掲載日 : [2005-01-01] 照会数 : 8661
「多文化共生社会」実現へ 思い込めたアプローチ続く(05.1.1)
[ 高月市内でのキムチ料理講習会 ] [ 木下草加市長(左)と懇談する鄭平普民団埼玉本部団長 ]
急速に国際化が進展するなか、日本人住民と外国籍住民が互いの文化や価値観に対する理解と尊敬を深めていくための試みが、各地でさまざまな形で繰り広げられている。一部の自治体では特区提案のなかで永住外国人に地方参政権を付与しようという動きも見られる。真の共生社会を実現しようとしている各地の動きにスポットをあてた。
■□
キムチで地域活性化 滋賀県高月町など
在日同胞の協力得て
朝鮮通信使の通り道ともなった「近江」(現在の滋賀県一帯)でいま、地域をあげてのキムチづくりが湖北の高月町から浅井町、びわ町、彦根市、栗東市へと帯状に広がっている。仕掛け人は発酵学の第一人者、滋賀県立大学名誉教授の鄭大聲さんだった。
高月町は雨森芳洲庵がある朝鮮通信使ゆかりの町。キムチを使った町おこしができないかと思案していたところに94年、滋賀県立大学に鄭教授が赴任した。
町商工会から協力を求められた鄭教授は、講演会や学習会を開催しながら親身になって指導にあたった。住民は大阪の在日同胞からもアドバイスを受けながら商工会の一角を借りて試行錯誤を重ね、96年に念願の「高月くんのキムチ」を完成させた。
このキムチは日本人の嗜好に合わせた地元限定品。町内の「夕市」で人気を呼んだ。これは鄭教授が健康食品としてのキムチの効用をコツコツ説いてきた成果が現れたと言うべきだろう。鄭教授の指導のもと、01年に同大学が県内の成人を中心に全国規模でアンケート調査した結果を見ても回答者の85%が「キムチ好き」と答えている。
03年には国と県、町から総費用4000万円の出費を受けて同町商工会事業・キムチ加工販売施設「高月ルナハウス」が完成した。
高月町で成功したとのニュースは県内各地に広がった。草津にある県湖北地域農業改良普及センターに勤務しながら白菜の有効な活用方法を研究していた松井賢一さん(グリーン・ツーリングインストラクター)は、あらためてキムチしかないと確信したという。
松井さんは鄭名誉教授から薫陶を受けながら、草津市に隣接する栗東市(当時、栗東町)で独自にキムチづくりに取り組み始めた。キムチに関する著書はすべて手にいれて読んだほど。いかに辛さを抑えて、うまみを引き出すかに腐心した。
できあがったキムチを栗東町の農業まつりで販売したところ、町内の在日韓国人から「この味は日本人にはうけない。甘さが足りない」とのアドバイスを受けた。松井さんは当時を振り返って「このアドバイス、ヒントがよかった」と述懐している。栗東町でキムチ加工食品の生産が軌道に乗ったのはそれから間もなくのことだった。
松井さんによれば、キムチが売れるには、地域に在日韓国人が住んでいることが絶対条件だという。「在日」がアドバイザーとなり、販売の牽引役にもなってくれるからだ。栗東町での成功の要因は在日の存在なくして語れないと言うべきだろう。栗東町の取り組みに対しては近畿農政局から「局長賞」が贈られた。
■□
韓・日姉妹校交流 神奈川県立白山高校
陶芸を核にふれあい
日本の高校の海外修学旅行先で韓国は当初から首位を独占してきた。文科省の統計によれば、02年度中に韓国への修学旅行を実施したのは231校。渡航生徒数は00年、初めて中国にトップの座を譲ったものの、学校数では依然2位以下を大きくしのぐ。若い世代の交流拡大は、両国関係の土台強化に大きく貢献している。
横浜市緑区の神奈川県立白山高校は、京畿道の利川第一高校と01年10月に姉妹校提携締結、翌02年から韓国への修学旅行を続けている。両校とも陶芸をカリキュラムの中に取り入れていることが、交流の決め手となっている。
縁結びにあたっては、白山高校職員の関係者で在日同胞の金昌鎮さんが大きな役割を果たした。同校の韓国修学旅行にあたっても、当初から現地との連絡調整を買って出ている。
白山高校生徒は韓国への修学旅行の際、姉妹校となった利川第一高校を訪れ、青磁の技術を駆使した陶芸技術を学ぶ。利川第一高校の生徒も「練り込み」など、日本独特の技法に興味を示していたという。
富川市内では1日ホームステイを体験した。言葉が通じないという不安を抱えての訪韓も、英語やジェスチャーでなんとか意思疎通を図っているようだ。
帰日後の感想文が興味深い。「家族の温かさに直接ふれられたことは、いくら日本で勉強するよりも何倍も有意義で誇らしい体験でした」「言葉も通じない最悪な状況だったけど、友達と協力して乗り越えられた。4泊5日いろいろあったけどそのぶん、一生忘れない思い出です」。
この年、修学旅行に参加して間もなく、生徒の1人が韓国に1カ月間の語学研修に出発した。さらに1人は卒業後、神田外語学院に進み韓国語の専門コースを選択した。
同校で進路指導を担当している教員の生地陽さんは「200人が韓国への修学旅行に参加し、2人が韓国語を学ぶ道を選んだ。修学旅行に教育効果はないといわれているが、少なくともこの2人については人生を変えたと言えるのかもしれない」と話している。
学校側は「韓国のことをもっと知りたい」との生徒の声に応えようと、03年から2年生向けの選択科目「ハングル入門」を開設した。この年はネイティブ3人を講師に20人1クラスで出発、04年度は50人の応募があり、3クラス編成となった。今年度も50人以上の希望者が出ているという。
このほかにも「総合学習の時間」や文化祭、ロングホームルームの時間を利用、生徒たちが肌で韓国の文化にふれることができるよう「おぜんだて」してきた。主なものは青年会神奈川本部によるサムルノリ公演、在日同胞を講師に招請してのキムチ料理教室、川崎市ふれあい館の見学など。 利川第一高校からは日韓文化交流基金からの助成を受け03年、04年と訪日団がやってきた。白山高校でも交流授業や陶芸研修をともに行った。
白山高校は「陶芸を核とした継続的な日韓文化交流事業」が認められ、昨年12月、神奈川県教育委員会から教育長表彰を受けた。
■□
百済の里づくり 宮崎県南郷村
韓流時代を先取り
「小さな村の大きな挑戦」私の故郷はこのキャッチコピーで「百済の里づくり」というユニークな村おこしに取り組んできた。
その百済王伝説の地・南郷村は、JR日豊本線日向市駅からバスに揺られて1時間余、山懐奥深く抱かれている。
さかのぼって西暦660年、百済が高句麗と新羅の連合軍に滅ぼされると、王族が日本に亡命し、さらに追っ手を逃れてこの地にたどり着いたとされる。王一族は医術・農業などの先進技術で村民の大きな力となり、尊敬されて村の神様として祀られた。
王族の一人・禎嘉王が南郷村神門神社に、息子の福智王が木城町比木神社に祀られ、年に1回親子の対面が行われる。これが1300年余り続いている「師走祭り」(陰暦)だ。
百済の風習を色濃く残したこの祭りは、毎年1月20日前後の金・土・日の3日間行われる。県内外の観光客が増え、年々盛大になっている。
「百済の里づくり」は1986年、当時の田原正人村長の「何とか自分の村に自信と誇りを取り戻してもらいたい。私の出身は南郷村です、と胸を張って言えるようにしたい」という、そんな信念からスタートした。
里づくりはハードとソフトの両面が平行して進められた。ハード面では扶余の王宮跡に立つ国立博物館をモデルにつくられた「百済の館」があり、また、王族の宝物のなかに奈良の正倉院に伝わる銅鏡と同じ文様の物があることから、正倉院を忠実に再現した建築物「西の正倉院」などがある。こうしたハードのおかげもあって、過疎の村に年間10万人もの人々が訪れるようになった。
ソフト面では、「百済の里づくり」を村民運動に掲げ、多くの村民が韓国を訪問し、子どもたちもハングルを習い、韓国の歴史・文化を勉強し、中学生のホームステイも十数年前から積極的に行っている。その根幹にあるのは、国境を越え、時を超えて、人と人との友好親善をはかりながら、両国を「近くて近い国にしたい」という思いだ。
大田広域市で1993年に開かれたEXPOに際しては、百済王族の遺品といわれる宝物の展示や王族親子のご神体を捧持して1330年ぶりに里帰りを果たした。20万以上の人々が見守るなかでのこのセレモニーは、韓国国民の大きな関心を呼び、マスコミでも大々的に報道された。
最近では村民の多くが新聞、テレビの韓国にかかわるニュースにことのほか強い関心を持っている。とくに中学生は、台風の進路が韓国に向くとホームステイ先の友だちの安否を気遣うほどだ。知らず知らずのうちに韓国人との心の交流が育ってきた。
世はまさに韓流時代。時代を先取りしたとも言える人口2600人程度の「小さな村の大きな挑戦」南郷村の果たしている役割は、日韓関係を考えるうえで一つの方向を示している。
この環境、風土で育った私も、自分で意識することなく自然と韓国文化を受け入れていた。韓国料理を好んで食べ、ハングルも独習中で、家では妻との会話に少しずつ、意識的にハングルを使っている。
そうこうしているうちに在日韓国食品協議会の関係者との交流が広がり、キムチ製造販売会社の公式ショッピングサイトを運営するようにもなった。在日韓国人と親しくなれたのも、私が南郷村の人間だったからだと、何か因縁めいたものを感じている。
(寄稿 山本昇=埼玉県朝霞市在住)
■□
「共生特区」自治宣言する首長
特区により公職選挙法9条に特例を設けることで永住外国人に地方参政権を付与しようとの提案が、地方自治体の各首長から繰り返し内閣官房構造改革特区推進室に届けられている。先陣を切ったのは02年の埼玉県草加市だった。昨年は広島県三次市、京都府京丹後市も同様の提案をした。これに関連、民生委員と人権擁護委員の国籍要件撤廃も提起されている。地方分権は時代の流れ。共生を求める声は今後とも各地に広がりそうだ。
■□
地方参政権提案5回も 埼玉県草加市
埼玉県草加市は02年8月30日の第1次から04年11月17日の第6次まで計5回、「外国籍市民への地方参政権付与」を「地域の共生特区」として提案している。第1次提案から一貫してこの問題を提唱しているのは全国でも草加市だけだ。
草加市は95年12月、市議会の全会一致で「定住外国人の地方参政権を付与する特別立法の制定に関する意見書」を採択している。「地域からの国際化」に取り組む市民団体やNPOの活動も活発だ。市民団体による地域あげての国際交流イベント「草加国際村一番地」などはその代表的な例といえる。
市職員の採用にあたっても国籍要件は設けていない。外国籍の職員を採用したのも草加市が全国でいちばん早かったという。
こうした土壌が外国籍市民への地方参政権付与を「当然のこと」として後押ししてきた。特区提案は選挙管理委員会職員が発案した。具体的には、草加市に1年以上外国人登録して在住する年齢満20歳以上の永住者に、草加市長選挙と市議会議員選挙権を与えるというもの。この提案を議会が後押しし、木下市長も賛成した。
市は第1次提案で「長期滞在外国籍市民は日本籍市民と同様に納税するなど地域社会のメンバーであることから、地域の国際化に対応し、真の地方自治を確立するため、外国籍市民に参政権を付与する必要がある」と特区の必要性を説いた。これに対する総務省からの最終回答は、「我が国の制度の根幹に関わる問題」であることから「国会での審議の結果を見守る」というものだった。この内容は第1次から今日までほとんど変わっていない。
さらに市は「であるからこそ特区としてモデル的に導入し、自治体の行政運営や地域社会形成にどのような影響があるかを実証することに大きな意義がある」という趣旨の意見書を提出したが、総務省の意向は変わらないまま。
市長付けで特区・地方財政自立改革を担当している中村卓特命理事は、「地方の市議会議長、首長からの提案なのに行政の枠の中でとどまり、そこから上にいかない」と怒りを隠さない。
■□
「国に働きかけ継続」 寄稿 木下博信(草加市長)
今年の5月、市民約180人で運営される草加市国際交流協会は、外国籍の市民を中心に繰り広げるフェスティバル〞草加国際村一番地〟を開催しました。外国語教育に力を入れている市内の獨協大学を会場に繰り広げられたこの催しには、アジア、欧米はもとより、中東、アフリカ、南米、オセアニアに至る様々な国々出身の皆さんをはじめ、約5千人の市民が参加し、各国の踊りや音楽、料理などを囲んで交流が深められました。
また市役所内では、昨年の4月からボランティア市民が8カ国語を駆使し、外国籍市民、特に子供達を学校や地域に溶け込ませる活動を進めています。
市内に81カ国、約4600人の外国籍市民が暮らす今日、こうした市民の活動は、「地域からの国際化」を進める力強い原動力になっています。
一方、草加市議会では、既に平成7年に「定住外国人の地方参政権を付与する特別立法に関する意見書」を全会一致で議決しています。
草加市では、こうした市民、議会の活動を得て、国籍等を問わず、市民誰もが共生できる地域社会づくりへの取組みを進めています。定住外国籍市民に地方参政権を付与する構造改革特区提案もその一環で、2年前から、既に5回にわたる提案を国に行っていますが、実現への壁は厚いものがあります。
しかし、「地域の国際化」は、既に市民レベルで進んでいる現実のものです。国という単位ではなかなか実現できないことを地域から進めて行くという特区制度の趣旨が生かされるよう、国に働きかけを行って行きたいと考えています。
■□
構造改革特区とは
地方自治体や民間による「智恵と工夫の競争」で地域の活性化を図るのが趣旨。「特定の地域に限らず全国一律に制度改革を行うことが難しい課題について、地域を限って実験的、先行的に実施させ、その効果をうらなう」としている。認められれば、当該地域の特性に応じた構造改革を実施できる。全国化するかどうかはその成否をみて決める。02年6月25日に閣議決定している。
■□
民生委員を別枠要求 京都府京丹後市
京丹後市は永住外国人への地方参政権付与と、民生委員の国籍要件撤廃を連動させ、「市民との共生によるまちづくり特区〜国境を越え、京丹後市のまちづくりでひとつになる」と題して昨年11月に特区提案した。
当初案では被選挙権も含まれていた。しかし、市のホームページ「ご意見箱」などに一部住民から「次期尚早」の声が寄せられたため、「将来の課題」として先送りにした。
地方選挙権に対する回答(04年12月10日付)を見ると、草加市と同様、「我が国の制度の根幹に関わる重要な問題であり、まずは国会の各党会派において十分に議論がなされる必要がある(なお国会において議員立法による法案として審議されているところ)」というものであった。民生委員については直接の言及はなかったが、地方参政権同様、審議中ということだった。
民生委員(身分的には非常勤の特別職地方公務員)については「選挙権を有する」ことなどが条件となっている。永住外国人が市の議員の選挙権を有することになれば、民生委員法第6条の規定により、自動的に首長の推薦を受けられる対象となる。
ただし、地方参政権が総務省、民生委員は厚生労働省の管轄と、要件上は性格を異にしている。このため、市としては民生委員法第6条の国籍要件の緩和(永住外国人への適用)を選挙権付与とは別枠で求めていた。
04年10月15日現在、市内の外国人登録者は約500人となっている。このうち、永住権取得者は186人。内訳は特別永住者139人(韓国136、朝鮮3)、一般永住者47人。
■□
全国規模で提案 滋賀県米原町
民生委員の国籍要件撤廃については昨年6月に滋賀県米原町から人権擁護委員と合わせ、内閣府の「規制改革・民間開放」に提起されている。同要望は自治体単位の構造改革特区と違い、全国規模での規制緩和を目指しての募集だった。内閣府によれば、特区関連では、同提案が全国の自治体で初めて。
村西俊雄町長は「民生委員法では人種などで差別的取り扱いをしないとしている。しかし、日本人の差別意識や言葉、文化の違いが壁となり、生活や人権についの悩み事を相談できずに苦しんでいる外国人も多いと思う。人権擁護委員や民生委員に外国人が含まれていれば問題を抱える外国人も相談しやすいはずだ」と話している。
提案は法制度の改正を伴うため実現には至らなかったが、村西町長は「国際化が進む中、外国人の人権を尊重し、実践することで活力ある地域社会を実現したい」と引き続き提案していきたい考えだ。
同町は88年に「人権擁護のまち」を宣言、96年には「町人権擁護条例」を制定している。
■□
解説 民団の一貫した運動、各界に共振効果
波及効果大きい地方参政権運動
民団はこの間、日本に定住する外国人に地方参政権付与を求める運動に力を入れてきた。自民党や保守勢力の頑なな壁に阻まれているものの、民団の粘り強い働きかけが地方自治体を動かし、各自治体が「区域内に住所を有する者」、つまり地域住民の一員として、在日同胞を含む外国人の声を行政に反映させようとする動きは加速している。
定住外国人に地方参政権を付与すべきだとする意見書を採択した地方自治体は、昨年10月末現在で全体の46%に当たる1520自治体に増え、人口比率で見れば76%を占める地域に及んでいる。また、定住外国人に住民投票を認める条令を制定した地方自治体も、同10月末現在で161を数える。
昨年11月7日には、日本・韓国・東アジアの平和と共生を具現する立場から、日本人、韓国人、在日同胞の指導的人士や有識者が一堂に会し、定住外国人の地方参政権を実現しようとする強力なネットワークが結成された。
少子高齢化社会を迎えた日本は、外国人を必要としているにもかかわらず、制度面ではもちろん社会的な雰囲気においても排外・抑圧の姿勢は変わっていない。日本は近代に入ってからとくに、アジアには背を向け、むしろ侵略の対象と見てきた。その伝統的な国家主義的な思潮を持つ閉鎖的な日本に風穴を開け、真の国際化を求めて日本人と外国人の共生を願う民団の運動は、東アジアの平和と共生を具現していくうえでも重要な要素になっている。
全外国人の期待担う先駆的運動
民団は定住外国人の地方参政権獲得運動を推進する以前から、在日同胞に対する行政差別、社会的差別の一掃に取り組み、多くの成果を挙げてきた。これは様々な差別や抑圧を受け、各種民生制度から置き去りにされてきた同胞ばかりか、同胞以上に泣き寝入りを余儀なくされてきた多くの外国人に恩恵をもたらした。こうした先駆的な人権運動は日本の各界に大きな影響を与えている。
財界を代表する日本経団連は、2003年11月にまとめた「外国人受け入れ問題中間報告」で定住外国人地方参政権問題に触れ、外国人にきめ細かいサービスを提供するために「外国人の地方自治への参加」に道を開くべきだとし、合わせて「多文化共生庁」・「外国人庁」の設立を提言した。
外国人が地域の重要な構成員となっている15の市町村でつくる「外国人集住都市会議」は昨年10月29日、この日本経団連の提言を支持する態度を鮮明にし、「外国人住民とともにつくる活力ある地域社会をめざして」と題する宣言を採択した。
また、日本弁護士連合会は10月8日に開いた第47回人権擁護大会で、初めて外国人の人権保障に焦点を当て、国際的な人権基準に合致する「外国人・民族的少数者の人権基本法」の制定を求める宣言を採択した。この宣言は、日本におけるゼノフォビア(外国人憎悪)に警鐘を鳴らし、地方参政権や公務就任権など外国人の社会参画制度の確立を求めている。
民団の一貫した運動は日本の財界、法曹界、地方自治体に共振効果をもたらし、外国人と日本人の共生が避けて通れないことを認識させるうえで大きな意味を持っている。
草の根韓日親善交流活動を牽引
韓日の交流拡大は相互理解を増進させる半面、摩擦をも生み出しやすい。両国関係が時に険悪になりながらも「韓日新時代」を謳うまでに成熟したのは、民団のひたむきな努力抜きには語れない。民団は歴史歪曲を押し進める保守・右派とは断固闘う一方で、市民レベルの交流を重要視し、その拡大を牽引してきた。
国際親善を綱領で鮮明にする民団は、韓日関係が極めて厳しい時期から日本各地に日韓親善協会、日韓議員連盟の結成に主導的な役割を果たした。また、両国の地方自治体間の友好・姉妹提携は現在、122組に達しており、民間レベルの姉妹関係、定期交流は数えるのが困難なほどだ。こうした土台がなければ、サッカーW杯韓日共催大会は日本地域であれほどの盛り上がりには至らなかっただろう。
友好・姉妹提携の全国化は、政治的な対立に大きく影響を受けることなく東アジアの主要国にふさわしい両国関係をつくり、関係悪化を抑止する機能を果たしてきた。韓日交流が実体をともない、友好増進の潮流が歴史認識などさまざまな摩擦を克服していくためには、中央政府レベルでは限界がある。むしろ、民間・地方自治体が主体になるべきであり、その分、全国に根を張る民団の役割はこの面でも引き続き大きなものがあるといえよう。
(2005.1.1 民団新聞)