掲載日 : [2005-01-01] 照会数 : 4227
歴史資料の寄贈拍車かかる 本紙連載が呼び水に(05.1.1)
[ 屏風とチェサン ] [ ミシンと弁当箱 ]
資料の一部展示 2月の民団フェスタで
祖先への思いこもるチェサン、屏風
生計支えた’30年代のミシン
開館を年内に予定している「在日同胞歴史資料館」(仮称)に、全国から貴重な歴史資料が続々と寄せられる展望だ。民団新聞紙上で04年10月20日から始まった連載「在日百年〈物〉が語る歴史」が反響を呼び、掲載のたびに寄贈の申し入れや問い合わせの電話が相次いでいる。資料収集や分類、管理を行っている在日コリアン歴史資料館調査委員会では引き続き、家庭の中で埋もれている在日同胞に関する資料の提供を呼びかけている。
在日コリアン歴史資料館調査委員会(委員長・姜徳相滋賀県立大学名誉教授)にはこれまでに、在日関連図書1200冊と韓国・朝鮮関連図書約1800冊、写真資料220点、生活用品約150点などが寄贈されたほか、約5000冊の図書寄贈などの申し入れもある。
連載を見てチェサ(祭祀)の時に供え物を配する大小のチェサン(祭床)3台と屏風を寄贈したのは、故鄭煕玉氏の次男・鄭孟潤氏(66・大阪)。
最近までチェサの時に使用していたもので、日本植民地時代の1930年代半ば、当時韓国で用いていた両品を渡日の際に運んできた。屏風は変色や傷みはあるが、組み立て式のチェサンは頑丈な作りになっている。故鄭氏の祖先を敬い、そして子孫の多幸を願う思いが、この屏風とチェサンに込められている。
張洛書氏(74・三重県)は、亡くなったオモニの権点伊氏が長年使った30年代の足踏みミシンを寄贈した。このミシンは、当時、仕事を得るために家族で三重に渡ったオモニが、手先の器用さを生かして韓服などを作る縫製の仕事で生計を立て、子どもたちを学校に通わせたという思い出の品。
ミシン自体は色あせてはいるが、張氏は異国の地で気丈に生きてきた1世のオモニの姿を鮮明に記憶している。
長崎の79歳の鄭命連ハルモニは、60数年前、日本に来る前にオモニから手渡された麻布(サンベ)から作ったチマ・チョゴリ用の下着を提供した。ハルモニは解放後、日本の地で生きることを決意。母のぬくもりの残るこの下着を一度も身につけることはなく、手元で大切に保管してきた。
ほかにも柳製弁当箱や日本人の写真家・菊池和子さんから、3、4年前から川崎市ふれあい館で撮影してきたハルモニの写真200点も寄せられた。
現在、各地から多くの資料が寄せられているが、図書関係では在日に関する古書やミニコミ誌、自叙伝、解放直後の民族学校で使用していた古い教科書なども探している。
また写真資料については、解放直後のものは比較的出てきているものの、解放前の写真がまだ足りない。当時、貧しくて写真を撮る余裕がない、両親が亡くなって処分したという声も聞かれるなか、同委員会は「在日の歴史を残す最後のチャンス。物は大きくなくてもかまいません。植民地時代の国民労務手帳や名刺でも、捨てる前に連絡をしてほしい」と話している。
なお、今年2月10日から13日まで開催する「民団フェスティバル」で現在収集している資料の一部を展示することにしている。
資料提供および問い合わせは、同委員会(電話03・3454・4926)まで。
(2005.1.1 民団新聞)