るうえで貴重な資料といえる。
◆暗殺された閔妃の姿も
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「宮中の老女」と名付けられている閔妃の肖像 |
特筆すべきは、朝鮮王朝第26代王・高宗の妃である閔妃(明成皇后)を扱った絵葉書だ。閔妃は1895年10月8日早朝、景福宮・乾清宮内で、日本の三浦悟楼公使の計画の下、襲撃した日本守備隊、日本浪人らに暗殺された。
「宮中の老女」と名付けられたこの絵葉書が発行されたのは、閔妃が殺害された14年後の1909年。韓国併合の前年に発行されたことについて高さんは「当時の日本人の力を誇示するため」との見解を示す。
◆文化は認めていた?
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高句麗古墳群の壁画に描かれた人物像 |
二重橋は上に南大門は下に |
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明治天皇を上に、純宗皇帝は下に |
「日本の大膨張」と題した地図 |
朝鮮総督府は1910年、日本による韓国併合とともに、韓国統監府を改変して同年10月に創設された。併合以後も、数多くの絵葉書が発行された。植民地支配が行われた35年間、朝鮮総督府が毎年発行したのが「始政記念絵葉書」である。高さんは2枚を除いて、残り全てを保有している。
1915年、景福宮の敷地を会場に韓国全土の物産などを展示した「朝鮮物産共進会」をはじめ、23年は「朝鮮副業品共進会」(朝鮮農會主催)、29年には「朝鮮博覧会」(朝鮮総督府主催)が開催された。
始政7年記念に発行された絵葉書には、高句麗古墳群(龍岡雙楹塚羨道壁画)の壁画に書かれた人物像が印刷されている。この人物像は、朝鮮総督府発行の記念郵便絵葉書の表紙にも使われている。高さんは「文化だけは認めていたのではないか」と分析する。当時、始政絵葉書は1枚5銭だった。
また、韓国の貿易、農産、人口、交通、水産、財政に関する統計をまとめた「統計絵葉書」(6枚セット)、「日本帝国之大膨張」なども発行された。
絵葉書のなかには韓国と日本の上下関係を表したものも多い。東京図案印刷社画版部浪華屋発行の「日韓合邦記念」絵葉書には、右上は明治天皇、左下は大韓帝国第2代皇帝・純宗が、また「日韓合邦の歌」(報知社作歌)でも、右上は二重橋、左下は韓国王城(南大門)が配置されており、日本は韓国より優位に立つことが強調されている。
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高さんは「植民地時代の絵葉書は韓国人のために発行したものではないが、結果的には韓国人にとって貴重な資料になる」と話す。
(2018.09.26 民団新聞)