掲載日 : [2005-01-01] 照会数 : 8805
在日の華 ファッション界にも(05.1.1)
[ 韓さんデザインの作品 ] [ 「Geessen」ショーの安さん ]
華やかなショーやおしゃれのお手本となるセレブリティー。それらを支えるファッション界のクリエイターとして、注目すべき人々がいる。現代的、かつフェミニンなスタイリングで話題のブランド「Han ahn soon」のデザイナー・韓安順。そして、「ANN」の名で世界で活躍するトップモデル・安美佳。祖国での留学生活を通して韓日両国のファッションも体験してきた。ファッションで韓日を繋ぐ大阪コレクション(大コレ)のような取り組みもある。韓国、日本、そして在日の文化が溶け合い、新たなファッション世紀を提唱する時代が到来した。
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デザイナー・韓安順さん
色づかい鮮やかに 「韓日の衣装の融合も」
「裁縫が得意だったってことはないです。ただ、小中学生の頃から自分で手作りしたものを人にプレゼントすることが好きでした」
大阪・生野区で育った。高校卒業をひかえ、手に職をつけようと服飾専門学校への進学を決める。
「今まで通ったことがない日本の学校に行ってみるのもいいかと思って。『デザイナーになる!』とは考えていませんでした」
卒業後すぐにインディーズブランド「Han ahn soon」を立ち上げた。「ハンアンスン」という名前は日本人の友人の間でも好評だった。語感としていい。本名をそのままブランド名にした。韓さんは服作りに励みつつ、アパレル企業「ルシェルブルー」でアルバイトを始める。ルシェルブルーでは「リステア」などのセレクトショップの展開のほか、当時から新ブランドの企画生産にも力を入れていた。本人は「デザイナー」を意識せず、服をつくり続けた結果、彼女の才能は企業を動かすことになる。
ファッションブランド「Han ahn soon」は03年の春夏東京コレクションで「昭和」をテーマにアニメモチーフを大人のお洒落着に盛り込んだ作品を出品し、一躍「期待の新星ブランド」として注目された。現在では流行発信基地として名高い東西の2大デパートにもショップを構える。
韓さんの作品の特徴は鮮やかな色づかいとウエスト位置がやや高い女性らしいラインだ。
「女性が綺麗に見えることが重要です。ショーの時は西洋人モデルに合うように、店舗用には自分が着たいと思う服をデザインしています」
現在、彼女のショップには黒を基調としたシックな洋服が陳列されている。来シーズンは今回の東京コレクションで見せたヴィヴィッドな色彩で溢れるだろう。
「今回、お客様やプレスの反応がよかったですね。みなさん前回の『BLACK』のイメージが念頭にあったのかとても驚かれました。もともと、鮮やかなカラーの方が得意なんですけどね」
ここ数十年、アパレル産業は、コレクションで高評価を得た作品のコピー商品を大量生産し、トレンド・アイテムとして市場に発信している。ファッションクリエイターとしてこの傾向をどう見るのか。
「逆にアパレル業界の中では、コピーされるような作品のクオリティーを保ち、発信し続けることができなければ駄目なのかもしれませんね。コピーには真似できないような素材や縫製に注目して、見る人がウチのを購入するようであればいいと思います。パリコレにも出展してみたいです。でも、見にきてくれる人がいてのショーなので、ただ『パリコレに出した』というだけではなく、意味のあるものにしたいです。今、デザインの面で『在日』ということを意識していませんが、今後のコレクションでは『韓日の衣装の融合』、といった作品もあると思います」
韓さんは一人の在日韓国人女性として最近の韓流についてどう思っているのか。
「流行で終わらなければいいですね。韓日は『近くて遠い国』といわれ続けてきましたが、随分、開けてきました。在日にとってもいいことではないでしょうか。以前は、国籍の話になると一から在日について説明しなければいけなかったのが、日本人の韓国への興味や『GO』などの作品の登場によって、説明しなくても理解してくれることが増えてきましたし」
柔らかな大阪弁で語る韓さんからは「おごり」や「我欲」といったものが感じられない。あるのは「軽やかなバイタリティー」。
「Han ahn soon」の洋服はどれも凛とした韓安順、彼女自身によくにあう。
韓安順さん
1976年、大阪・生野区生まれの3世。大阪朝鮮高級学校卒業後、98年に創美苑ファッションデザイン専門学校を卒業。その2ヵ月後に「Han ahn soon」を立ち上げる。99年大阪コレクション新人ステージ、02/03年秋冬大阪コレクション参加に続き、03年春夏東京コレクション初参加。現在、大阪・北堀江にオンリーショップを構え、銀座「リステア」などのセレクトショップや新宿・伊勢丹、梅田・阪急百貨店に拡大中。
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アジア時代へ感性重ね
トップモデル・安美佳さん
世界の各コレクションごとに特色はありますが、ソウルコレクションは客席も熱気に満ちていて、パワーを感じます。ストリートファッションについていえば、日本は自分のファッションに自信がある。雑誌は一冊買えば、あとは友達や街の人がお手本になる。ファッションの豊かさが引き算のお洒落につながっていると思います。
韓国は街によってカラーが違う。周囲の環境によってファッションが左右されていて、頭からつま先まで洗練されている人は多くはないですね。でも、昨年から急速に韓国のデザイナーやモデルだけでなく、美容室のカットやディスプレイも洗練されてきた。今回、大コレ参加の「Geessen」(デザイナー・郭玄周)も色づかいやトータルコーディネイトがとても素敵でした。
ファッション面では日本は韓国より進んでいるかもしれないですけど、感受性の面では韓国の方が豊かだと感じます。04年は「冬のソナタ」が日本でブレイクしました。ドラマや映画は物語の内容だけでなく、その国の食事風景や人々の付き合い方を見せることができるので、感性の交換ができると思います。ソウルコレクションの賑わいは、国を挙げての文化コンテンツ支援のおかげもあるかもしれません。
日本は韓国の貪欲な好奇心と感受性を、韓国は日本の洗練された審美眼の高さについて互いに学びながら発展させ、「アジア」という枠で欧米に追いつくよう、みなで盛り上げていきたいですね。
安美佳さん
1974年、大阪生まれの2世。18歳の時、英ファッション誌「I・D」に写真が掲載されたことを契機にパリコレなど世界の舞台に立つトップモデルに。02年、自身のルーツを探るため韓国・延世大学に留学。今春からNHK総合「4時です上方倶楽部」のキャスターを務める。MAZDA、NIKEなどの広告モデルのほか、矢沢永吉の「TheTruth」ビデオクリップやTV東京系「バミリオンプレジャーナイト」など映像作品にも多数出演。
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大阪コレクションの発信
人材養成18年の実績 ソウルとも結ぶ架け橋
「20471120」の中川正博と阿世知里香や「beauty‥beast」を手掛ける山下隆生、韓安順など実力派デザイナーを輩出してきた大阪コレクション(以下、大コレ)は87年、大阪出身のデザイナー・コシノヒロコの提唱を受け開催された。
大阪の行政と経済界が一致協力して「世界で活躍できるファッションデザイナーの発掘育成」と「アジアのファッション情報発信基地」を目指し、18年もの間、韓国ファッション界と密接な関係を続けている。
世界5大コレクション(パリ・ミラノ・ニューヨーク・ロンドン・東京)とは異なり、新人デザイナーや一般客を参加させ人材の育成に力を注いできた大コレは、89年から韓国のデザイナーを継続的に招待してきた。初年度に参加した韓国のトップデザイナー・陳泰玉らが大コレに触発され、翌90年に「ソウルコレクション」を発足させた。双方にデザイナーを派遣するなど、ファションを通じて韓日の友好を図っている。
01年10月のソウルコレクションには大阪府の太田房江知事も同行し、韓国ファッション協会と「ソウル‐大阪ファッション交流宣言」を行った。大コレは韓国でも高く評価されており、02年に参加した「choi chang ho」は今年、ソウルと東京でのコレクションに参加している。
大コレ運営事務局の川嶋みほ子さんは「韓国との交流は切っても切れないものでした。最初はお互いの要領がわからないこともありましたが、現在は双方の協力で大変スムーズな運営をしています。日本の若い人たちが、隣国の実力あるデザイナーの作品を見て刺激を受けてくれればいい」と言う。
大コレの韓国人デザイナー招致窓口となっている韓国・モデルライン社の李載淵社長は「長期にわたり韓日のデザイナーの交流を行ってきました。韓国のデザイナーも成熟し、私は2年以内にソウルコレクションが世界5大コレクションの仲間入りを果たせると思っています。
いずれファッションにアジアの時代が来る。『アジアコレクション』も構想しています。韓国と日本、中国などが主導してアジアのファッションを欧州に負けないものにしたい。そのためにもデザイナーたちの交流の場は必要ですね」と語った。
(2005.1.1 民団新聞)