掲載日 : [2018-02-28] 照会数 : 6290
『三たびの海峡』を語る講演会…帚木氏、執筆の発端明かす
[ 帚木蓮生さん ]
東京大学大学院総合文化研究科グローバル地域研究機構・韓国学研究センター主催の植民地の記憶をどう伝えるかの2回目「帚木蓬生氏講演会‐自著『三たびの海峡』を語る」が10日、東京大学駒場キャンパス(目黒区)で開かれた。
『三たびの海峡』(新潮社、1992年)は、日本統治時代の43年、慶尚北道の尚州村から、17歳の時に強制連行によって九州の炭鉱に送り込まれた河時根を主人公にした物語。92年、同書が吉川英治文学新人賞を受賞、95年にはこれを原作とする三國連太郎主演映画も制作された。
帚木さんは東京大学仏文科卒業後、テレビ局の勤務を経て九州大学医学部で学び、精神科医に。仕事とともに執筆活動を続けてきた。
福岡の筑後で生まれたが、筑豊の炭鉱を見たことはなかったという。多くの朝鮮人が強制連行によって炭鉱での過酷な仕事を強いられたという事実を知ったのは、88年、福岡・北九州市の八幡厚生病院に赴任してからだ。在日2世の同院副院長や患者だった元炭鉱夫、在日からいろいろな話を聞いたのをきっかに関心を持った。
「同じ福岡にいながら炭鉱のことも連行されてきた朝鮮人のことも知らない。本当に驚いた」と当時を振り返った。
記録文学作家・上野英信(23〜87年)が、写真家・趙根在(33〜97年)と共に監修し、葦書房から刊行したのが『写真万葉録 筑豊』(全10巻 84〜86年)。9巻の『アリラン峠』には、日向峠(福岡県糸島市)の朝鮮人炭坑夫の墓が20基ほど点在している写真が載っている。「まるで犬猫の墓と同じ。その辺に転がっている石を置いてある墓なんです。それを見た時になんてことを、こんなところで」と衝撃を受けた。
その後、日向峠の墓を探しに行くが見つからなかった。「もう分からないんだったら、この墓に埋もれている人たちの物語を書こうと思った。それが『三たびの海峡』を書く発端」であったと経緯を語った。
そのほか、執筆の時に過去と現在が入れ違うように工夫した点や、炭坑で一番厳しかった同胞の労務助手を描いた理由などについても説明した。 また、朝鮮人炭坑夫たちが歌う「アリラン」に自ら歌詞をつけ、それが高倉健主演映画「ホタル」に取り入れたという話も紹介した。
(2018.2.28 民団新聞)